東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

じゃあまたね(L)

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私には2つ下の妹がいます。

お互い年をとったけれど、とても仲が良い兄妹です。

東京にいるので会おうと思えばいつでも会えそうなのに、

なかなか会えないのがちょっと残念です。

 

先日ある会合で、絵画教室の代表の方と挨拶を交わしました。

絵画教室の名前はうろ覚えだったのですが、

大昔、妹が通っていたところかもしれないと思い、

「だいぶ前のことなんですが、

 銀行に勤めていた妹が通っていたような気がして・・・」

と話を向けると25年前ぐらい前のことだというのに、

何と妹の名前まで覚えていました。

びっくりです。

 

私が高校に入る頃、両親が離婚しました。

妹はまだ中学生でした。

今と違って、離婚する夫婦はまだまだ少なかった時代です。

 

その頃のことはあまり思い出せないのですが、

早熟だった私は親の離婚に対しても、

割と淡々としていたような気がします。

遊んでばかりいた私ですが、

唯一気がかりだったのが妹のことで、

グレたりしないようにと、

妹といる時間を意識して増やした記憶が残っています。

 

それが良かったのかどうかは分からないけど、

ちょっと「お兄ちゃん子」にしてしまったようでした。

社会人になってからも「お兄ちゃん子」は変わらなかったので、

たくさんいた妹のファンから私は疎まれていたかもしれません。

 

妹はどちらかというと内向的で、気が小さく真面目でした。

私はずっと相当好き勝手なことをしてきたのですが、

妹から批判めいたことを言われたことが一度もありません。

本当に「できた妹」で、今もそれは変わりません。

 

昨日、友達から後輩の訃報を知らされました。

彼とは一緒にラグビーをしたりバンドもしたりと、

いわゆる遊び仲間だったのですが、妹の同級生でもありました。

 

いつだったか、彼がウチに遊びにきたときに

「最近、妹に変な電話がかかってくる」(当時は黒電話のみの時代です)

 と、話したら

「今日から俺がここで番しますから、大丈夫です」

 と、胸を叩いて真顔で答えました。

 

彼が言う番とは「駐車場で仁王立ちする」ことのようだったので、

いたずら電話に効果があるとは思えなかったけど、

兄としてはとても嬉しかったことを今でも覚えています。

 

妹のことを好きだったのか、

彼に聞くことはできなくなってしまったけれど、

訃報を聞いた時に、あの日のことが思い出されました。

 

合掌。