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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

社内広報誌/今日の仕事(L)

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事業部から広報部に異動して、

最初に任された仕事が社内広報誌の発行でした。

広報部の中で、

ちょうど企画していたタイミングで私が異動してきたのか、

私が異動してきたので、企画したのかはっきりしないのですが、

とにかく社内広報誌を発行することになりました。

私が異動してきたからといっても、

私にその経験があったわけではなく、

人が増えたから新しいことをやろうということです。

 

元々なかったわけですから、

広報誌作りのノウハウは誰も持っていません。

広報誌を出すにあたって役員に最初に提出した企画書では、

月1回発行/A4の両面(2ページ)カラーで、

編集は外部委託というものでした。

 

要は集めた素材(記事や写真)をデザイン会社に送り、

レイアウト及び印刷はプロにお願いするというプランです。

丸投げではありませんが、それなりの予算を組まなければなりません。

この案は言下に却下され、下された裁定は自社発行でした。

さらにページ数は倍の4。A3二つ折りで4ページとなる感じです。

 

「えらいこっちゃ」と、なんちゃって編集会議を開き、

「4ページを4人で分担しよう」となりました。

 

記事の最初に「任された」と書きましたが、

そもそもはこんな風にみんなで作っていくはずだったものが、

結果的にひとりで作っているという現実を、

皮肉と自虐を込めて表現したものです。

編集会議も記憶では数回開かれただけで、

第3号くらいからは専任制になったのでした。(苦笑)

 

やったことのない事をするわけですが、

仕事である以上たとえ社内向けのものであっても、

一定のレベルが求められるというか、

笑われるようなモノは出したくないものです。

相談する人もいないので、

とにかく自分で勉強しないと前に進めません。

 

仕事では多くの場合「やります」と言っただけでは話にならず、

常に「いつまでに!」が求められます。

これは私の最も不得意なところなのですが、

広報誌作りにおいては発行日が決まっているので、

常にカウントダウンが鳴っている状態です。

実は、来月号が気になり始めているのですね・・・。

 

1号につき、大体10記事くらいを掲載するので、

創刊号(2015年7月)から数えれば、

既に400近くの記事を書いたでしょうか。

A4四枚に10記事と考えれば、

ひとつの記事の長さが概ね想像できると思います。

3年以上も続いているので、書くのは慣れているともいえますが、

文章が上手くなった感じは全くありません。

そもそも広報誌は記録的な意味合いが強いので、

書き手の主観(意見)は不要です。

単に事実を要約して社内に周知するという感じですね。

 

それにしても、ひとつのことをず~とやっていると、

だんだん飽きてきます。

それに輪をかけるのが、この場合は読者(約850人)の無関心です。

社内広報誌なので、読者イコール従事者です。

ひとつの例を挙げると、

比較的目立つところの一連の文字のフォント(字体)を、

こっそり変えてみました。

表紙部分です。

1月号から変えたのですが、

未だに誰も気がついていないようです・・・。

へこむほどのことではないけど、ちょっと寂しい・・・。

 

散々記事らしきものを書いてきたけど、

全く反応がなかったので、

はてなスター」や「コメント」を頂いた時の嬉しさは格別でした。

 

私がブログを始めた目的や背景は、

最初の頃の記事で書かせてもらいましたが、

今ではそれも何処へやらと言うくらい、

書くこと(読むことも含む)自体が目的化してしまいました。

理由は簡単。

たのしいから。

 

ところで、広報誌作りのほぼ全てを1人で仕上げることによる、

負担と不安と苛立ちはともかく、獲得したものもあります。

それは、またいつか書こうと思いますが、

年が明けた2019年1月1日が次号の発行日で、

第43号となります。

 

それでは、また。