東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

10万PV(S)

今朝のこと。

出社したところ、

ある人からビックリする話を聞かされた。

彼女は社内でもブロガーとして知られている人なのだが、

数日前、ある記事の1日のPV数が

10万を越えたというのだった。

その次の日も10万を超えたという。

 

この人の書いているブログは

旅先の風景や美味しいものを

こだわりの写真とともに載せていて

とても素敵なものなのだが、

それとは別に内緒にしているブログがあるのだと言う。

メインのブログに付いている読者も、

その存在をほとんど知らないと言うことで、

何でそんなことをするのかはよく分からないのだが、

とにかく10 万という数字に

相当興奮していて、そっと教えてくれたのだった。

そこまで言われれば、

そのブログを読みたくなるのが人情というものだが、

なぜかそれは内緒だと言う。

 

ちなみに、この記事を書きながら

今日の自分のアクセス数を見てみたら「5」だった。

最後に書いたのが10月28日だから、

一昨日のことだ…。

ついでに書けば、書き始めてから早1年。

以来全部を合わせても「24,701」である。

  *10月30日、午後6時53分現在

 

それにしても「100,000」って、

一体何を書いたんだろう?

 

気がつけば、最近公開した記事のほとんどが

ラグビーに関するものだった。

だいたいこのブログは、

「思いつくこと」

「思い出すこと」

「思いあぐねていること」と、

一応カテゴリーを分けてはいるものの、

それぞれのカテゴリーには全くまとまりがなく、

カテゴリーの意味を成していない。

読者の皆さまにとっては

不親切極まりないような気がして

いささか申し訳ないけれど、

そうかと言っていまさらカテゴリーを

わかりやすく具体的なものにするのも面倒だ。

いっそ何かに特化したものを

新たに立ち上げればいいのかもしれないけれど、

何としても書き続けたいと思える程のものも

正直持ち合わせていない。

なのでこのまま行こうと思う。

まあ、身の丈が一番。

 

それでは、また。

 

W杯、もうすぐ決勝戦(L)

40日に及ぶ「ラグビーワールドカップ2019」も

残すところ、あと1週間を切った。

試合数も、あと2つである。

 

ところでジャパンが敗れてしまった時点で

世間の熱狂もあっという間に

冷めていくのかと思いきや、

そうでもないようで、

これにはちょっとびっくりしている。

むしろ色々な角度から掘り下げられた

様々な記事が、次々に配信されている。

試合を観る楽しみは減ってしまったけれど、

記事を読む楽しみは増えている感じだ。

 

ところで、これほどの盛り上がりを

「誰か、予想していた?」って言うのは

いまさら野暮な話かもしれないけれど、

盛り上がった一番の理由をあえて探すとすれば、

代表チームの頑張りに尽きるのではないか。

もう少しはっきり言えば、

代表チームは強くなければダメだということ。

というか、勝たないと!

やはりスポーツの本質は「勝ち負け」であり、

「勝ってなんぼのもの」なのだ。

ジャパンが予選で4勝したことで、

注目度が上がったのは間違いない。

 

ところで、

ラグビーファンが増えない理由として、

「ルールがよくわからない」

ということが、ずっと言われてきた。

そもそもラグビーという競技は

最もアマチュアリズムを

堅持してきたという歴史がある。

なので、やってみると楽しいけれど、

観ていて楽しいかというと、

何ともいえない部分があった。

それでも、ラグビーのルールが

「観る者の視点」に配慮する方向で

少しずつ変わってきたことも事実である。

ラグビーという競技にも、

プロ化という波が押し寄せているのだ。

 

だとしても、この大会が始まる前に

「多くの人がラグビーのルールを覚えています」

などという話は聞いた事がない。

だいたいルールも知らない競技に

大勢の人が興味を持ったり、

ましてや貴重な時間を使って

テレビやスタジアムで観戦するというのは、

今まであまりなかったことではないか。

「ルールを知らない競技は、見ない」というのが、

ほとんどの人が持つマイ・ルールだと思うけれど、

なぜこれほどまでに多くの人が、

そのマイ・ルールを破ったのだろうか。

 

スポーツの世界では

「強くなければ」だけではなく「勝たなければ」

支持されないと、あえて最初に書いた。

ただし、

お互いの魂をまるで可視化したような

素晴らしい試合においては、

必ずしも勝ち負けが全てではなく、

「どう戦ったか」ということの中に、

観るものの魂を揺さぶる何かが存在するような気がする。

ジャパンは最初の試合で、

この大会にかける凄まじいまでの

覚悟を見せてくれ、試合にも勝った。

テレビの画面を通してでも、

それは十分に伝わってきた。

その感覚がまさに本物であったがゆえに、

「彼らを応援しよう!」という気持ちが

瞬く間に日本中に広がったのではないか。

そんな気がしている。

 

この辺りは、大会終了後に

いろいろな記事が出てくるだろうから

今から楽しみにしているのだが、

その前に優勝トロフィーである。

「Webb Ellis Cup」はどこに行くのだろうか…。

ちなみに、

私は、スプリング・ボクスを応援します。

 

それでは、また。

 

 

笑わない男(SS)

ワールドカップ・ロスと言うのでしょうか、

せっかくの休みだというのに、

今日は何もする気が起きません。

 

「そうだ!」と、テレビをつけてみると

代表選手陣がテレビに出演しています。

メンバーの受け答えは中々見事でしたが、

中でも「笑わない男」として注目を集めている

プロップの稲垣選手に司会の加藤浩次

「最後に笑ったのはいつでしたか?」と、質問。

稲垣はちょっと考え始めたのですが、

隣にいた田村 優選手が、なんと、

「オレ、昨日見ましたよ・・・」

と、すかさず答えました。

すると稲垣は憮然とした表情で田村の方を向いて

睨みをきかせます。

他のメンバーからも声が上がり、

ハッと気が付いたように

「見間違いです!」と前言を撤回する田村。

スタジオはもちろん大爆笑でした。

つられて画面のこちら側でも笑いながら、

なんだかこのチームが解散してしまったことが

本当に寂しく感じた瞬間でもありました。

 

それでは、また。

桜散る(M)

予選を4戦全勝で突破したジャパン。

初の決勝トーナメントにコマを進め、

迎えた南アフリカ戦。

前半をなんとかこらえたジャパンに対して、

後半はギアを一段上げた感のあるスプリングボクス

結果は完敗を喫し、

ジャパンは今大会の全日程を終えた。

 

大会は続くけれど、

正直に言えば、祭りの後の寂しさを禁じ得ない。

そうだとしても、ジャパンがみせてくれた感動を

敬意と感謝とともに書かずにはいられない。

 

「ありがとう!」

 

日本代表(ジャパン)は、

もともと桜のエンブレムにちなんで

「チェリー・ブロッサムズ」と呼ばれていた。

長く世界の中では相手にされなかったけれど、

2003年のワールドカップ

強豪国を相手に勇敢な戦いをし、

翌日の現地新聞がジャパンを

「BRAVE BLOSSOMS」と讃えた。

ブレイブ・ブロッサムズとは

勇敢な戦士と言う意味である。

以来、ジャパンの愛称は、こう呼ばれるようになった。

 

歴代のジャパンはそれを引き継ぎ、

とうとう到底不可能と言われた

決勝トーナメントへ進んだのだ。

 

スポーツの世界では「心・技・体」と言う。

特にコンタクト・スポーツでは

身体の大きさはある意味決定的で、

実際多くの格闘技は体重制を敷いている。

ミドル級のボクサーとヘビー級のボクサーが

試合をすることはない。

「柔よく剛を制す」というのは、

現実的にはむずかしいのだ。

ジャパンは体格のハンディを技術で補おうとし、

一定の成果を上げた時期もあったけれど、

世界がそれに対応した時点で、

やはり身体の強さが問題になった。

結局、徹底的に鍛え身体を大きくし、

また外国人を代表に加え大型化を図った。

 

しかし、最も大切なことは

「技」や「体」にあるのではなく、

「心」であった。

繋ぐということの本質は、ここにある。

「いつか世界に伍する」という

先人・先輩の夢を

「なんとしても実現する」という「心」であり、

「心意気」であろうか。

それが選手の言動やプレーから溢れ、

それを感じられるとき、

スポーツがエンターテイメントの枠を超え、

私たちの魂を揺さぶるのだ。

 

こうなったら、

ジャパンを打ち負かした

「スプリング・ボクス」の「にわかファン」になって、

南アフリカを応援したいと思う。

 

それでは、また。

 

犬恋しい(S)

最初のワン子がうちに来てから一年後のこと。

一匹での留守番は寂しかろうと、

次の子を迎え入れた。

二匹の両親は一緒なので姉妹だった。

二匹はそれを知る由もなかったはずだけど、

本能でわかるのか、とても仲が良かった。

 

その後何年かして、

「二匹も三匹も一緒」だと言われ、

三匹目を迎い入れた。

血筋的には、二匹の従姉妹にあたる子だった。

三匹目が来た頃には、

先住の二匹はすでに体力のピークを過ぎていて、

初めはやんちゃな子に手を焼いていた。

年齢差があるせいか三匹で一緒に遊ぶことは

ほとんどなかったけれど、いつしか順位を学び、

それぞれがそれを自覚するようになってからは、

本当の三姉妹のようだった。

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実際には、二匹と三匹では

いろいろの大変さが全く違ったけれど、

いつしかそれが当たり前になった。

 

二匹が年を取り、それぞれ何度かの手術を乗り越え、

さらにはそれぞれが介護を必要となってからも、

三匹は仲良しだった。

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3年前、二匹は半年足らずのあいだに

相次いで逝ってしまった。

16歳と15歳だった。

一緒にいてくれたことで、どれほど救われたかと、

今でも二匹を思い出さない日は1日もない。

 

気がつけば、季節は進んで秋の景色に。

 

夢でいいから、

また一緒に遊びたい。

そして、一緒に眠りたい。

 

特別な日(M)

ラグビーワールドカップが進むにつれ

毎日、関連する多くの記事が配信されています。

胸が熱くなるようなものも少なくありません。

 

先日、お昼時のNHKテレビを見ていたら

京都大ips細胞研究所長の

山中伸弥先生がゲストで出演されていました。

番組タイトルは

ノーベル賞から7年 研究の今」とあり、

今年のノーベル賞の発表に合わせ、

山中先生から何らかのコメントを

引き出したいという企画でした。

どんな話になるのだろうと耳を傾けていると

先生の口からはノーベル賞とは関係なく

「95年のラグビーWカップ南アフリカ大会で、

 ジャパンはニュージーランドを相手に“17-145”という

 ワールドカップ史上最多失点の敗戦をしました。

 128点差です!

 そこから立て直して、今があるのかと思うと

 ほんとうに胸が熱くなります」と、

なんとジャパンを讃える話から

スタートしたではありませんか。

 

ジャパンとはラグビー日本代表のことで、

放送のあった時点で日本代表チームは

すでに3勝をあげていました。

ラグビーに興味のない人にとっては、

ノーベル賞の話はどうしたん?」

って感じだったと思いますが、

日本代表の活躍がよほど嬉しかったのか、

しばらくラグビーの話を続けておられました。

 

ご存知の方も多いかもしれませんが、

山中先生は神戸大学医学部時代、

ラグビー部員でした。

そして、当時すでにスーパーヒーローであった

神戸大学の平尾選手にずっと憧れていたそうです。

ふたりは同学年です。

後年、ノーベル賞を受賞したあと、

ある雑誌の企画でふたりは意気投合し、

その後は酒を酌み交わし、

ゴルフを楽しむ仲になったようです。

というか、親友。

 

そんなとき、平尾さんは癌を発症し、

その時点で余命3か月半。

ついに帰らぬ人となりました。

闘病生活に寄り添ったのは、

山中先生です。

 

平尾さんを偲ぶ「感謝の集い」で、

山中先生は遺影に向かって静かに語りかけ、

最後に

「君を治せなくてごめんなさい」と詫びました。

全文は涙なくして、とても読めません…。

 

日本代表はスコットランドとの死闘を制し、

いよいよ10月20日には、

準々決勝の南アフリカ戦です。

 

この日は平尾誠二氏の命日です。

なにか運命的なものを感じるのは

私だけでしょうか。

 

それでは、また。

 

言葉を声に乗せるということ(M)

言葉の意味がわかるということでは、

わからないより、わかる方がいい。

だけど、全くわからない場合はともかく

ほんとうに大事なことは、

何を言われたかということより、

どう言われたかということだと思う。

 

たった5文字の「ありがとう」でさえ、

気持ちがこもっているのか、そうでないのかは

それを聞かされた方は大体わかるというものだ。

乱暴な言い方をすれば、

言葉は何とでも言えるし、

何とでも書けるものである。

言葉そのものより気持ちがこもっているかどうかが、

いちばん大切なのだ。

 

前回の記事(10/9)で、

好きな音楽のジャンルとその理由について、

曲を構成する要素の優先順位を、

「リズム>メロディー>歌詞」と書いた。

要は、歌詞のウェイトが一番低い。

 

好んで洋楽を聴いてきたけれど、

最初に聞き始めた洋楽Rockの歌詞の内容に

幸いというかピンとくるものがあまりなく、

歌詞はどうでも良くなったからかもしれない。

というより正直に書けば、

歌詞のある曲については

ライナーノーツの日本語訳を見ないと、

何を唄っているのかさっぱりわからないので

歌詞への関心が薄れてしまったのだろう。

なので曲調の印象と内容が、

一致しないことがよくあった。

聞いていて意味が全く解らなければ、

歌詞に意味がないのと一緒である。

 

さらに繰り返しになるけれど、

歌詞の感性や完成度がどんなに高くても、

読むことで目から入るのと、

声を通して耳から入るのとでは大きな違いがある。

例えばある曲を別の人がカバーしたときに、

歌詞もメロディーも一緒だというのに

まるで雰囲気が変わってしまうことがよくある。

歌詞は「どう歌うか」によって、

聞き手にとっては響き方が変わるものなのだ。

 

たまたまインスト(器楽曲)を好むようになってきて、

そもそも歌詞をチェックする必要がなくなったけれど、

そうはいってもボーカル曲を聞かないわけではない。

ただ、残念ながら歌詞(英語)がわからない分、

曲の全てを味わうには程遠いような感覚が

いつも付いて廻っている感じがしていた。

作り手が伝えたいことの大事な一部を

受け取れないもどかしさと言っていいだろう。

 

最近、邦楽をよく聞くようになってきたのは、

言葉のチカラを再確認したからに違いない。

歌詞も味わうようになってきたのだ。

ただし言葉(歌詞)だけを取り出して味わうより、

どう歌うかというか、

どう表現するかが好みの分かれ道であり、

音楽の魅力はそこにあるような気がする。

 

それでは、また。