五感に思う(S)
人は何かを感じるために、五感を使う。
そして何かを伝えたければ、人の五感に訴える。
五感を研ぎ澄ますという言い方があるくらいだから、
ほっておけば錆びてしまうのかもしれないけれど、
たとえ錆びつきがちだったとしても、
もし与えられたものが五感であるならば、
そのことに感謝をすることが大切なんだと思う。
意識せず、あたり前だと思っていること(もの)の中に、
そうでないこと(もの)はたくさんある。
最初から与えられなかったこともあるだろうし、
持っていたけれど、失うことだってある。
ところで、五感の感受性ピークはいつごろだろうか。
衰えと病気の境目は曖昧な気がするし、
よほど急激に衰えることがない限り、
気が付きにくいような気もする。
幸いにも五感を使いながら生きてきたのに、
最近はどれも怪しくなってきた。
受感センサーが耐用年数を越えたのか、
それを処理する能力が落ちてきたのか、
はたまたその両方だろうか。
そのせいか、激しく心を揺さぶられるようなことが
めっきり少なくなってきたような気もする。
インプットが少なくなれば、
アウトプットも減る。
どうしたもんかと、時々考えてしまうけれど、
「歳をとったな」と嘆く前に、
成熟してきたということにしておこう。
それでは、また。