東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

後輩(S)

11月の末にやったばかりだというのに、

また「偲ぶ会」の連絡がきた。

病んでいた後輩の命が尽きたのだ。

 

ひとりを送ってから、

まだ半年も経っていないのだから、

ふたりが続けて逝ってしまったように感じる。

ふたりは同級で、仲も良かった。

先に逝った彼が、

「早く来いよ」と呼んだのかもしれない。

 

糖尿が悪化し、やせ細った彼。

昔の面影はなく、最近は別人のようだった。

このところ入退院を繰り返していたし、

彼に残された時間があまりないことは、

みんな知っていた。

それでも、知らされれば、

何とも言いようがなく寂しい。

 

「やっぱりだめだったか」と、

静かに受け止め止めるしかないけれど、

そうだとしても、後輩が先に逝くのは

やっぱり、なんとも言いようがない。

「お前ら順番が違うだろう」って。

 

ふたりとは一緒にラグビーで泥まみれになって、

バンドでも一緒にステージに上がった。

彼は、家業を継いで大工だった。

そんな彼が自宅の仕事場で、

右手の指を3本落としてしまったのだ。

使い慣れた丸ノコだったはずなのに・・・。

木屑の中からそれを拾って病院に急いだけれど、

結局ついたのは1本だった。

それでもその傷が癒えた後は、

テーピングをぐるぐる巻いてグラウンドに立った。

アルペジオが出来なくなったと言いながら、

バンドでのギターも続けた。

やんちゃだったけど、

先輩思いで本当にいいやつだった。

 

またひとつ大切な想い出が、

額縁の中に入ってしまった。

 

合掌

 

チューチュー・パール(L)

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少し前の記事で、

愛犬パールが想像妊娠したことを書きました。

パールちゃんはカニンヘン・ダックスで、

8歳になる女の子です。

去勢はしていません。

 

ところで、ダックスは胴長のせいか、

腰をやられやすいと言われています。

いわゆるヘルニアですね。

記事にしたときも、

急に腰砕けのような状態になり、

2~3日様子を見ていたのですが、

結局、週末ギリギリになって、

病院に連れていったのでした。

「なにか腰を痛めるようなことをしましたか?」

  「特に思い当たることはありませんが・・・」

「食欲はどうですか?」

  「特に落ちてないと思いますが・・・」

パールはしゃべれないので、

代わりに問診を受けます。

そして検温、触診の後、

念のためレントゲンを撮っていただきました。

診察の結果は心配していたヘルニアではなさそうで、

それは良かったのですが、

何気に女医さんがつぶやいた一言が、

まさかの「想像妊娠してますね」でした。

 

当時のパールは、

長い胴を捻じ曲げるように丸めながら、

しょっちゅう自分のおっぱいを吸っていました。

声を掛けると止めるのですが、

気がつくとまたチューチューと吸い始めます。

それは見るからに無理な体勢に思えたし、

そのせいで腰を痛めたのかもしれないと、

レントゲン写真の説明を聞きながら、

何気にそのことを先生に伝えたのですが、

「想像妊娠してますね」と言うのは

そのことへの答えでもあったのでした。

「おっぱいが出てますね」とも・・・。

母性本能が強い子の場合は、

「よくありますよ」ということでした。

 

その後、チューチューは止んでいたのですが、

先週あたりから、また始まりだしたのです。

想像妊娠につける薬はないという事でしたが、

少し腰が曲がっているような気がするし、

なによりいつもの元気がありません。

とにかく早めに受診をしたほうが、

こじらせて行くよりは安心です。

そんな状況で先週の土曜日、

朝早くから予約を入れ、病院に行ったのでした。

 

ところが診察の結果は案じていたこととは全然違って、

なんと「肛門嚢腺の破裂」ということでした。

 

また想像妊娠か!というのは全くの思い違いで、

「パールちゃん!赤ちゃんはいないよ!」などと、

的外れなことを言いながら、

チューチューを止めさせていたのですが、

そもそも全く違う症状だったのです。

実は、今回チューチューしていたのは、

「おっぱい」ではなく「おまた」のあたりだったのです。

俗に言う「肛門腺絞り」をおこたっていたせいで、

肛門嚢線が炎症をおこしてしまい、

そこをしきりに舐めていたのでした。

てっきり「おっぱい」だと思い込み、

結果的に、ひどくさせてしまったようです。

反省しなければいけないのは、

パールではなく飼い主の方でした。

結局、1週間分の飲み薬と軟膏を出していただき、

また土曜日に診ていただくことになりました。

 

ところで家に戻ってきて、

早速「カラー」を付けたのですが、

どうにもしっくりきません。

カラーは前にいた2匹のお下がりなのですが、

どうやら少し大きいようです。

透明のプラスティックなので、

写真ではちょっとわかりにくいですね。

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その2匹もダックスだったのですが、

カニンヘンではなく、ミニチュアです。

そのままそれを使うのははばかられたので、

ネットで調べていたら、

柔らかい素材のものがあったので、

早速取り寄せたのがこのタイプです。

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これなら動き回っても(家にはゲージがありません)、

カチャカチャ嫌な音もしないと喜んだのもつかの間、

気がついたらなんと「おまたをペロペロ」しています。

結局、素材が柔らかいぶん変形しやすく、

「患部を舐めさせない」という用途を、

満たせないことに気がつきました。

犬種により、適・不適があるようです。

残念だけど、これでは意味がないので、

改めて最初につけたタイプに逆戻りです。

 

可愛そうなので抱っこが多くなっていますが、

そんなこんなで、今週は過ぎていきそうです。

 

それでは、また。

回文様と左右対称型の文字について(L)

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記念すべき「はてなブログ最初の記事」で、

成り行きと言うか、行きがかり上と言うか、

いきなり本名(姓)を明かしてしまった。

wired1997.hatenablog.com

ニックネームを名乗る前に本名を出した以上、

今更ニックネームを考えてもしょうがない気がしたし、

「id」がニックネーム代わりだとすれば、

ニックネームはいらないかなと思えた。

 

なのに、結局ニックネームを付けたのは、

いつもどこかにニックネームへの憧れが、

あったからなのだろう。

その後、散々考えて「aha!」にしたのだが、

そのあたりの事は前に書いたような気がするので、

ここでは省きます。

とにかく「aha!」と呼ばれて半年近くが経った。

 

ところが未だにニックネームが馴染まないというか、

しっくりこない。

aha!=自分、ということなのだが、

いまひとつ一体感を感じられないし、

ピンとこないのは、なぜだろうか?

 

つらつら考えるに、

なまじ「意味ある言葉」を使ったからではないかと、

思い至った。

「aha!」と言うのは、

『なるほど!』とか『そういうことか!』とか、

何か大切なことに

『ハッ』と気づいた時に使う言葉だ。

そんな体験だったり、

あるいは読んでくださった方が、

『そうなんだ!』と思って頂けるような、

そのあたりのところを目指したいと、

そんな理由で付けた(ような気がする)。

人の役に立つ記事は書けないけれど、

物の見方や感じ方でなら、

共感してもらえる人がいるかもしれないと…。

そんな思いを込めたネーミングだった(はず)。

 

まあ嘆いてもしょうがない。

名前負けというやつだ。

 

そうかといって、今更変えるのも面倒なので、

「aha!」がもっと身近に感じられるような、

そんなところを探してみることにした。

ニックネームは「aha!」だけど、

最後の「!」を抜けば「aha」になる。

 

横道にそれるけど、「!」の正式名称である、

エクスクラメーション・マーク」が覚えられない。

長ったらしいマーケティング用語は大丈夫なのに、

なぜかこれは覚えられない。

いつまで経っても

「エクラ・・なんとか・・・」(すでに間違っている)

で、その先がわからなくなる。

「びっくりマーク」でもいいけれど、

覚えられないのは癪に障るものだ。

それはともかく、びっくりマークは発音しないので、

今回は「!」を抜いて「aha」だけで考えるのだ。

 

話を最初に戻して、私の本名は「イマイ」である。

そして、ニックネームは「aha」

一見、この「イマイ」と「 aha」に、

共通項があるようには思えないけど、

実は2つあった。

 

お分かりでしょうか?

そうです。その通りでございます。

 

共通項(1)

両者「上から読んでも下から読んでも」

同じ音である。

ついでに文字数も3で同じ。

これは、なかなか似た者同士ではないか!

 

ちなみに、はてなで最初に書いた記事というのは、

娘が生まれた時の「名付け」についてだった。

最初の思いつきは、

「イマイ マイ」

まさに、上から読んでも下から読んでも

「イマイマイ」である。

マイに当てる漢字は色々考えられるけど、

とにかく読みで勝負するという潔さ。

さらに、何と2文字覚えれば、

フルネームが書けるいうのも魅力だと思った。

ところが、ユーモアを解さないカミさんに、

ほとんど検討されることなく却下されてしまった。

 

意地になって次に考えたのが、これ。

今度はローマ字で攻めてみた。

「imai ami」大文字では「IMAI AMI」だ。

 

よ~く見てくださいませ。

そうです。その通りです。

 

懲りずに上から読んでも下から読んでも、

読みは「イマイ アミ」・・・。

「アミ」に当てる漢字を考えるまでもなく、

これも却下された。

 

話が横道に逸れてしまったので戻します。

次の共通項は、これ。

 

共通項(2)

今度は「イマイ」をローマ字で書いてみた。

「IMAI」「AHA」

またまた、よ~く見てください。

さっきより、少し難易度が上がったかもしれません。

どうでしょうか・・・。

そうです。その通りです。

 

全ての文字が、左右対称型である。

美しい。

アルファベットの26文字中、

左右対称型は「AHIMOTUVWXY」の11文字。

「V」と「X」は馴染まないので実質9文字か。

その文字だけを使ったネーミングである。

どうだろうか…。

 

無理やり共通項を探してみたけど、

とてもオチまでたどり着けそうもない…。

 

とにかく、

しばらくは「aha!」で頑張ります。

 

それでは、また。

 

桜が散る前に書いておこうかな(S)

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「桜の木に教えてもらったこと」なんて、

大層なタイトルをつけた割には、

ほとんど内容がないという、

昨日アップした記事。

それでもコメントを入れて下さる

ありがたい読者の方がいて、

まったくもって感謝に耐えない。

 

そう思いながら昨日の結果を考えてみると、

桜(の木)は

「数えるものではなく、愛でるもの」という、

極めてあたり前のことが、

改めてわかったということだった。

まあ数えたところで、

「それが何か?」ということでもなく、

単なる思いつきの遊びだったので、

結果がでなかったことに、

さしたる未練があるわけではない。

意地になって再挑戦したところで、

事故でも起こして人様に迷惑をかけては、

元も子もない。

そう思いながらも、

Googleストリートビューを使えば、

何本あるのかわかるような気もしてきたけれど、

最初に書いた通り、

そもそも数がわかったからといって、

「だから何?」ってことなので、

そんな悪あがきは考えずに、

桜を使った動体視力検査遊びは

潔く止めることにした。

 

結論から言えば

「桜は、感じて愛でるもの」

ただただ、これに尽きるということだろう。

 

ところで、ぼんやりとしか眺めてこなかった桜なのに、

今回、ひとつだけ気がついたことがある。

何かと言うと、咲き誇る桜の花の一番外側と、

背景に見える空との境界線って、

何となくあやふやだなぁっていうこと。

昨日はあいにくの曇天で、

薄い灰色の空を背にした花びらの淡い桜色が、

空との境界線あたりになると、

ほわ~っと一体の色になって見えたのだった。

花びらが空に溶け込んだといったらいいのだろうか。

どこまでが花びらで、どこからが空なのか・・・。

 

きっちりと線が引けない世界。

きっちりと線を引かない世界観。

なんだか、あいまいな世界がそこにあった。

もしかしたら、

これも「桜」が永く広く人々に愛されてきた、

多くの理由の中の、ひとつなのかもしれない。

そんなふうに感じた。

 

それでは、また。

桜の木に教えてもらったこと(M)

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いつものように朝のラッシュにはまって、

否応無しにノロノロ運転に切り替わったときのこと。

なんの脈絡もなく家から会社までの間に、

一体何本の桜(の木)があるだろうかという、

どうでもいいようなことを思いついた。

 

そういえば、出がけに震えながら車に乗り込んだとき、

「この寒さじゃ桜も大変だなぁ」と、

思ったような気もする…。

そんな気もするけれど、

「ケータイデンワヲ ワスレテ イマセンカ?」という、

エンジンを掛けた後に必ず喋り出す、

お節介なカーナビの機械的な声に注意を取られ、

桜への意識はどっかに行ったはずだった。

なのに、無意識にもしぶとく残っていたのだろう。

 

そもそも、ここ何年もの間、

改めて花見に行くこともなく、

車窓から見るともなく、なんとなく眺めて、

花見はそれでおしまいということを繰り返してきた。

見頃に多少の前後はあるにせよ、

キレイに咲いて、見事に散る。

「毎年それの繰り返し」というくらいで、

それ以上でもそれ以下でもなかったのに、

この桜への関心の高まりは、どうしたものか。

たぶん、色々な方のブログの中にアップされている、

見事な桜の咲きざまがどこかに残っていて、

その意識がなんとなく桜に向かわせたのだろうか。

 

とにかく「何本だろう?」と思ったので、

さっそく数え始めた。

「い~ち・・・・、に~い・・・・」

一般の個人住宅で、

桜を植えているところはあまりないようだ。

「さ~ん・・・」

国道に面した交差点を赤信号で止まったところで、

カウントはまだ3。

桜は大木が多いので、

割と手前から容易に見つけることができる。

このペースでいけば楽勝だ。

そして青信号になる前に、

一気に集中モードのレベルを引き上げる。

渡ればその先は大学病院で、

道路沿いは見事な桜並木である。

ここを数え切れば、ゴールは近い。

 

青信号に変わって走り出すと同時に

「・・・4・5・ろ〜あれっ・7・あれっ・・あ~あ~」

 

あっけなく試合終了。

己の動体視力のなさを、

朝から桜の木に教えてもらった。

 

季節はずれの雪で視界が悪かったなんて、

口が裂けても言わない…。

まあこんな日もあるよね。

それでは、また。

 

インドアプランツ、天井まであと何センチ?(M)

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身近に植物を感じられる暮らしが好きだ。

なので、家の外も家の中も、緑が多い方だと思う。

  

例年ならこの暖かさにつられるように、

足が自然と園芸店に向かう頃だけど、

どうも最近はその気にならなくなってきた。

そう思って振り返ってみると、

この1年は新しいもの(植物)を、

1つも迎え入れなかった気がする。

 

男の『趣味の対象の移り変わり』を、

昔の人はこう言った。

『動物』→『植物』→『鉱物』

わざわざ男と断るからには、

『動物』とは「女」のことであろう。

「女」に飽きてと言うか、

「女」に相手にされなっくなって、

次に向かうのは盆栽などの『植物』だ。

それも億劫になってくると、

最後は『鉱物』、つまり「石」になると言う。

 

なんとなくそれがわかるようになってきて、

少し寂しい気もするけれど、

実感なのでしょうがない。

 

振り返ってみると、

樹木を育てたり、花を楽しんだり、

プランターでの収穫に挑戦したりと、

庭いじり・土いじりはずいぶんやってきた。

当然、インドアプランツにも夢中になった。

凝り性なので庭にとどまらず、

どの部屋にも植物が溢れていたが、

最近はすっかり落ちついてしまった。

 

水遣りのときに、鉢の周りにこぼしてしまったり、

水が多すぎて受け皿から溢れださせてしまったり、

その結果フローリングにシミを作ってしまったり、

そもそも掃除の邪魔になってしょうがないとか、

文句ばかり(カミさんに)言われていたので、

それに嫌気したのもあるにせよ、

ガーデニング熱が冷めてしまったのかもしれない。

 

とは言え、すでにあるものは少しずつ成長する。

家の中に置いてあるプランターは、

ほとんどが花台に乗せているので、

気がつけばあちこちで天井に届く勢いである。

と言うか、いくつかは届いてしまった。

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オーガスタ1(到達)

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モンステラ1(到達)

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モンステラ2(到達)

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モンステラ3(残り9センチ)

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エバーフレッシュ(残り11センチ)

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モンステラ4(残り19センチ)

 

どうしたもんかと考えてしまうけれど、

河原に行って石を拾ってくる気には、

まだならない。

パイオニアのプリメインアンプ(LL)

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3月27日のニュースで、

イオニアが「東証1部上場廃止」になったことを知った。

熱心なパイオニア・ファンと言うわけではないけれど、

その凋落を象徴するニュースに接し、

なんとも寂しい気がした。

 

音楽にのめり込んでいた10代最後の頃、

もっといい音で音楽を聴きたいと思い、

最初に手に入れたのが、

イオニアの「SA-9800」という

プリメインアンプだった。

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40年たった今でも型番まで覚えているのだから、

相当な思い入れがあったのだろうと思う。

何より、自分で購入した初めての高額商品だったし、

その後の何年間かは相当聞き込んだので、

よけいに記憶に残っているのかもしれない。

 

当時、私は東中野のアパートに住んでいたのだが、

ステレオは実家に置いたままだったので、

アパートでレコードを聞くことが出来なかった。

 *ラジカセはあったような気もするけど・・・。

そのころの私は筋金入りのロック少年を気取っていたので、

予備校生だというのに全然勉強もせず、

あちこちのロック喫茶に足しげく通っていた。

どの店も店内の音量は相当なもので、

少し居るだけで耳が痛くなるようだった。

隣の人と会話が出来るような店は皆無で、

どこも恐ろしいほどの大音量が売りだったのだ。

お金を払ってわざわざ難聴になるために

通っているようなものだったけど、

不思議とそれに慣れると、

今度は小さな音量では楽しめなくなるものだった。

 

凄まじい音量を支えるアンプ類は、

外国製が多かったような気がする。

マッキントッシュラックスマンマランツ・・・、

どれも独特な存在感があり、美しかった。

なので、いつか自分も同じようなものを欲しいと思っていた。

 

ちょうどその頃、母親から

「スーツでも買いなさい」と10万円をもらった。

成人式に着て行くものを、ということだったけど、

成人式に行く気はさらさらなかったので、

そのお金で先ずはアンプを買うことにした。

アパートでいつでも好きなだけレコードを聞くために。

 

ここで少し説明をすると、

レコードを聞くためにはそのための装置が必要である。

当時それは一般的にステレオと呼ばれていて、

レコードプレーヤー、アンプ、チューナー、

スピーカーなどがセットになっているものだった。

今風に言えば、オールイン・ワン商品である。

さらに、もっといい音で楽しもうとすると、

それぞれをバラで組む(買う)ことになり、

コンポーネント・ステレオと呼ばれていた。

アンプ、レコードプレーヤー、カートリッジ、

カセットデッキ、チューナー、スピーカー等々を、

バラバラで買って、1つのシステムにするのだ。

 

最初に断っておくと、オーディオの世界というのは、

物凄く趣味性が高く、追求したらキリがない。

私はただの音楽好きで、オーディオマニアではない。

なのでこれから書くことも

オーディオマニアにしてみれば、

なんということのない話である。

 

話が横道に逸れてしまったけど、

とにかくその10万円を握りしめ、

ドキドキしながら秋葉原に行ったのだった。

 

生まれて初めて行った秋葉原は、

田舎者にとって異空間だった。

現代のようなメガ量販店はまだ無く、

小さな店がゴチャゴチャと連なっていて、

まるでアメ横のようだった。

どこも店の外まで商品が溢れ出していて、

どこまでが店の敷地なのかもはっきりしない。

買う気満々で行ったのになんだか圧倒されて、

中々店にすら入れなかった。

 

なんとなくぷらぷらしていて、

ふとある店の店先で足が止まった。

例によって店の外まで商品が張り出していたのだが、

それが全てアンプとスピーカーである。

20種類近くもあるアンプの一群の両サイドに、

同じく20種類くらいのスピーカーがレイアウトされていて、

客引きよろしく1人の店員さんがその前に立っていた。

目線を向けると直ぐに声がかかった。

「なに探してるの?」

「アンプです」

「決まってるの?」

「はい、ヤマハの◯◯です」

「なに聞いてるの?」

「ロックです」

 テンポが良いというか、接客販売のプロだ。

「あっそう。◯◯もいいけど、ロックならこれもいいよ」

と言った後、アンプ本体のスイッチではなく、

あるボードに配されたボタンを数カ所押した。

途端に両サイドのスピーカーから、

重低音のロックが鳴り出した。

それは、ボードに配されていたボタンにより、

アンプとスピーカーの組み合わせを自在に変えて、

実際の音を聞かせてくれるシステムであった。

そんな仕組みは見るのも初めてだったし、

「こりゃあすごい」と一変に引き込まれてしまった。

その後、自分が買おうとしていたアンプでも、

同じように音出しをしてくれたけど、

最初に勧めてくれたものの方が自分の好みだった。

 

秋葉原に来る前の数週間、

集めたカタログをどれだけ眺めていたか・・・。

スペックなどの意味もわからずに、

ただただ比べて胸をふくらませ、迷いに迷い、

ようやく「これを買おう!」と決めたはずだった。

それが、一瞬にしてというか一音で、

候補にもなかったアンプに惚れてしまったのだ。

定価は11万、それを値引きしてもらい、

9万円くらいを払って電車に乗った。

 

ちなみに、途中で説明した通り、

アンプだけでは何もできない。

その後、プレーヤー、カートリッジ、ヘッドフォンを買い足し、

ようやくレコードが聞けるようになるのだが、

それはアンプを買ってから半年くらい経ってからだった。

 

実は、アンプを買ってからしばらくして、

それが型古だったことを知った。

なんと、新しいのが出たばかりだったのだ。

店にとっては処分したいモデルだったのだろう。

私はどうやら「カモネギ」だったに違いないが、

それでもSA-9800を買ったことに、

少しも後悔は生まれなかった。

 

久しぶりにその画像を見ると、

秋葉原でのやり取りが、

昨日のことのように思い出される…。