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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

桜が散る前に書いておこうかな(S)

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「桜の木に教えてもらったこと」なんて、

大層なタイトルをつけた割には、

ほとんど内容がないという、

昨日アップした記事。

それでもコメントを入れて下さる

ありがたい読者の方がいて、

まったくもって感謝に耐えない。

 

そう思いながら昨日の結果を考えてみると、

桜(の木)は

「数えるものではなく、愛でるもの」という、

極めてあたり前のことが、

改めてわかったということだった。

まあ数えたところで、

「それが何か?」ということでもなく、

単なる思いつきの遊びだったので、

結果がでなかったことに、

さしたる未練があるわけではない。

意地になって再挑戦したところで、

事故でも起こして人様に迷惑をかけては、

元も子もない。

そう思いながらも、

Googleストリートビューを使えば、

何本あるのかわかるような気もしてきたけれど、

最初に書いた通り、

そもそも数がわかったからといって、

「だから何?」ってことなので、

そんな悪あがきは考えずに、

桜を使った動体視力検査遊びは

潔く止めることにした。

 

結論から言えば

「桜は、感じて愛でるもの」

ただただ、これに尽きるということだろう。

 

ところで、ぼんやりとしか眺めてこなかった桜なのに、

今回、ひとつだけ気がついたことがある。

何かと言うと、咲き誇る桜の花の一番外側と、

背景に見える空との境界線って、

何となくあやふやだなぁっていうこと。

昨日はあいにくの曇天で、

薄い灰色の空を背にした花びらの淡い桜色が、

空との境界線あたりになると、

ほわ~っと一体の色になって見えたのだった。

花びらが空に溶け込んだといったらいいのだろうか。

どこまでが花びらで、どこからが空なのか・・・。

 

きっちりと線が引けない世界。

きっちりと線を引かない世界観。

なんだか、あいまいな世界がそこにあった。

もしかしたら、

これも「桜」が永く広く人々に愛されてきた、

多くの理由の中の、ひとつなのかもしれない。

そんなふうに感じた。

 

それでは、また。