東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

言葉のチカラ(M)

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40代の後半で、経営していた薬局を閉めた。

 

そこに至る詳しい経緯は、

まるで出来の悪い三文小説のようだったけど、

今更それを書く気にはならない。

とにかく、一生それで食べていけると思っていたので、

実際に閉店することを決意した前後は、

心身共に相当参っていた。

 

運転資金は厳しくなるばかりで少しも好転しなかったし、

閉めた後に何をして食べていくのかも決めかねていた。

新たな商売に踏み出すプランやアイデアもなく、

肝心な資産もほとんど残っていなかったので、

まさに先が見えない日々を送っていた。

当然、仲間の集まりにもほとんど顔を出さなくなっていた。

 

そんな頃、後輩の結婚式に呼ばれた。

 

一回り以上も若い彼はいわゆる遊び友達で、

バンドの仲間でもあった。

遊ぶお金に困ったことがない甘ちゃんが、

いい年をして身動きが取れなくなり、

もがいている姿はまったくみっともない。

仲間に会うのがなんだか恥ずかしくて、

返事を出しそびれていたけれど、

祝ってあげたかったし、

さすがに不義理はできなかった。

 

当日は、式が始まるギリギリに会場に入った。

 

自分が置かれている状況は、

仲間のほとんどが知っていたはずだけど、

誰もそのことに触れたりはしない・・・

そう思っていたところで、

ある先輩が声をかけてきた。

 

先輩とは社会人ラグビーのチームで、

10年以上も共にロックをやって、

バンドも一緒だった。

明るくて、頭が良くて、

一緒にはちゃめちゃに遊んでいるのに、

きちんとした生活設計も持っている、

そんな先輩だった。

先輩は、いつものニコニコ顔でこう言った。

 

「お前はもう少しできると思ってたんだけどな」

 

この言葉にどんな意味を持たせたかったのかは、

正直わからない。

その日の状況を考えてみても、

たぶん思いついたことを、

そのまま言っただけなのだろうと思う。

普通に考えれば、

「おまえ、ダメじゃん」って意味だ。

本当は、そう思って言ったのかもしれない。

 

不思議なのは、

その言葉を聞いて

ひどい自己嫌悪に陥っていた自分が、

「自分をそんなふうに認めてくれていたんだ」と、

全く逆に受け止めたということ。

 

その後、今に至るまで、

私はどうやら苦労の神様に好かれ続けている。

大概のことには驚かなくなってきたけれど、

それでも苦しくなることもある。

 

そんな時、決まってこの言葉を思い出す。

この言葉が自分にチカラを与えてくれるのだ。

 

「お前はもう少しできると思ってたんだけどな」