他者との関係性の中に(L)
たまたま手にした本の中だったり、
友だちとの何気ない会話の中で、
それまでずっともやもやしていた頭の中が、
「なんだ、そういうことか」と、
すっとわかったようになるときがある。
「そっか、そうすればいいんだ」
「そうだよね。そう考えればいいんだ」って。
歩き回っているうちに峠を越えたみたいで、
立ち込めていた霧がすっと晴れ、
いきなり視界が開けたような感覚。
「なに悩んでたんだろ。ばっかみたい!」
そんな感じ。
最近はそれにプラスして、
他の方のブログを読んで気付かされることもある。
「そっか。そうだよね」って。
なのに少しして気が付くと、
雲の上に出たはずが、
いつの間にか視界が悪くなって、
またしても「もやもやの中」にいる。
雲が上がってきたのか、
はたまた道を間違えて、
気がつかずに道を下ってしまったのか、
自分でもよく分からないけど、
とにかく「もやもやした中」に逆戻り。
ここのところ、ず~とそんな感じで、
いささか自分で自分を持て余していた。
それにしても上がったり下がったりは、
本当にくたびれる。
最後に記事を公開したのが2月28日。
他者との関係性について考え出したら、
なんとなく書けなくなって、
なんと10日も過ぎてしまった。
リアルとバーチャルの両方だったので、
余計にしんどかった。
少し前の記事で
「何日書かずにいると、アクセスがゼロになるのかな」
と書いた。
実際このブログは『はてなの住民』にしか読まれていない。
正確な言い回しはわからないけど、
外部からの流入というのだろうか、
それは未だにほぼゼロ。
グーグルやヤフーからのアクセスは、
足しても2%というのが続いているので、
たぶんそういうことなのではないかと思っている。
(*間違っていたらごめんなさい)
そんな環境でも、
アクセス・ゼロにはなかなかならないもので、
アクセス数の棒グラフ(はてな提供)を、
不思議だなあと思いながら眺めていた。
とにかくそんな10日間だった。
ゼロに憧れてるわけじゃないけど、
なんとなくゼロに挑戦する絶好の機会だと思って、
わけもなく頑張っていたのかもしれない。
絶好の機会というのは、
最初に書いた通り、いろいろ考え込んでしまって、
こんなときは物事を前向きに捉えることができなくなる。
もとは些細な事だったはずなのに、
自己肯定感というか自尊感情が低いので、
考えだすとどんどん元気がなくなる方向に行ってしまうのだ。
他者なしでも成立する自己存在感と異なり、
関係性の中で自覚する肯定感がどんどんマイナスに向かう。
それが続くとだんだん投げやりになってくるものだ。
そうなるとブログの更新についても、
「別に書かなくったって・・・」
という気持ちが勝って、そこから抜け出せなくなるのだ。
ちなみに物を捨てるときは、こういうときが良いそうだ。
元気なときは、
「これって、いつか使うかもしれない」
と考えがちだけど、
疲れていると、
「まあいいや、捨てちゃえ・・・」って。
疲れているときの効用ですね。
これが本当なら、
断捨離をするなら元気なときにやってはいけないということ。
流石に自分に呆れ気味になって、
気分転換というか、リセットというか、
大好きな模様替えをしてみたけど、
結局気に入らなくて元のレイアウトに戻した。
シュミレーションでは良かったのに、
いまいちパッとしなかった。
4時間かけて、何やってんだってかんじ。
それでも、おっきな家具を3つ移動して、
また戻すというチカラ仕事をしたせいか、
何かが切り替わった気がする。
そもそも悩み始めのもとは、
大したことではないのだから、
そろそろプラス思考にしなくちゃいけない。
それを気付かせてくれたのも、
結局は避けていた関係性の中にあった。
人はどうあがいても、
他者との関係性の中で生きているのだ。
少しずつ書き足して、
日記的な長い長い記事を書いていたけど、
なんとなく元気が出てきたので、
その原稿はポイだ。
もうすぐ大切な友だち(だと思っている)の、
大切な日が来る。
だから元気にならなくっちゃ。
2月4日、石川セリの「セクシイ」を紹介したら、
とある先輩ブロガーに感謝された。
これも気に入ってくださるかもしれない。
ライブバージョンで、
「まだ本当の題名はついていないんですけど・・・」
という始まり方です。
レコードより、こっちの方がいいかもしれません。
LILY(1952-2016)です。
いよいよ春です。
それでは、また。