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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

選択的孤独(L)

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「ここまで言ってもだいじょうぶ」っていう、

対人関係のボーダーラインは目に見えません。

なので、気心(きごころ)の知れないうちに、

うっかりそのラインを踏んだり越えたりすると、

「デリカシーのない人」と思われ心象を悪くするか、

場合によっては嫌われてしまいます。

でも、親しくなりたかったら、

とにかく相手のラインの中に入らなければ、

何も始まりません。

 

ラインに色が付いていたらわかりやすいけど、

だからと言って実際にそれが見えてしまっては、

つまらないような気もします。

人生にはドキドキも必要です。

 

そもそもラインは固定されていないので、

日々その人の気分で変わるのが常です。

さらに相手によっても位置を変えるという、

なかなか厄介な代物なので、

いちいちそれを推し量(はか)るのは、

ドキドキするけどちょっと面倒でもあります。

 

元々そんな気質があったのだろうと思いますが、

ここ何年か、いや10年以上かもしれません、

敢えてラインに近づくことを避けてきました。

実際にはラインに近づかなくても、

困ることなどほとんどありません。

とにかく新たな関係性を築く気分にはなれず、

色々なことが億劫になっていたような気がします。

 

そんなプライベートですが、

仕事も含めて他者との関わりというのは、

常に目の前にいる人とのリアルな相対です。

好むと好まざると、日々それが繰り返されていきます。

 

そんな現実的な関係性しか知らなかったのに、

半年前、SNSという新しい世界に飛び込んでみました。

初めてなので何の知識も免疫性もなく、

とにかく手探りでやってきましたが、

少し前、何かを知ったり知ってもらったりする先に、

さらに別の世界があることに気がつきました。

仮想空間にある現実世界とでも

言ったらいいのでしょうか。

それは全く想像もしていなかったことで、

その高揚感に自分でもびっくりしたほどです。

それは、

遠くにいて本当の名前すら知らない人であっても、

何かを通わすことが出来るんだということ。

それが相対で無くても出来るんだということ。

 

書いてみれば、たったこれだけのことですが、

それが驚きというより、とても嬉しかったのです。

 

自らの意思で、ここ何年もの間、

少し心を閉ざしてきた自分がいます。

たまたま今日、

手にした雑誌(PRESIDENT.2019.3.4号)に

選択的孤独という言葉が載っていて、

これに近い感じなのかなと思いながら、

この記事を書き始めました。

 

何かを通わすことは、

何かを分かち合うことなのでしょう。

分かち合えていると感じた瞬間から、

言葉にできない何か暖かなものが生まれ、

その暖かなものが押し込まれていた心にすっと入り込んで、

その頑なな心の扉を開けてしまったかのようでした。

誰かと繋がっているかもしれないと、

それがたとえ思い込みであったとしても、

それによってこれほど心が解放されるとは、

本当に想像すらできなかったことなのです。

 

ありがとうございます。

ブログを書き始めて、ほんとうに良かった。