東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

物は言いよう(LL)

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将棋の藤井聡太七段の記事を読んでいて、

ある日、ある人の、ある言葉が蘇ってきた。

 

唐突だけど、私は将棋参段である。

三段と書かずに敢えて参段と書いたのは、

持っている免状に、そう記してあるからだけど、

そう書いた方が何となく強そうな気がするからでもある。

その免状は20代前半に日本将棋連盟から授与された。

念のために書いておくと、

参段といってもプロ棋士の持つ段位とは全く別物で、

あくまでアマチュアの参段である。

 

段位は日本将棋連盟の発行する「将棋世界」などの雑誌で

通信教育みたいなやり取りをしながら取得するか、

街の将棋道場などに通いながら実戦を積み、

腕前に合った級や段をいただくというパターンがある。

前者は言ってみればペーパードライバーのようなもので、

独学をベースに時どき実戦という感じであろうか。

 

強くなるためには専門書などを読み、

定跡や戦法を覚えることが必要だけど、

座学だけでは限界があるのも事実である。

覚えたことが実際に通用するのかどうか、

実戦を通して試したくなるもので、

その相手が欲しくなるものなのだ。

 

本来、将棋は相対で指すもので、

だからこそ楽しいし、負ければ悔しい。

ところがそれがわかっていても、

同じ棋力を持った人が身近にいればいいのだが、

なかなかそうもいかない。

なので、ホンモノの実力をつけたい人は、

相手を求めて道場の門をくぐるのだろう。

 

とは言え、やはり道場というのは敷居が高い。

近くにあるとも限らないし、月謝もかかる。

かく言う私も、道場に行ったことは一度もないのだが、

道場に行ったらどうかと想像してみると、

たとえ参段を取得した当時でさえ、

その場で「私は参段です」と言う勇気は

とても持てなかった気がする。

たぶん道場主に「あなたは3級くらいかな」

と言われても素直に受け入れていたに違いない。

参段と3級ではえらい違いだけど、

実際は、その程度の実力だったということだ。

 

最近はネットで対戦を楽しむ環境があるとはいえ、

相対の面白さにはかなわないような気がする。

 

話が逸れてしまったけれど要はペーパー参段では

全くたいしたことはないということだ。

であるが、正真正銘の参段免状を持っているのは事実なので、

さらっとそのことを話したりすることもあった。

店(薬局)をやっていた30代の後半くらいの頃だったと思う。

その頃、普通の会話で将棋が話題になることは

よほどのことがない限り考えにくかったので、

話したといっても数人足らずだったはずだ。

まあ、ちょっと自慢げに…。

 

ある日、そのことを覚えていたある方が、

「公民館でやっている囲碁・将棋教室があるんだけど、

 先生をやってもらえないか」と相談に来られた。

その方は地区の自治会の役員だった。

どうやら囲碁は盛んだけど、将棋は誰もやらないようで、

せっかくの二枚看板が泣いていると。

それは指導する人がいないからだということだった。

話を聞いて、ちょっと面倒だということ以外、

断る理由もなかったので、あまり考えずに引き受けた。

 

ほどなくして、歩いて数分のところにある公民館に

恐る恐る出かけてみた。

畳の部屋では碁盤が三つ置かれ、すでに勝負が始まっていた。

さらに、それを覗き込むように、

順番を待つ人がひとりいて、

「どこかが終ったら、やりますか?」と

声をかけてきた。

囲碁はルールすら知らないのでお断りをし

自治会の◯◯さんにお願いされて・・・」と

経緯を話したら、話は伝わっていたようで

「ああ将棋の先生ですか。お待ちしてました」

と返してくれた。

その方はとにかく囲碁を打ちたくて来ているとのことだったけど、

一応将棋も指せると言う。

日曜日の午前中に放映されている

NHKの将棋講座はよく見ていると。

 

ちなみに、公民館にいた方々は7名。

みなさんご近所の方のようで、

見たことあるような、ないような方々ばかりだった。

平均年齢は優に60を超えていたであろう。

現役を退いて、悠々自適という面々である。

当時30代後半の私から見たら大先輩であり、

私は相当緊張していた。

「せっかく来てもらったんじゃ、一局お願いしようかな。

 薬局のお兄ちゃんが参段を持ってるみたいで、

 今度教えてもらえるようになったと、

 ◯◯さんから聞いたよ」と言われてしまったので、

初日は様子見などと高を括っていたのだが、

「よろしくお願いします」と、対局を始めた。

 

ここで言い訳がましいことを書くと、

免状を取ってからは、将棋熱が冷めたというより、

相手(好敵手)がいなくなってしまい、

ほとんど将棋を指さなくなっていた。

のこのこ出かけて行ったのはいいけれど、

実は10年近くのブランクがあったのだ。

 

察しのいい読者ならお分かりだと思うけれど、

勝負の結果は「ぼろ負け」であった。

先生などと持ち上げられて、

穴があったら入りたいとはこのことである。

碁を打っている方々も勝負の行方を気にしているのが、

手に取るように伝わっていたので、恥ずかしかった。

もう一局とはならず、駒を片付けながら、

そのときの、その方の台詞が心に響いた。

 

将棋の終り方は、負けを認めた方が

「負けました」「参りました」

あるいは「ありません」と相手に伝え、

頭を下げたところで終局となる。

大逆転であろうが、僅差であろうが、

どんなに悔しくても潔く負けを認めることが

将棋の作法である。

対して、勝者が勝ちを誇ることもしない。

 

「負けました」と言った自分に、

その方はこう返された。

「先生が、手を緩(ゆる)めてくれたので、

 勝たせてもらった」と。

 

人の品格は、言葉に出るものだ。

気が付けば、いつの間にやらその方の年齢になる。

あの日のことを思い出しながら、

今の私に同じセリフが言えるようになっただろうかと、

そんな声が聞こえてきた。

 

それでは、また。