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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

愛しの通販カタログ

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1970年代、CBSソニーファミリークラブという会社があって、

通販カタログを発行していた。

衣料品、家庭用品、電器製品などが載っているのだが、

当時はまだめずらしかった外国のものが多く、

カタログを眺めているだけでも楽しかった。

 

あるとき父親がテントを買った。私はまだ中学生くらいだったと思う。

このカタログで買った最後の大物商品となったテントの名前は

「オーナーロッジテント」といった。

オーナーロッジテントというだけあって全体がみっつの部屋に分かれていて、

とにかくばかでかいテントだった。

届いて一応組み立てた後、ずっとしまわれたままだった。

 

その後、この通販はあまり利用しなかったと思うのだが、

カタログは立派なものが毎年届いていた。

 

さらに何年かたったある号に「西洋芝」が乗っていた。

私は30半ばになっていた。

 

当時、芝といえば「高麗芝」であった。

球場も陸上競技場も公園もみんな高麗芝である。

高麗芝はざっくり言うと夏に強い芝なのだが、

残念ながら冬になると枯れて(休眠)しまうのが特徴である。

 

1993年にJリーグの試合が始まるのだが、

その当時はどこのグランドも高麗芝であった。

なので、リーグ戦の後半は芝が枯れてしまってピッチは茶色になってしまった。

Jリーグの試合は海外でも放映されていたが、

それを見た外国の人は

Jリーグは芝じゃないところでやってるようだ」と言っていた。

国の威信をかけて発足させたJリーグであるから、これはまずいとなった。

そこで、枯れて茶色くなった芝に緑のペンキで着色すれば、

テレビ映りも良くなると誰かが考えたらしい。

ところが、これもスライディングした選手がみんな緑色になってしまい、

かえってみっともないのでやめたという、笑えない逸話が残っている。

 

そんな中、ゴルフ場の芝は真冬でも青々しているところがあって、

不思議に思っていたのだが、それが「西洋芝」であることをあるとき知った。

ちなみに外国の競技場は基本的に「西洋芝」だったのだ。

 

知ったけれど、どこにも売っていない。

そんな時にカタログが届いたのだ。

 

ホームセンターや園芸店で売っている「高麗芝」は、

縦横30センチくらいのシート状に切った芝を10枚ぐらい束ねて売っている。

芝とはそういうものだと思っていたが、

「西洋芝」はなんと種を蒔いて育てるということだった。

とんでもない値段がついていたが、探していたものなので購入し、

宅配でそれは届いた。

 

種がくることはわかっていたので、

それは茶筒のようなものに入って届くのだろうと想像していたのだが、

届いた荷物はそれにしても小さく軽かった。

受け取りの判子を押したのだがどうも気になるので、

「すいません、ちょっと箱を開けてもいいですか?」と

配達の方に待っていただき、その場でダンボールを開けた。

配達の人に見てもらいながら自分が注文したものを確認したのは

後にも先にも、これ一回である。

 

あっと驚くタメゴロー(古くてすいません)とはこのことだ。

 

目に飛び込んできたのは、長く伸びた黒い芝生のような「カツラ」だった。

それはカツラのような芝生ではなく、正真正銘のカツラだったのだ。

軽いわけだ。

唖然として、配達の人に

「頼んだのは芝生の種なんですけど、これは・・・」と話を向けると、

「お客さんはまだカツラはいらないですよね・・・」と話を返してくれた。

要は会社のミスだったのだが、後日、無事「西洋芝」は届いた。

 

その少し後、下の子供が小学校に上がったくらいだっただろうか、

昔父親に買ってもらったテントを思い出し、久しぶりに苦労して建ててみた。

やはり、バカでかかった。

結局このテントを自宅の庭以外で使うことはなかった。

 

懐かしい思い出である。