東京まで77.7マイル

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オリンピックが閉幕して感じたこと(S)

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中国での冬季オリンピックが閉幕しました。

多くの感動的なシーンが生まれた一方で、

残念ながらジャッジの難しさを

多くの方が感じたのではないかと思います。

オリンピックはショーではなく競技会であり、

勝ち負けを決する場です。

メダルを取るために「死ぬ気で頑張る」と言う、

一流アスリーの言葉は単なる比喩表現ではなく、

現実的な選択であることを我々は知っています。

さらに、その極限のパフォーマンスを正しく評価することで、

競技は成り立っているはずですが、

そこが大きく揺らいだ大会でもあった気がします。

競技が多様化・高度化する中で、

それをジャッジする環境が追いついていないのかもしれません。

競技する人も、応援する人も、

納得できるような仕組み作りが急がれます。

 

勝負といえば、将棋も勝ち負けを競うものです。

将棋は相手の「王様」を動けなくした(取った)方が勝ちなのですが、

実際にはそ最後まですることなく、ほとんどの場合、終局にします。

「なります」ではなく「します」というのは

これはどうやっても自分に勝ちがないと判断した方が、

「負けました」と宣言した時点で勝負が終わるからです。

不思議なことに、対局者が感じる形勢判断と、

それを客観的にみている解説者等の形成判断では、

異なっていることもあるのですが、

とにかく「負けました」と宣言した方が「負けになる」と言うことです。

現在は将棋ソフトがAI化し、TV将棋の画面では

一手指すごとにどちらが有利かを数値化して表示しています。

将棋は逆転のゲームとも言われていますが、

どのタイミングで負けを認めるかは

それぞれの棋士の考え方であり、美学でもあるようです。

勝者を決めるのは敗者であるというのは

日本的な美徳なのかもしれません。

ちなみに、勝った方は一礼して

「ありがとうございました」と敗者に礼を述べるだけです。

 

それでは、また。