東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

4文字では足りない人生(S)

同じような環境にあっても、

実際に面白い体験をたくさんする人と、

その体験を聞くだけの人に、

何となく分かれるような気がしています。

 

それは話を盛ることが上手だったり、

話術にたけているとかではなく、

そもそも「面白いこと」というのは、

だれかれに均等に起こらず、

偏在しているのかもしれません。

 

人の心を揺さぶる事象を喜怒哀楽と言います。

喜怒哀楽と書けば、まるで人生における諸々は

それぞれが四分の一ずつ起こるみたいだけど、

実際は違うことを多くの人は知っています。

ちなみに私の実感を熟語にすれば、

こんな感じ(漢字)でしょうか。

「喜怒愛哀哀哀哀哀哀楽」

残念ながら4文字では収まらず、

10文字熟語になってしまいました…。

 

私の人生がどうであったかという、

ややっこしい話はともかく、

たとえこんな風であっても、

人生は素晴らしいと感じたいものです。

起きたことの意味を考えるのは、

人の性かもしれませんが、

一番大事なのは受け止め方ですよね。

 

暑さが少し和らいだとはいえ、

猛暑の疲れが出やすい頃です。

みなさま、どうぞご自愛ください。

 

それでは、また。

悩みの種と悩みについて(M)

「悩みの種は尽きないものだ」と悩んでいる最中、

よく考えていたら「悩みの種」と「悩み」は

違うことに気がついた。

というか、分けて考えないといけないと。

 

当たり前と言われればその通りだけど、

当たり前のことを時々再確認することも、

ぼんくら頭にとっては必要なのかもしれない。

当たり前だと思っていても、

そう思い込んでいるだけのこともあるだろうし、

出来て当たり前のはずだとうそぶいていて、

実は出来ていない事は色々あるに違いない…。

賢い人にとっては、

「何をいまさら」ってところだろうけど、

凡人は悩みのレベルが低いのだ。

 

「最悪を想定して、最善を尽くせ」と言う。

まだ起きていないことに関して

あらかじめ考え、備えるということは大事だ。

問題は良からぬ想像にばかり囚われすぎて

「あ~なったらどうしよう」

「こ~なったらどうしよう」と、

必要以上に考え、悩んでしまうことだ。

 

起こりうるということは、

結局のところ起こらないかもしれないし、

最悪ばかりを想定していても仕方がない。

「悩みの種」が発芽したらどうしようかというより、

本当は発芽しないようにするには

どうしたらいいかを考えるべきなのだ。

 

ただ、あれこれ考えを巡らしたところで、

しょうもない堂々巡りに陥いるのが関の山で、

結局は答えなんて見つからないものだ。

種の段階で悩むのは程ほどがいいということだろう。

 

たとえどんなに考えようと、

望ましくない事はやってくる。

どっちにしても何かに直面すれば

考えざるを得ないし、悩まざるを得ない。

種の段階で考えすぎ、疲弊してしまったら、

いざ実際に直面したときに、

力を発揮することができない気がする。

 

そういえば「取り越し苦労」と言うことわざがあった。

「下手の考え休むに似たり」とも言う。

luna (id:luna117) さんが、

寺山修司の「名言集」を読んでるみたいで、

少しは賢くなるために真似して読もうかと思ったけど、

こっちはその前に「ことわざ集」が必要なのかも…。

 

どちらにしても、

先人の知恵は深く、学びに満ちている。

 

それでは、また。

今夜は少し涼しくなったから(M)

f:id:wired1997:20190823220808j:plain

これといって書くことがないときに、

お気に入りの音楽を紹介して、

それなりの記事にすることがある。

 

ブログを始めたころは、

テキストだけで紹介していたけれど、

実際そこからその音源なりを探して、

聞いてみようとする奇特な人が、

一体どれほどいるのだろうか。

どう考えてもそんなにいるとは思えない。

 

ところが、YouTube動画を

画面に貼ることを覚えてからは、

それが嬉しくてその後は何曲も紹介してきた。

見る見ないはともかく、

これならすぐに見る事はできる。

 

しかし、よくよく考えてみると、

頼まれてもいないのに、

「この曲を聞いてみて!」っていうのは、

どうなんだろうという気がしてきた。

相手の嗜好がわかっていて

「ねぇ、これよくないっ!」っていうのは、

もちろんアリだと思うけど、むやみに

「ねぇ、これいいでしょっ !?」っていうのは、

大きなお世話なような気もする。

音楽は割りと嗜好が分かれるもので、

好きな音楽のジャンルは

ある程度決まっている人が多い。

 

30代の頃、15人位のバンドをやっていたのだが、

仲間内でバンドを組むこと自体が目的だったので、

各自の音楽的背景はまさにバラバラだった。

バンドは「ニューヨーク・サルサ」を目指していたけれど、

洋楽は苦手というか、聞いたことがないというのがいたり、

練習を終えて帰る車の中では、

それぞれが好きな音楽をかけていて、

演歌を歌いながら帰るやつもいた。

そんな感じだったので、

それぞれが好きなジャンルやアーティストを語っても、

それはそれで尊重するけれど、だからといってそれに影響され、

さらにそれらを聞くことはなかった気がする。

嗜好とは趣向というか志向的なものを含んでいるのだろう。

 

さて、ここまで書いたら

曲の紹介はしないだろうと思ったあなた。

ぼんやり読みつつ素直にサルサを期待したあなた。

どっちも外して、今夜はこれでいきます。

まぁ、聞くというより踊った方がいいかな。

 

Earth Wind & Fire ”Let’s Groove”

youtu.be

 こんな簡単な振り付けが覚えられないのが悔しい…

 

それでは、また。

続・ブログ1周年に思うこと(S)

f:id:wired1997:20190823220713j:plain

気がつけば最後に投稿してから20日近くが経ってしまった。

厳しい暑さが続いていたとはいえ何があったということでもなく、

「ブログ開設1周年!」などと浮かれたことを書いたあたりから

なんとなく気が緩んでしまったのかもしれない。

書くことが生活のなかで定着したかと思っていたけど

これだけ空くと、どうやらそうでもなかったらしい。

そもそもすらすらペンが進むほうではなく、

やっぱり書くより書かない方が何かと楽だ。

以前、「良き読み手」になりたいと、

偉そうなことを書いたことがあるけれど、

この20日間を振り返ると、どうやらそれも怪しい。

このままHatenaの片隅で「静かなる読み手」として

時どき気に入った記事にひっそりとスターを残す…、

そんなふうに落ち着いてしまうのだろうか。

 

ブログタイトルにある77.7マイル。

自分がどこを目指しているのか、

今は明確にできないけれど、

歩き続けていればいつかそこに近づけるだろうと、

そこまでの距離を77.7マイルとした。

そこに何が待っているのかもわからないし、

もしかしたら永遠にたどり着けないのかもしれないけど、

それでも歩みを止めずにいようと。

生きていくというのはそういうことだと思う。

 

そんなことを感じながらの1年だったけど、

果たしてこの距離は縮まったのだろうか?

もしかしたら増えてしまったのだろうか? 

そんなことを考えながら、久しぶりに記事を書いている。

今はそんなときなのかもしれない。

 

それでは、また。

文章に年齢は出るのでしょうか?(M)

f:id:wired1997:20190823220612j:plain

様々な分野に流行があると思いますが、

流行には周期があります。

わかりやすいのは洋服でしょうか。

流行に左右されないと言っているものでも、

そう言った時点で流行を意識しているとも言えるので、

やはり流行の影響を何かしら受けているものです。

 

ところで、回りまわって「また来るかも」と、

後生大事にしまってある服はありませんか?

最近は断捨離ばやりだから、

将来の「ときめき」を当てにして

いつまでも所有し続ける人は

少ないかもしれませんが、

いかがでしょうか。

 

では、とっておくタイプのあなた。

 

いつか着られるかもしれないと、

大事に仕舞っておいた服を引っ張り出し、

勇んで着たものの鏡に映った自分に

笑わされたことはありませんか?

1周回ったとはいえ、

昔のものは、やはりなんとなく古臭いものです。

 

ちなみに私は物を捨てられないタイプなので、

時どき鏡の前で笑うことを楽しんでいます。

自分で笑うくらいなので、

この先、人前で着ることもないと思いながら、

それでもなかなか捨てられません。

困ったものです。

 

ところで、最近というよりここ10年くらい、

ほとんど本を読まなくなってしまいました。

そのせいだと思うのですが、

新しい熟語や今風(いまふう)の表現を知りません。

話し言葉」と「書き言葉」は必ずしも一致しませんが、

考えてみると話し言葉は少しずつですが、

恐る恐る今っぽい表現を使ってみたりするものです。

それに比べて書き言葉はあまり変化しない気がします。

 

ブログは書き言葉による文章です。

ということは、若い人がこのブログを呼んだときに、

書かれている内容がどうであれ、

「年配の人が書いてるんだろうな」と

すぐに判るものなのでしょうか。

先ほど何気に使った「今風」と言う言葉にしても、

「今どき」や「今っぽい」に書き換えた後、

なんとなくしっくりこなかったので、

また「今風」に戻したりしたけれど、

若い人は、そもそもどれも使わないかもしれません。

「若作り」というのは魅力的に見えるというより、

むしろ痛々しさを感じさせるものかもしれませんし、

それを目指している訳ではありませんが…。

 

1年続けてみて、

「こんな文章が書けたらいいな」

と思えるブログには、たくさん出会えましたが、

自分の文章力が上がったとは思えません。

見た目はともかく、せめて大人っぽい文章に憧れますが、

残念なことに、これは年齢とは関係なく、

いわゆるセンスというものなのでしょう。

 

それでは、また。

多肉植物のリース/花を使わずに華を演出する(SS)

f:id:wired1997:20190823220237j:plain

ワイヤーワークの世界と称し、

5回(Vol.1~Vol.5)にわたって、

10点あまりの作品を公開しました。

 

どれもむかし作ったものばかりで、

「今更どうなの?」って気もしたけれど、

針金とペンチさえあれば、

「こんなことも出来ますよ」

「こんなものも出来ますよ」

というくらいのもので、

とにかく楽しんでもらえれば幸いです。

 

その中でもVol.4で紹介した、

多肉植物のリースについては

ハンドメイドに興味のない方にとっても

「素敵」と思っていただけたようです。

これはワイヤーワークというより、

植物の持つ存在感と美しさであり、

説明を必要としませんね。

紙焼き写真をスキャンしたものなので、

伝え切れないのが残念だけど、

よろしかったら、こちらもご覧ください。

f:id:wired1997:20190726195354j:plain

f:id:wired1997:20190726195521j:plain

f:id:wired1997:20190726195631j:plain

人は本当に美しいものを目にした時、

雄弁になるよりむしろ沈黙すると言います。

どうでしょうか…。

 

それでは、また。

ブログ開設1周年に思うこと(L)

f:id:wired1997:20190722204000j:plain

はてなブログ最初の記事は、

2018年の7月22日に公開した。

 

その数日後、三十路を過ぎた娘に

「ブログを始めた」と話したら、

「高校生みたい」と笑われてから、

はや1年が経ったことになる。

わざわざ娘に話したのは、

最初の記事に娘のことを書いたので、

まあ事後報告だけど、

黙っているのも気が引けたから。

 

それにしても、始めた動機を考えても、

飽きっぽい性格を考えても、

正直こんなに続くとは思っていなかった。

何と言っても、物心ついてから

日記らしきものを書いたことなど

ただの1度もないし、そもそも文才もない。

なので、自分でも驚きつつしばらく前から

1周年をキリの良い200記事目で迎えようと、

それとなく調整をしていた。

であるが、何の事はない、

気が付いたら少し前に200記事を

超えてしまっていた。

 

こんな調子だし、進歩もないので

この後いつまで続くのかは自分にも解らないけど

区切りとして、今感じていることを、

少し書いておきたいと思う。

 

と言っても、思い浮かぶ言葉は二つだけ。

それは「感謝」と「お詫び」である。

 

「感謝」は言わずもがなというか、

いうまでもないことだけど、

このブログを訪問してくださる、

全ての方々に対する偽らざる気持ちである。

こればかりは他に言いようがなく、

とにかく「ありがとうございます」

という言葉に尽きる。

誰にとっても時間は貴重だ。

ごまんとあるブログの中から、

わざわざ訪問してくださった方々に、

改めてお礼を申し上げたいと思う。

感じる距離感に違いはあっても、

「感謝」の念は一緒である。

 

「お詫び」については、少しややこしい。

始めた頃からしばらくは、

ほとんど誰にも読まれなかったので、

どうしたものかと、それなりに悩んだ。

面白い記事を書けば読んでもらえると考え、

自分なりに頑張ってみたけれど、

それでもなかなか読まれなかった。

要は面白くないということだけど、

それを認めるのはちょっと悔しかった。

もっとも先輩ブロガーの書かれている、

SEO対策のイロハは読むだけ読んで、

結局のところ一つも実行しなかったし、

画像も面倒なのでほとんど使わなかった。

肝心なテーマと時系列は滅茶苦茶な上、

タメになるような記事も書いていないので、

読まれないのはしょうがないと、

自分を慰めたりもした。

 

そうこうしているうちに考えついたのは、

いっそ“良き読み手を目指そう”ということだった。

「書いてダメなら、読んでみろ」って感じ。

そもそもブログは「書き手」だけではなく、

「読み手」がいなければ成立しない世界である。

なのに、書き手を評価する物差しは色々ある割に、

読み手には何もない。

書き手としての力量がないのなら、

せめて読み手(Reader)として

やっていくのはどうだろうかと。

ピンチをチャンスに変えるのだ。

ブロガー改め、リーダーである。

あるべき読み手像を示しつつ、

あわよくば、日本一の読み手になって、

「Top of Reader」として

はてな』に名を残すことを目指そうと…。(冗談です)

 

その頃書いた記事の中で、

一つの記事はそれだけで独立しているものだけど、

できる限り全体の文脈の中で読みたいと書いた。

そこに書かれていることの背景を知ってこそ、

書かれていることの本意に触れられるような気がするので、

そのためには「できるだけ遡って全部読みたい」と。

それは良き読み手としては当然のことに思えたから。

一応、目指すのは日本一だし…。

 

最初の頃は、律儀にそれを実行していた。

一生懸命、読んでいた。

ところが、最近はどうだろうか。

読むぞ、読むぞと言っておきながら、

読めていないのだ。

「良き書き手」になることは難しく、

「良き読み手に」になることも叶わない。

二兎を追うどころか一兎すらも儘ならない。

どうしたものか…。

 

なので、なかなか読みにいけないことを

どうぞお許しください。

お詫び申し上げます。

 

それでは、また。