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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

「もしかしたらクラフトで食べていけるかもしれない」と思わせてくれた一言

 

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暇な薬局をやっていた頃、

何気なくはじめたワイヤーワークが面白く、

だんだん深みにはまっていった。

 

元々は、店を飾り付ける手段として所狭しと植物を置いていたのだが、

気に入った鉢が手に入らないのが悩みの種だった。

植物の希少性にはあまり興味はなく、それよりは器を楽しみたかったのだ。

 

洋書で見る鉢はどこに行けば買えるのかもわからなかったし、

そもそもべらぼうに高かった。

数百円で買える普通の駄温鉢と同じ大きさのものが、

イタリア製ハンドメイド・テラコッタとなると、

なんと15倍から20倍の値段だったのだから、

今考えると驚きである。

 

ウッドプランターも高価だった。

 

なければ作ればいいと、最初は木製のプランターに挑戦したけれど、

技術がないのでなかなか思うようなものができなかった。

真四角のモノはともかく、角度のあるものを作るためには、

技術と道具が必要だと思い知らされたのだ。

それでも、最後の方では真四角のプランターの上部に

ワイヤーで装飾を施したりしてなんとなく満足していた。

 

結局、木はダメだと思って諦めたのだが、

とりあえずいっぱいあったワイヤーで何とかならないかと考えたのが、

私のワイヤーワークの原点である。

 

鉢を入れる器ではなく、鉢そのものを作ろとしたわけだが、

何と言ってもワイヤーは線である。

どう作っても隙間だらけになってしまう。

問題は土で、土がこぼれてしまったら器の用を成さないのだ。

 

編んだり、叩いたり(線を面にするため)してみたけれど、

最後は別の素材を組み合わせることでとりあえずは解決した。

 

当時、最も多く手がけていたのは自立するものではなくハンギングタイプだった。

理由は、植物の器だから植え込んだ後は当然水やりが必要であるが、

自立タイプに合わせた受け(皿)が作れなかったからだ。

ワイヤーで作った器では土がこぼれるだけでなく、

水もほぼストレートに出てしまう。

「水やり後、よ~く水が切れるのを確認してから部屋に戻しましょう」

などと言われても、そんな面倒なものは誰も使わない。

インドアで使いたかったら、やはり受け皿は必須である。

 

実は受け皿になるものはいろいろあるのだが、

素材感が合わないとしっくりこないものだ。

 

なのでインドアは諦め、アウトロケを前提にいろいろ考えていた。

自分が作ったものが、どこにどう置かれたらいいだろうと考えるのは楽しいものだ。

そして行き着いたのがベランダだった。

ベランダはインとアウトの境界みたいなところで、中途半端な場所である。

洗濯物を取り込んだら何もないみたいなところだ。

そんなところだから、ゆらゆらと中空に植物があったら、

もっといい空間になるのかなと考えたのだった。

そんなことを考えながら、何百もの器を作った。

もちろん全くの趣味である。

 

そうこうしているうちに、針金細工の教室を始めた。

 

薬局の一角を使っての教室だけど、生徒さんの数は順調に伸びて行った。

利益を全く求めなかったので、通いやすかったのだと思う。

 

ある時、背筋のピンとした女性が「新聞記事を見た」といって入会して下さった。

通いだしてから、程なくして

「実は、私“こういうことをしています”」と言って、一枚の名刺を差し出した。

名前の下に「英国王立園芸協会日本支部 ハンギングバスケットマスター」とある。

組織の頭に「世界なんとか」なんてあったらだいたい胡散臭いし、

英国王立なんていかにも怪しいと思った・・・。

お恥ずかしい話だが、「ハンギングバスケット」というのも知らなかった。

まあ、知らずに作っていたのだが・・・。

 

お話を伺ったら、

「ガーデンコンテストに出す作品を作るためには器から考えるのですが、

 思うようなものが手に入らない。

 既製品では差別化できないし、鉄工所に頼んだこともあるが、

 やたら頑丈だけど繊細さがない。

 ちょうど新聞で教室のことを知って、

 それなら自分で作れるようになるかと思い通ってみたが、

 相応の大きさのものを作るのは難しいとわかった。

 なので、ひとつ作っていただくことはできませんか?」

ということだった。

 

後で調べて己の不明を恥じたが、英国王立園芸協会とは権威ある組織であった。

 

彼女自身も非常に立派な方で、その上、とても謙虚であった。

後に、某殿下のお庭のハンギングを担当されていたことも知ったが、

それを言っても鼻にかけることは全くなかった。

 

彼女は教室に通いながら私の力量を見極めた時点で、オーダーを出したのだった。

 

デザインイメージはすでに彼女の中にあって、それを具体化するだけだったが、

「やらせてください」とオーダーを受けた。

 

想像もしていなかったが、これが私の初仕事であった。

 

期日はだいぶ先だったので、それには手をつけず、

「自分がコンテストに臨むとしたらこんな器がいいな」と、

別のものを作り始めた。

出来上がりイメージが1メートル近い、初めての大作である。

 

当時作っていたものは手のひらに乗る程度の小さなものが中心で、

少しずつ大きなものに挑戦していた時期だった。

ワイヤーが太くなるに連れて、当然難易度は上がって行く。

オーダーをいただいたものは、今まで作ったこともないサイズで、

使うワイヤーも太くしないと強度が保てない。

なので、そのためのエクササイズも兼ねていたのだ。

だとしても、いきなり1メートルは無謀な挑戦でもあったが作り続けた。

 

オーダーを入れた後も先生は教室に通って下さったが、

自分が頼んだものは一向に作られる気配がなく、

別のハンギングが出来上がって行く過程を黙って見ていた。

 

その後、ふたつの作品はほとんど同時に出来上がり、

オーダーして下さったものは、幸いとても気に入っていただけた。

と同時に、私が作ったバスケットを見てこう言って下さった。

 

「ハンギングの本場はイギリスです。何度も行っていますが、

 こういうバスケットは見たことがありません。

 これも譲っていただけませんか?」

 

私にとっては、これ以上の褒め言葉はなかった。

 

The one and only  (唯一無二)

 

薬局を閉めようかと本気で考え、次の道をどうしようかと真剣に悩んでいたときだ。

誰に話しても「クラフトで食えるわけないだろ!」と相手にされなかったが、

もしかしたらと、背中を押してくれた一言であった。

 

 

ブログを書き始めて、作家志望の人がたくさんいることを知った。

それを職業にするのかどうかはともかく、応援していきたいと思う。

お役に立てるかどうかわからないけど、少しずつ書いていきますね。

 

 

追記

ハンギングバスケットの先生ですが、近年「国際バラとガーデニングショー」の

吊型バスケット部門で最優秀賞を連続受賞するなど、ますますご活躍中です。

いつか機会があれば、その素晴らしい作品をご紹介したいと思います。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございます。