東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

和歌山の夜

f:id:wired1997:20180922084747j:plain

2015年9月12日、朝早く自宅を出て和歌山に向かった。

 

新幹線から乗り継ぎ、目的地近くの海南駅に着いたのはお昼近くであった。

f:id:wired1997:20180922085943j:plain

駅から少し歩いてその日泊まるところを確認した後、

急いでタクシーで目的地である「秋葉山公園・県民水泳場」に向かった。

 

話を一週間前に戻す。

当時、会社には日本を代表するアスリートが所属していた。

北京オリンピックに出場した選手で、

いわゆるオリンピアン」である。

次のロンドンオリンピックでは残念ながら代表からもれてしまい、

現役(代表クラス)を引退したのだが、国内のレースには参加していた。

 

代表時代は大会やら合宿やらで、会社にいることはほとんどなかったが、

引退後は、ほぼ普通の社員と同じ業務をこなし、

それでも仕事を終えてから練習を継続していた。

引退したとはいえ、日本記録はまだ破られていなかったし、

実技指導や講演など、業務とは関係ない依頼も多かった。

アスリートの頂点を極めたオリンピアンは人気者なのだ。

なので会社の理解もあり、そういった活動も続けていたのだった。

 

そんな彼が、和歌山市で開かれていた「わかやま国体」に出場が決まった。

その時点では「いってらっしゃい」ということだったのだが、

突然「広報部の仕事だ。応援に言ってこい」となった。

 

それにしても大会一週間前である。

行けと言われれば行くだけなのだが、問題は泊まるところである。

幸い会社に旅行部があり、早速手配をお願いしたのだが国体期間中の、

このタイミングでは中々見つからない。

当然といえば当然である。

さすがに日帰りともいかないので、範囲を広げてようやく見つけてもらった。

小さなビジネスホテルの一部屋だけ空いていたという。

 

「すいません、ここなんですけど」と、

担当がネットから引っ張ってきた写真を見せてくれた。

外見は怪しい民宿のようで驚いたが、いかんせんしょうがない。

文句は言えなかった。

 

会場の前でタクシーを降り競技場に向かう道を歩きながら、

すでに現地入りしている彼に電話を入れた。

 

でない。

 

「・・・忙しいのだろう」

 

坂道を登りきって会場の屋内プールのところまで来ると、

案内所が設けてあり、なにやら券を配っていた。

応援の人が全国から来るので、

その券を事前に申し込まないと会場に入れない仕組みのようだった。

自分が応援する選手が出る時間帯だけ入場が許されるようだ。

無用な混雑を避けるためである。

なるほどな。

 

そこで、また彼に電話を入れてみる。

 

でない。

 

「・・・まだ忙しいのだろうか」

もちろん、このぐらいに着くことは事前に知らせてある。

 

とりあえず入場券の手配をしてプラプラしていたら、

午前中の予選結果が張り出されていることに気が付いた。

レースを見るのは初めてで、午前中に予選があることも知らなかった。

予選から見るためには前泊していないと間に合わないが、

彼からは「お昼ぐらいに着けば大丈夫です」と聞いていた。

まあ出場種目はわかっていたので、時間つぶしに彼の名前を探すことにした。

よく見ると決勝レースの時間と組み合わせも出ていたので、

それを見始めた。

 

なぜか、ひと通り見てみたが見つけられなかったので、

もう1度、丁寧に指を添えて確認していった。

 

あれ? 

彼の名前がない。

 

一瞬、彼は招待枠みたいな扱いで、別枠に名前があるのかと思った。

何と言っても彼はオリンピアンである。

しかし、そんな枠はなかった。

 

相変わらず電話が繋がらないので、今度は予選の結果表を見始めた。

何か連絡も取れない不測の事態があったのかと、ちょっと心配しながら・・・。

そして驚くべきことを発見した。

 

書くのは辛いが、彼は決勝に進めなかったのだ。

 

そうこうしているうちに、入場時間がやって来た。

見るべきレースはもうないのだが、このまま帰るわけにもいかない。

そもそも連絡すらついていないのだ。

入ってみると一般観覧席の反対側が選手達の場所で、

国体なので県別にまとまっているようだった。

目をこらすとヘラクレスのような彼が、いるようにも見えたが、

とうとう会場を後にするまで連絡はつかなかった。

 

広報部に異動して来るまで私はある事業部を預かっていたのだが、

彼はそこのメンバーであった。

ちょうど長男と同じ歳ということもあって、とても可愛がっていた。

予選を通らなかったことを叱ったり怒るはずもないことを、

彼は承知しているはずだと思っていたが、なんだか少し寂しかった。

年長者に対して、とても礼儀正しい男である。

それでも電話に出ることができなかったのは、

オリンピアンとしてのプライドだったのだろうか・・・。

 

それにしても「バカヤロー」と思いながら、結局一枚の写真も撮らず、

連絡を取るのも諦めて、着いて直ぐに確認しておいた宿に戻った。

 

外観はともかく、通された部屋を見て、正直このまま帰ろうかと思った。

トイレも洗面所もなく、風呂もない。

畳の部屋だったが、部屋の真ん中あたりには端から端へロープが掛かっていた。

洗濯物を干すためのものらしい。

ビジネスホテルと言っていたが、こういう部屋は初めてだ。

 

「申し訳ないんですが、仕事の都合で急きょ戻ることになりました。

 宿泊料(先払いしてある)はもちろんこっちの都合なので、

 そのまま収めておいてください」と、

下手な言い訳を言って帰るつもりになり、苦労して時刻表を調べたのだが、

いかんせん電車に乗り馴れてないので、終電に間に合うのかがよくわからない。

 

そのうちそれも面倒になってきて、まだ早かったけど夕飯をとりに外に出た。

昼間は気がつかなかったのだが潮の香りがして、ちょっと驚いた。

急な出張だったので、地図などまったく頭に入っていなかったのだ。

そして、少し歩いてみたら思いがけず海に出た。

 

ぼんやり眺めているうちに陽も落ちてきて、

未だ連絡をよこさない“大バカ野郎”に腹を立てていることもバカらしくなってきた。

見渡せば夜の帳が下りた街並みはとても美しく、

大変だった1日の疲れを癒してくれた。

 

こんな日もある。

 

その後、少しして彼は退社したのだが、

辞める前に卓(麻雀)を囲んだときの話を前に書いた。

 

wired1997.hatenablog.com

 

元気で頑張っていると聞く。

なによりだ。

 

追記

帰りの電車で思わず撮った一枚。

f:id:wired1997:20180922085824j:plain

 

それにしても思い出すのは、部屋に戻って自分で布団を敷いた後、

寝転んだ真上に垂れ下がっていたロープの記憶。

あの日は夢を見たのだろうか・・・。