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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

伊香保の夜

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前回の「大阪の夜」を思いがけず多くの方に読んでいただけたので、

気をよくして今回は「伊香保」です。

伊香保榛名山麓にある温泉地ですが、

ご存知の方も多いのではないかと思います。

 

2014年2月14日、金曜日。

昼過ぎから降り出した雪は勢いを増し、

社内で会議を終えた頃には結構な積雪となっていた。

 

先週も降ったばかりなので「またか」と思いながら、

この後に業者会が控えていたので、

とりあえず現地に向かって車で走り出した。

 

会場は伊香保の老舗旅館で、

宴会後はそのまま泊まって次の日に帰るはずであった。

旅館はどんなにゆっくり行っても会社から20~30分のところなのだが、

この日はすでに幹線道路が渋滞していて、結局1時間近くかけて到着した。

 

ちなみに私が住んでいるのは前橋市で、関東平野の端っこである。

少し走れば榛名山赤城山だけど、雪はほとんど降らないところである。

その日までは。

 

業者会の出席者は50~60人くらいで、雪で来られない人はいないようだった。

みんな、そのうち止むだろうと思っていたのだろう・・・。

私もそう思っていた。

 

宴会が終って、二次会をパスして部屋に戻った。

ほとんどの業者会は大部屋で、このときも5人部屋だった。

次の日は休みを取っていたので、たまにはゆっくり旅館の朝食もいいなと、

起きた後のことを考えたりしながら眠りについた。

 

4時ぐらいだったであろうか、夜明け前である。

寒くて目が覚めた。

私だけでなく、全員が起きてしまったのだ。

 

「なんかさむいですねえ」と言いながら誰かがカーテンを開けると、

外はとんでもないことになっていた。

部屋からは駐車場が見えるのだが、積雪は車の屋根を越えていて、

自分の車がどれだか全く分からない状態だったのだ。

 

そのうち館内放送があり、雪でボイラーが壊れてしまったことを知った。

寒いわけである。

テレビをつけても、状況は全く分からない。

ほとんど全ての道路が通行不能になってしまったので、

報道関係者も取材にいけなかったのだろう。

なので、報道もされない。

 

「これじゃ降りられないねえ」と話していると、また館内放送があった。

「板前さんが出てこられないので、朝食が作れない」と言う。

メシより何より問題は帰れるかどうかなのだが、結局おにぎりが振る舞われた。

 

それを食べながら外を眺めていると、旅館の人が消防のホースのようなもので

玄関先の雪に向かってお湯をまきはじめた。

この宿は源泉を引いているので、ボイラーが止まってもお湯が使えるのだ。

しかし、消防みたいなホースを持ってしても、雪はなかなか解けない。

何もすることがないので、みんなで見ていたが遅々として進まなかった。

 

私は休みを取っていたが、会社は稼働しているので

いくつかの対応を考えなければならなかったが、

現実的に誰一人動ける人がいないようなので、どうにもならない。

除雪が進まず、車が使えないのだ。

雪の重みでガレージがつぶれた社員が何人もいて、その報告も入ってきた。

とにかく誰も出社できないということである。

 

午後近くになっても下(前橋市周辺)の状況は全く分からないし、

そもそも伊香保から降りる道が除雪されたのかも分からない。

「今日は降りられないかもしれない」とみんなで話しながら、

ただごろごろしていてもしょうがないので、

外の雪かきを手伝ったりしているうちに日が暮れてきた。

 

そして、三度目の館内放送があった。

「連泊してください」とのアナウンスであった。

 

「やっぱりそうか」である。

 

そうこうしている内に、夕飯の案内があった。

会場は大広間ではなく、なぜかカラオケルームだった。

「何ももてなしができませんが」と、給仕をする宿の方の言葉であったが、

出していただいたカレーはとてもおいしかった。

 

全員が食べ終わったのを見計らって、業者会の主催者がマイクを取った。

 

「今回、宿の計らいで連泊することになりました。

 御代はいらないということです。

 ありがたいことですが、それではさすがに申し訳ありません。

 ですので、これからこの宿にあるお酒を全部飲んで、

 そのご厚志に応えたいと思います。

 その分の代金はお支払することになるのですが、これは会のほうで出します」

 

もちろん全員賛成である。

 

こうして宴が始まった。

 

閉じ込められた者の連帯感もあったのだろうか、

妙にハイテンションなカラオケは延々と続き、

最後はなんだかわからないけどサライの合唱になった。

よく知らない歌だったのに、何度も歌っているうちに覚えてしまったくらいだ。

 

仕事柄、多くの業者会に出てきたが、

後にも先にもこれ以上楽しい宴会はなかった。

しかし平常を取り戻した後も、このことを誰かに話すことはできなかった。

 

この日の前橋の積雪は73センチ。観測史上初の大雪であった。

 

追記

同室に、食品問屋の社長さんがおられた。

都内から社長さんのところに向かっていたトラックが、

途中で全く身動きが取れなくなってしまった様子だった。

社長さんがドライバーに電話をしてその状況がわかったのだが、

その時ドライバーに言ったこのセリフを聞いて欲しい。

「荷台に行って、どれでもいいからダンボールを開けて好きなものを食べろ。

 ジュースもあるはずだから、それも飲め。

 社長の俺が言ってんだから絶対遠慮なんかするなよ」

外の雪を溶かすほどの熱い言葉だった。