東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

動画鑑賞時のオススメに、どこまで付き合うか(S)

好きなアーティストの動画を

YouTubeで見ていると、

画面右側に自動的に出てくる、

「あなたにオススメ」みたいなところに

なんとなく目が行くことがある。

 

それは、見ているアーティストの、

別の曲がほとんどで、

放っておけば勝手に再生していくけれど、

好きなアーティストだからといって、

その全ての曲が好きとは限らないので、

その仕組みは便利なようでもあり、

うっとうしく感じる時もある。

 

それって利用する人の、その時の気分で、

どうとも受け取れるということでもあり、

仕組みというのは難しいものだ。

 

時々、なんでこれがオススメなのか、

戸惑うようなものが挟まれている。

自分では覚えていないけれど、

過去に見たものの中から、

「前にこんなのも見てたでしょ」

っていうのを引っ張り出してくるのか、

それとも嗜好が似ている人のデータを

参考にして当てはめるのだろうか?

 

とにかくどんな仕組みによるものなのか、

素人にはよくわからないけど、

せっかくなので見ることもある。

それを繰り返していると、

右側の「あなたにオススメリスト」の傾向が、

だんだん変わって行って、ちょっと面白い。

けっして自ら選ぶことのない、

未知の領域へと誘(いざな)ってくれるのは、

それなりに楽しいものだけど、

さすがにあるところで

「これ以上は無理かな」となるようで、

大体そこでリセットする。

すごろくの「最初に戻れ」ってやつだ。

「暇だなぁ」と怒られそうだけど、

最近、これの繰り返し。

 

それでは、また。

記事カテゴリーの再分類が必要かも(S)

何を書いたか、

何を記事にしたか、

みなさん、どのくらい覚えていますか?

 

食べ始めたら止まらないピーナツの

一つ一つの味の違いが分からなくても、

特に困ることなんてないけれど、

多少は苦労して書いた記事である。

何を書いたかくらいは覚えておきたいのだが、

いつの頃からか、多分少し前から、

どうも怪しくなってきた。

これは正直、困る。

 

記事にYouTubeの動画を張ることを覚えて、

以来、時々お気に入りを紹介するようになった。

今までに十数曲をアップしたような気がする。

お気に入りなので、アップしようがしまいが、

定期的に聞きたくなるので、まあ当然聞く。

聞いてるうちに、

「今度、これ紹介しようかな」

と思うのだが、そこで、

「あれっ?これって前に紹介したっけな…?」

と、考え込んでしまうことがあるのだ。

残念ながら、これが思い出せない。

 

そこえ持ってきて、もう一つ問題がある。

このブログのカテゴリー分類が、

全く役に立たないのだ。

「音楽」「本」「植物」とかにしてあれば、

なんてことはないけれど、

「思いつくこと」

「思い出すこと」

「思いあぐねていること」である。

今更だけど、これじゃ内容が全く想像できない。

過去記事を遡って見つけに行くにしても、

一つ一つ確認するしか方法がないので、

えらく手間がかかるのだ。

読者満足度どころか

クレームが来ないのが不思議なくらいだ。

 

それはさておき、

YouTubeの一曲を見つけることすら大変なのに、

思いついたことを、あたかもそれが

「初めて思いついた」かのように、

恥ずかしげもなく書きそうで、

それが本当に恥ずかしい。

どうしたもんか。

 

それでは、また。

続・五感に思う(S)

昨日の記事のこと。

どうも書こうと思っていたこととは、

なんとなく別の話(記事)になってしまった。

起承転結が大事なのは、

一応承知しているつもりなので、

それをふまえて読み返してみると、

早くも「起」の3行目位で、

目指す「結」には向かっていないのがわかる。

実際、書きながらすでに気がついていたけれど、

修正するのが面倒で、まあこれも「アリ」かと、

書き終えてしまった。

 

「この人は何が書きたかったのか?」というところを、

本当のところを読者は知らないし、わからない。

読者にとってはおよそ公開されたものが全てである。

丁寧に行間を読んでもらえる場合もあるけれど、

そもそも「本当に書きたかったのは、これでしょう」と、

そこまで読み切るのは至難の業に違いない。

 

ところで、昨日書きたかったのは

「ブログの読み書き」における、

五感の働きについてというか、

五感の働かせ方といったところなのだが、

どう考えたらいいのか漠然としていたので、

まあ、いつものことだけど、

書きたいことが書けなかったのだ。

ブログはコミュニケーション・ツールのひとつでもある。

相手は多かれ少なかれ不特定だし、

基本的には匿名性も高い。

なのに、場合によっては

「One to One」に近い関係性も築ける。

まあどちらにしても、伝えたいことを

なるべく分かりやすく書きたいのだが、

いかんせん、その力量がないのが悩みのタネ。

 

ブログは基本的に読むものなので、

五感の中で使える情報は「視」に限られる。

具体的には「文章」と「画像」だけ。

ユーチューブなどを貼り付ければ、

「聴」も使えるけど、

どうやっても「触・味・嗅」は使えない。

なのに、なのに、

それを感じさせる記事に出会うことがある。

それって、すごいよね。

いつか、そんな記事を書いてみたい。

 

それでは、また。

五感に思う(S)

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人は何かを感じるために、五感を使う。

そして何かを伝えたければ、人の五感に訴える。

五感を研ぎ澄ますという言い方があるくらいだから、

ほっておけば錆びてしまうのかもしれないけれど、

たとえ錆びつきがちだったとしても、

もし与えられたものが五感であるならば、

そのことに感謝をすることが大切なんだと思う。

 

意識せず、あたり前だと思っていること(もの)の中に、

そうでないこと(もの)はたくさんある。

最初から与えられなかったこともあるだろうし、

持っていたけれど、失うことだってある。

 

ところで、五感の感受性ピークはいつごろだろうか。

衰えと病気の境目は曖昧な気がするし、

よほど急激に衰えることがない限り、

気が付きにくいような気もする。

 

幸いにも五感を使いながら生きてきたのに、

最近はどれも怪しくなってきた。

受感センサーが耐用年数を越えたのか、

それを処理する能力が落ちてきたのか、

はたまたその両方だろうか。

そのせいか、激しく心を揺さぶられるようなことが

めっきり少なくなってきたような気もする。

インプットが少なくなれば、

アウトプットも減る。

どうしたもんかと、時々考えてしまうけれど、

「歳をとったな」と嘆く前に、

成熟してきたということにしておこう。

 

それでは、また。

ローズマリーの嘆きが聞こえてくる(S)

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先日(5/19)公開した

ローズマリーの五十輪挿し」だけど、

活けた3日目くらいから、

少しずつ元気がなくなりだして、

とうとう先週末、全てが枯れてしまった。

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元々は剪定作業をした後、

普段だったら処分するだけの枝を、

せっかくだからと飾ってみたのだが、

内心では発根させて庭に戻せたらと考えていた。

 

実は2年ほど前のある日、

地植えのローズマリーの大株を、

強剪定した人がいた。

っていうか、極強!

よりによって3種類・3本を、

気がついたら根元から30センチくらいのところで、

頼みもしないのに、ばっさりとやってくれたのだ。

切った張本人は「ハーブは強いから大丈夫」と、

偉そうにのたまっていたけれど、

あろうことか、結局全部だめになってしまった。

頭にきたので当て付けも兼ねて、

枯れた木はしばらくそのままにしておいたくらいだ。

可愛そうに…。

 

そんなこともあり50本あるのだから、

少なくても5~6本は行ける(生きる)のではと、

なんの根拠もなく思っていたので、

まさか1本も残らず枯れてしまうとは、

残念と言うより、いささかショックであった。

 

比較的太い試験管とはいえ、

絶対的に水の量が足りなかったのか、

それとも水替えが不十分だったのか、

暑い日が続いていたので水温が高かったのか、

はたまた什器(五十輪)の形状から

植物が蒸れてしまったのか、

葉の落とし方が足りなかったのか、

理由はよくわからない。

ちなみに発根剤って使ったことがないけど、

それを使えば良かったのだろうか。

そもそもローズマリーを水耕で育てるのは難しく、

挿し木でやるべきだったのだろうか。

いろいろ考えてみたけど、

ひとつひとつを検証する根性がないので、

それはやめて、とにかく暑くなる前に、

もう1度やってみようと思う。

 

それでは、また。

インドアプランツ Vol.2プラス(M)

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少し前の記事で、

「植物は元気かな?」というコメントを頂いた。

その記事とは直接関係なかったけど、

前に自宅の植物を少し公開したので、

気にして下さっていたのだろう。

記事を書いた後、何鉢かを植え替えたり、

場所を移動したりしたので、

また少し公開してみたいと思う。

 

うちにおいてある鉢植えは、

基本的に花台もしくは、

何らかの什器の上においてあるのだが、

大きめなものが多いので、

天井に付きそうというか、

すでに届いてしまっているものが多い。

床に直接置けば解決するけど、

如何せんその場所が確保できないので、

いろいろと悩ましいのだ。

 

これも前に書いた通り、

部屋の模様替えが大好きなのだが、

やたらと植物が多いせいで、

レイアウトの自由度が限られてしまう。

耐陰性があると言っても、

窓から差し込む光が全く届かないのは、

何だか可哀想だから…。

 

植物がないのは寂しいけど、

そうかといって

どのくらいあれば良いのかは、

なかなか難しいものだ。

 

最初の写真は、

これを書いているデスクの両サイドにある

モンステラ(左)と小さなオーガスタ(右)だ。

写真では分かりにくいけど、

このモンステラはなかなか立派で、

一番のお気に入り。

葉の大きさは人の頭よりだいぶ大きい。

さらに成長期ということもあって、

少し前に出てきた新しい葉が天井に付いてしまった。

どうしたもんかと、相当悩ましい。

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次は、その反対側のモンステラたち。

どちらも天井に届いている…。

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次は階段の踊り場にあるオーガスタたち。

1枚目は特に大きく、もうすぐ3メートルに達する勢いだ。

なので、ここにしか置けない。

写真を撮っているところにもモンステラがあって、

その葉が画面右に写り込んでいる。

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次は二階の洗面所。

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前回公開したものと合わせると、

大きいのはあと少しだけ。

多かった頃の半分くらいだけど、

いつまで世話してあげられるだろうかと、

最近はちょっと心配になる。

 

最後は植物ではなく、

あえてぐちゃぐちゃのままの

クラフトスペース。

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そろそろなんか作らないとね。

 

それでは、また。

好きと嫌い(S)

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最近、音楽を聞いている時間が増えた。

何を聞くかはその日の気分で色々だけど、

聞いてみたい音楽の幅が広がったみたい。

これってブログを始めた影響だと思う。

 

自分は、割合と「好き嫌い」がはっきりしていて、

1度決めるとそれが固定化されてしまう傾向がある。

例えば音楽で言えば、

好きな曲、好きなアーティスト、好きなジャンルと、

「好き」になるのはそれほど多くはないけれど、

「好き」は少しあれば十分なので、

「新しい好き」を熱心に探すことを、あまりしない。

あれこれ聞くより、ふかぼりしていくタイプなのだ。

 

ところで、その「好き嫌い」を決めるのは

直感というか肌感覚に頼ることがほとんどで、

理由や理屈は、だいたいが後付けだ。

そもそも理由や理屈って、

「自分が好きなものや、好きな人」を、

「何で好きになったの?」と他人に聞かれたとき、

その人を納得させるためには必要かもしれないけど

まあその程度のもので、それ以上のものではない。

「どうして、あんな人を好きになったの?」

とか、少し意地悪なことを聞かれたって、

それにあれこれ理屈で答えるより、

ただ「惚れたから」と言い切る方が、

実は真実に近かったりするものである。

 

ところで、世の中には

「好き嫌い」をやたらと難しく考える人もいて、

そのロジックに「なるほどそういうことか」

と妙に納得することもあれば、

やっぱり「理屈じゃないよな」と、

違和感を覚えることもある。

この辺りは正に理屈じゃなくって、

それを聞くときのタイミングによって

受け止め方も変わるに違いなく、

結局どっちにもころがるものなのだ。

 

「理屈」と「感情」は、

いつだって紙の表と裏のようだけど、

実はどんなロジック(論理・理屈)も、

「感情を味方にしない限り本当は受け入れてもらえない」

そんなふうに思う。

 

それでは、また。