東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

多感な頃に

物心がつく前のことは覚えていないけれど、髪の手入れはずっと美容院だった。

 

17歳の頃だったと思う。

当時、私は街中(まちなか)の美容院に通っていた。

自宅からは、結構離れていて、そんなに大きな店ではなかったけれど、

当時としてはお洒落な感じだった。

その美容院を選んだ理由は思い出せない。

先に、妹が通っていたのかもしれない。妹は二つ違いだ。

 

当時、美容院のお客さまは、ほぼ全員女性だった。

1970年代の前半である。

少なくとも、私が住んでいたところではそうだったのだ。

 

男の客が珍しかったのか、女性オーナー(スタッフは先生と呼んでいた)に

ずい分と可愛がられた。もちろん店の中だけでのことである。

何をしてもらったという程のことでもなかったが、

とにかく、良くしてもらっていると思っていた。

 

私は律儀にも手ぶらで行くことはなかった。

「ケーキやお団子」のたぐいを必ず持っていったので、

良くしてもらったのはそのせいだったのかもしれない。

ませた高校生だったのだ。

 

ある時、クリスマスだったかなんだか、よく覚えていないけれど、

店に入るとイベントをしていた。

いわゆるお客さま感謝デーみたいなやつだ。

ルーレットをして、何かしらの商品がもらえるというもので、

一等賞はドライヤーだった。

 

私が入店すると、カットの手を止めた先生が近寄ってきて、

「○○くん、いらっしゃ〜い」といいながら、すぐにルーレットを勧めてきた。

「僕はいいです」と断ったのだが「みんなするんだから」と引かない。

カットをしていたお客さまはほったらかしで、

そのほうが気になるのでやむなくルーレットを回した。

スタッフからはルーレットの中は見えない。

 

回転盤が止まり、先生のひときわ大きな声が店に響いた。

「○○○○くん。すっご〜い! い・っ・と・う(一等)」

先生にしてみたら、みんなに聞かせたかったに違いない。

 

その瞬間、手を止めたスタッフ全員がこちらを向いた。

その目にあったのは「はあ~!」という、冷ややかなもので、

誰ひとり「おめでとう」という顔ではなかった。

 

本当の一等を出した私は、その瞬間からウソ付きの共謀者に成り下がり、

その美容院は居心地の悪い場所になってしまった。

当てた景品は欲しいものではなかったけれど、断ればウソ付きを認めたようで、

持って帰った記憶がある。

 

人は、その人が信じたことしか信じてくれないものである。

不幸にも、17歳でそのことを学んだが、

その後の人生を振り返ると身についたとは言い難い。

 

残念である。