東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

正義と真実の人(S)

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職業を表す言葉の最後に付く漢字は、

色々あってややこしい。

とりあえず、

語尾に付ける「ひとつの漢字」を付けた職業を、

思いつくまま、ざっと箇条書きにしてみた。

 

「員」 警備員、会社員、従業員、銀行員、

    公務員、駅員、店員、教員、議員

「士」 弁護士、看護士、飛行士、運転士、代議士

「師」 美容師、整体師、調理師、教師、医師

「家」 芸術家、画家、作家、陶芸家、建築家、噺家

    実業家、漫画家、政治家医家

「者」 役者、易者、医者

「手」 野球選手、歌手、運転手

「官」 警官、外交官

「人」 芸能人、詩人

 

他にもありそう・・・。

 

ところで、

「ひとつの漢字」でグループ分けされた職業は、

何らかの共通性があるからこそ、

「その漢字」で括られたはず。

だけど、その境界がよくわからない。

たとえば「~者」

役者、易者、医者と並べたけど、

どんな共通項で括ったのだろう?

きちんと調べれば答えは見つかるかもしれないけど、

それをどうしても知りたいわけではないので、

「まぁ、いぃや」と、あやふやにする…。

 

ところで、上の箇条書きを見ていて、

ふっと気がついたことがある。

基本、ある職業は、

どこかひとつのグループに入るはずだけど、

政治家とお医者さんは、

なんと三つのグループに入っている。

「医家」というのは馴染みがないかもしれないけど、

「医家向けの医薬品」などと使われる。

「代議士」も、衆議院議員のみに使われる言葉なので、

それぞれを除いたとしても、

やはり2つのグループに所属している。

ちなみに2つのグループに所属している職業は、

「議員」「医師」「教師」である。

なんでだろう?

 

まっ、それもスルーして、

4月7日は統一地方選挙の前半投票日。

議員を目指している方、

どうか当選した後も

「高い志」を持ち続けてください。

お願いします。

 

正義と真実/スネークマンショー

 桑原茂一小林克也伊武雅刀・・・

youtu.be

それでは、また。

 

時どき、ブルースもいいよね!(M)

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前回の記事をアップしたのが3月19日。

最後はドゥービーの

「Listen to the music」で閉めたのですが、

今日は3月28日だから、

ずいぶん間を空けてしまったことになります。

 

曲中の

「Whoa~Listen to the music」に続く歌詞は、

「All the time~」です。

それを実践していたといえば聞こえがいいけど、

業務で恐ろしいほどの原稿書きに追われていたので、

プライベートで記事を書く気が起きず、

夜は音楽ばかり聞いていました。

 

ほぼ「All the time」!

 

何を聴いてたかというと、

最初は俗に言うヒーリングミュージック。

モヤモヤした考えごとも抱えていたので、

アルファ波で脳を満たせば、

穏やかな気持ちになるのかなと・・・。

まあ、安易に考えていたのですね。

たとえばジョージ・ウィンストンとかエンヤとか。

だけど、どうも上手くいかなかった。

返ってモヤモヤが内向して、

悪い思いがふくらんでくるような感じ。

 

結局、あれこれ聴いてみてたどり着いたのは、

静けさではなく、

むしろ脳を覚醒させることでした。

頭の中が「ぐちゃぐちゃ」なときは、

それを静めるよりは吹き飛ばしてくれる、

圧倒的なパワーに身をゆだねる方が、

良いのかもしれません。

 

それに気がついてから、

この何日かで一番聴いていたのは、

YouTubeで見つけた

「ぐでんぐでん」!

それも、木村充揮近藤房之助

Liveバージョン。

(2007年版と2008年版があって、

    微妙に違って甲乙つけがたい)

 

木村さんは憂歌団のボーカルと言った方が通るかな。

この「ぐでんぐでん」は、

憂歌団や憂歌兄弟のものではなく、

いわゆるソロです。

彼のような存在感を、

正真正銘「唯一無二」と言うのでしょう。

 

近藤さんは、「おどるポンポコリン」

で歌ってた人と言ったら通るかな。

ちびまる子ちゃんのエンディングテーマ。

実は、ブルース畑の実力派ボーカリストで、

女性ファンも多いようですね。

 

とにかく、この2人の掛け合いに痺れた!

ちなみに「ぐでんぐでん」のオリジナルは

萩原健一ショーケン)です。

youtu.be

せっかくなので、木村さんの動画をもう1本。

曲は「胸が痛い」です。

武道館を満席に出来る人が、これだ・・・。

うしろで抱き合ってる「おねえさん」も、

酔っ払ってるお客さんも、

なんか、あったかい。

っていうか、最高!

youtu.be

大阪って、いいなぁ。

 

追記 3/28 PM22:50

yahooのヘッドラインに、萩原健一さん死去のニュースが。

謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

あれっ「フォレスト・ウィテカー」だよね!(L)

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昨夜のこと、

「PLAYING FOR CHANGE」プロジェクトで、

なかなかいいのを見つけました。

ちなみに「PLAYING FOR CHANGE」とは、

音楽を通して世界に活気や繋がり、

平和をもたらすことを目的に、

2004年にグラミー賞を受賞したプロデューサー、

マーク・ジョンソン氏が立ち上げた、

音楽プロジェクトのこと。

世界中のミュージシャンが、

1つの曲をそれぞれのスタイルで、

あたかも一緒に奏でているように編集した、

独特のスタイルが特徴です。

なんだか、説明するとつまらなくなりますが、

手軽にユーチューブで見ることができます。

大和証券のCMでも使われていたので、

「あっ!これかっ」て、

知らずに楽しんでおられた方もいらっしゃるのでは。

時どきですがギタリストのチャーを始め、

日本人プレーヤーも参加しています。

 

「PLAYING FOR CHANGE」では、

色々な曲を取り上げていますが、

自分は気分が落ち込んだ時に、

その中の何曲かをよく聞きます。

そして穏やかな気持ちと元気をもらうのです。

 

さて、今回の楽曲は「Everyday People

ご存知の方も多いかもしれませんね。

原曲は1968年に『Sly & The Family Stone』が、

シングルでリリースしたもので、

「あらゆる偏見に反対する思想を詰め込んだ一曲」

と、言われているようです。

いわゆる政治的抗議のメッセージを含む、

プロテスト・ソングでもあります。

 

Sly & The Family Stone』は、

カテゴリー的には「ファンクバンド」ですが、

グループ編成も、<黒人と白人><男と女>、

音楽性も、<ファンクとロック>と、

まさにMix !!

 

当時のアメリカは、

黒人公民権運動が盛り上がっていた時期で、

マーティン・ルーサー・キング牧師の、

伝説のスピーチにある「I Have a Dream」の頃。

その潮流の中にあったとしても、

Sly & The Family Stone』が、

この歌詞に込めたメッセージは、

さらにその先を目指しているかのように聞こえます。

 

残念ながら、画面に歌詞は出ませんが、

興味のある方は、お調べください。

曲の一節にある

「Different Strokes,For Different Folkes」とは

「十人十色」という意味だそうです。

人生いろいろ、生き方いろいろ、

だけど一緒に生きて行こうってことのようです。

 

もちろん、歌詞は横に置いといても、

リズムとメロディーだけで、

十分に楽しめますのでご安心を。

 

下手な解説はここまでにして、

「PLAYING FOR CHANGE」版の、

Everyday People」を聞いてみましょう。

出だしはレッド・ホット・チリ・ペッパーズ

Chad Smithのドラムで始まり、

Jack Johnsonのリラックスした声が絡んできます。

カッコいい!

さらに、この後の映像で、

洋画ファンなら驚かれると思いますが、

Forest Whitaker(フォレスト・ウィテカー)が、

Elizabeth Banksが・・・。

なんとYo-Yo Maまで・・・。

きりがないのでやめますが、

まあ、見てのお楽しみということで。

youtu.be

なんか、癒されます。

 

追記、

「サクラが咲いたよ」の便りがあったのでもう一曲。

懐かしい「The Doobie Brothers」の

「Listen to the Music」をどうぞ。

出だしはTom Johnstonのギター!

神社の前で、なぜか神妙な顔で演奏するCharも見られます。

youtu.be

それにしても、

いつ聞いても、

いい曲ですね。

 

それでは、また。

レビュー(L)

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数日前、東京に住む妹から

「◯◯さんが新しい本を出したので、

 立ち読みして良かったら買ってください」と、

短いメールがきた。

 

◯◯さんとは妹の旦那で、私の義弟になる。

本職は新聞記者(編集委員)だけど、

本も何冊か出している。

「はいよ」とメールを返して妹を安心させ、

そうだ!と、アマゾンをチェックしてみたら、

さすがというか、もう新着本で紹介されていた。

レビューは、まだない。

暇なので一緒のページに紹介されていた、

過去に出した本の中から、

本人は、こういうのチェックするのかなと思いながら、

なんとなくレビューを読んでみた。

何より商品のレビューと違って、

やたらと長文ばかりで読みごたえがある。

ちょこっと書いたものなどひとつもなかった。

 

ところで、アマゾンのレビューは、

誰が書こうが、どんなことを書こうが、

それがみんな公開されてしまうのだろうか。

褒めたものもあれば、辛辣なものまでいろいろある。

ここでも読者は王様なのだ。

このレビューが購買動機に影響するのだろうから、

作家というのも大変だなと思う。

書店に並ぶ本の紹介POPに、

匿名のレビューがついて売られることは、

多分あり得ないだろうに…。

 

 

妹には「はいよ」と言ったけど、

まあそのうちにと思っていたら、

今度は書いた本人からメールが来た。

「◯◯から聞いてるかもしれませんが、

 新しい本を出したので・・・」ときた。

◯◯は妹の名前だ。

 

「もちろん聞いてます・・・」

みたいなやり取りを数回していたら、

面倒になったようで、

今度は電話がかかってきた。

今までに何冊も出しているけど、

こんなことは初めてだし、

「良かったら・・・」の先に、

「良かったら、何冊か・・・」

というニュアンスを感じたので、

「何冊か買って、配りますよ」

と太っ腹なところを見せてみた。

本人が営業するなんて、びっくりしたので。

 

そこでアマゾンのことを思い出し、

新着で紹介してあったことを話して、

「書店で買うのと、アマゾンで買うのは

 どっちがいいの?」と聞いてみた。

「書店で買う場合は、

 影響力のあるところがいいんですが、

 お兄さんのとこは田舎なんで、

 アマゾンの方がいいです」

 

なんか悔しかったので、

紀伊◯屋があるから、そこはどう?」

と食い下がってみたけど、

「やっぱ、東京の紀伊◯屋と、

 地方の紀伊◯屋では影響力が違うんで、

 アマゾンで買ってもらえれば…」 

・・・だそうです。

アマゾンの影響力、恐るべし。

「わかりました。アマゾンで何冊か買います」

「お願いします」

「はいはい、わかりました」

 

「ついでに、レビューもお願いします!」

「・・・・・・」

 

しょっちゅう来るアマゾンからのメール、

『お客様のお買い物傾向や閲覧履歴にもとづく

 おすすめ商品をお知らせします!』

『〇〇のレビュワーとして、

 このお客様の質問にお答えいただけますか?』

 

レビューのデビューなんかしたら、

アマゾンから、さらなるメールが入るのだろうか。

まさか、こんなオチになるなんて…。

 

それにしても、本屋さんごめんなさい。

それでは、また。

おとこ友だち(L)

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代々木ゼミナールに通っていた頃(要は浪人中)

勉強はそっちのけで麻雀ばかりしていた。

同郷の同級生が借りているボロアパートだけでなく、

時どき歌舞伎町界隈の雀荘でもやっていた。

 

その日も日付が変わったというのに、

しばらくジャラジャラした後、

始発の電車が動き出すまで、

雀荘から歩いてすぐの公園で時間を潰すことにした。

アルコールは入っていない。

実際に麻雀をしていたのは4人の男の子で、

そのうちの1人は同級生。

女の子は自分の連れだった。

 

公園は薄暗く、

あちこちに植えてある大きな木が、

さらに見通しを悪くしていた。

はっきりした記憶はないけれど、

気がつくと数十メートル先に、

学ランを着ている大学生たちがいた。

20人くらいだった気がする。

どっからどう見ても、

関わりたくない人たちだったので、

目を合わせることもなかったはず。

なのに、そのうちの何人かがすっと近づいてきて、

無言で退路を塞いでしまった。

 

何かやり取りをしたような気もするのだが、

なにも覚えていない。

あっという間に転がされ、

蹴りの集中砲火を浴びた。

なぜか、当ててきたのは全て下腹部だった。

這いつくばった地面から見上げた人も景色も、

全く思い出せないのは、

たぶん固く目をつぶっていたからなのだろう。

数分の出来事だったような気もするけれど、

流れた時間の感覚も全く覚えていない。

 

恐怖の中にあっては、

そういう感覚を麻痺させる力が働くのかもしれない。

それでも彼らが仲間の所に戻る時に言ったセリフだけは、

今でもはっきり覚えている。

「俺たちは夜の新宿警察だ」

 

彼らが去った後、駅まで無言で歩いて、

そこでみんなと別れてそれぞれのアパートに帰った。

連れの女の子が付いてきてくれたけど、

何を話したのか、全く思い出せない。

 

痛みが尋常ではなかったし、

そもそも蹴られたのは大事な箇所だったのだ。

恐る恐るトイレに入り、

トランクスを下ろして自分のものを見たとき、

「あ~俺の人生は終わった」と思った。

そう思った記憶だけは残っているのだ。

それは内出血していて、

信じられないような様になっていたのだった。

連れの女の子を横に眠ったのか、

じゃあねって帰したのか、

全く記憶にない。

 

そんな夜から数えて20年くらい経った、

仲間内のある飲み会で、

彼がその日のことを急に話し出した。

その日の夜、やられたのは私だけだった。

そもそも、

どうして自分だけがやられたのかというのも、

彼の話を聞いて「そうだったんだ」と納得した。

囲まれた時に、

私がファイティングポーズを取った途端、

袋叩きにあったということだった。

争う気なんて全然なかったはずなのに、

自分の記憶には全くない・・・。

 

私は、幼稚園児の頃から柔道の道場に通い出し、

中学はそのまま柔道部に入部した。

高校ではラグビー部だったし、

夜は空手の道場にも行っていた。

だけど選手としては全くパッとしなかったし、

花の応援団みたいな人たちに、

立ち向かうほどの根性など、

これっぽっちも持ち合わせていなかった。

殴り合いの喧嘩など、

したいとも思わなかったし、したこともない。

 

そもそも一対一でも歯が立たないくらいは、

直感的にわかるというものだ。

さらに相手は複数どころか、

本隊まで控えているのだ。

「女の子を守ろうとしたみたいだった」

と彼に言われたけど、正直それは相当怪しい。

とにかくあまり思い出したくない思い出だから、

他の友だちに話したこともないし、

いつの間にか忘れていたことなのだ。

 

そんなことより、これが一番大事なことだけど、

そのときなんで誰も助けてくれなかったんだとは、

微塵も思わなかった。

後になっても、そう考えたことなど一度もない。

やられたのが自分じゃなく彼だったとしても、

自分が何かできたとはとても思えないから。

 

なのに彼は、私がやられているのをただ見ているだけで、

何もできなかったことをず~と気にかけていたのだった。

それがず~と負い目になって残っていると話してくれた。

あの夜から、何百回も会っているのに、

ずっと言えなかったに違いない。

「許してくれ」と言われて、

正直なんと答えたのかも覚えていない。

だけど、そのあと飲み干した酒の味が、

格別だったことだけは間違いない。

 

公園での出来事は、ほとんど忘れちゃったけど、

グラスを傾けたその日のことは、

今でもときどき思い出す。

鏡のよう(S)

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ブログを書くという行為は、

自分という人間を自分が知る上で、

最適なツールなのかもしれない。

もっと言えば、

否応無しに自分と向き合うことになるツールみたいだ。

 

頭の中がぐちゃぐちゃになるくらい考え続けていても、

そのままにしておけば、

翌日には大かた忘れているものだ。

何について考えていたのかを思い出せても、

どう考えたのかははっきりしない。

あ~じゃない、こ~じゃないと、

考え続けているようで、

実は言語化できない事も多い。

 

そんな頭の中のよもやまを、

ない頭でなんとか文章に仕立ててみる。

他人様が読んで下さるかもしれないので、

出来るだけわかりやすくしたいけれど、

そもそも頭の中はぐちゃぐちゃなのだから、

無理があるのは承知の上だ。

なので、当然と言えば当然、

読み返していて「ど~も違うな」と必ず思う。

 

やっと書き終えた記事は、

さっきまで考えていたことのほんの一部を、

写真のように切り取って固定した感じ。

ある一瞬に違いないけれど、

今の自分はもうそこにはいなかったりする。

 

一から書き直すのは面倒だから、

細かいニュアンスを書き直してみるけど、

どこかで手放さないと、

いつまでたっても公開できないので、

根負けして、まあいいかとボタンを押す。

 

それを読み返してみて、

自分はこういう人間なのかと、

少し違和感を覚えながら、

これも自分なのだと自分に言い聞かせる。

 

人は鏡を見ることでしか、自分を見ることができない。

ブログってそんな感じなのかも。

おふくろの味より、ふくろ(袋)の味(S)

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このキャッチコピーが、

いつ、どんな状況で使われたのか、

とんと思い出せないけれど、

ずっと覚えているってことは、

自分のお気に入りだからに違いない。

 

そもそも、このコピーがインスタント食品への

警鐘を鳴らすことを目的としたものなのか、

はたまた優れた加工技術を称えつつ、

新しい食の提案を意図したものだったのか、

それすらわからないけれど、

どちらにしても「言葉遊び」としては、

とても優れたものではないかと思う。

 

私は「食」へのこだわりがほとんどなく、

何を食べても大概おいしいと感じてしまう。

何を食べてもといっても、

食生活そのものがたいそう貧弱で、

一年中同じようなものばかり食べているし、

単においしいものを知らないだけなのかもしれない。

 

その反動なのか、

ブログにアップされたお弁当や、

今日の夕飯などの写真を眺めるのが大好きだ。

憧れといってもいい。

人の体はその人が食べたもので出来ている。

そう考えると、

自分が長生き出来るとは到底思えないので、

正直、健康寿命の延伸どころではない。

 

まあ、そんなことはどうでもいいけど、

「食」といったら、

毎回楽しみにしている記事があるので、

勝手にご紹介したいと思う。

カテゴリーもいっぱいあって迷うけど、

とりあえず見た事もないカレーの記事からどうぞ。

イラストもかわいいです。

 *ヤギネさん、ご迷惑だったらお知らせください。

www.yagine.work

気がつけば

「ふくろの味」って、

すごいことになってますね。

知らなかった・・・。

 

それでは、また。

   3.11 合掌