東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること

レゴ・ミニフィグに「はてなスター」を

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先日からこのブログの運営を見直し、二人体制としました。

 

書き手は相変わらず私ひとりですが、

広報を、家にいるレゴ・ミニフィグにお願いすることにしたのです。

 

製販分離体制を確立し、生産性の向上を図るのが目的ですが、

アイキャッチ画像にレゴ・ミニフィグを配すという、

安易な人気あやかり商法を考え付いたのは私なので、

この件で純真なレゴ・ミニフィグに何ら責任はありません。

 

あざといのは私だけです。

 

私の拙い文章をレゴ・ミニフィグの笑顔で補ってもらえることも期待したいので、

子ども部屋で寝て居たとはいえ、レゴ・ミニフィグへの報酬をあやふやには

できません。

 

いろいろ考えて、読者のみなさまに頂いた「はてなスター」を使うことにしました。

頂いた「はてなスター」の使い道がよく分からないので、再利用です。

ご了承ください。

 

とりあえず新人なので旗持ちからスタートしてもらおうかと考えたのですが、

都合により、立っているだけの参加となりました。

成果が出てきたら少しずつ仕事を増やしたいと考えていますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

 

レゴは「よく遊べ」を意味するデンマーク語「Leg Godt」から

LEGO」となったそうです。

 

些細なことですが、せめて遊び心を忘れない大人でいたいと思います。

 

 

ポジティブに生きるのも大変なんだろうな

 

私は昔から“石橋を叩いて”結局、渡らないことが多いタイプだ。

物事をポジティブに捉えることよりも、マイナス面に目が行きやすい。

慎重なタイプとも言えるが、世間ではグズとも呼ばれる。

 

ポジティブ思考の本を読んで「その通りだ」と思うことは何度もあったし、

成功者の名言に感動することもある。

ビジネス研修でもポジティブ・シンキングは大はやりで、

「前向きな考え方」というのがチームに良い影響を及ぼし、

結果として成果に結びつくと言われると、その場では自分もそうありたいと考える。

 

それで自分自身なにが変わったかというと、正直あまり変わった気がしない。

 

なぜこんなことを書き始めたかというと、

昨日からあまり書く気がしなくなってしまったからだ。

そもそも、毎日一つは記事を書こうと決めたわけでもなく、

書きたい時に書けばいいのだが、別に書かなくてもいいかと思うと、

しばらく書かなくなってしまう自分を恐れたのかもしれない。

 

まさにこんな時こそ、無理にでも「明るく前向きに」考えて、

行動するべきなのだろう。

 

「目を通してくださる方がいる限り頑張ろう!」と気を取り直したところで、

ふと同級生のことを思い出した。

ポジティブを語らせて、彼の右に出る人はいない。

キングオブポジティブと言ってもいい。

 

あるとき、彼が私の後輩の店にふらりと寄ったそうだ。

当時の彼は、アパレル系会社の協同経営者か何かで、羽振りも良かった。

滅多に顔を見せることがなかったから

「わざわざ寄ってもらってすいません。忙しそうですね」と、後輩が挨拶をすると、

「いっそがしくて、いっそがしくて・・・」と、言いながらも

景気のいい話をいくつかしてくれたそうだ。

「本当かなあ?」と思うような話がどんどん出てくるのだが、

彼は話が上手だったのでつい引これてしまうのだった。

話はともかく、とにかく死ぬほど忙しいらしい。

 

自慢話しを聞かされた後、彼がやけに日焼けしていることに気がついた後輩が、

「ずいぶん焼けてますね!」と真っ黒な彼に尋ねると、

返って来た答えがすごかった。

 

あんまりヒマなんで、沖縄行って来たんだよ・・・」

 

ポジティブでいることは、必ずしもロジカルである必要はないということらしい。

ポジティブに生きるというのも、結構たいへんなのだろうか。

 

ウェザリングもまた楽し 〜柳生真吾さんに捧げる〜

 

私がWiredで使うワイヤーは鉄です。

その、鉄のワイヤーは無彩色、つまり灰色です。

印象としてはほぼ単色で、濃淡や明暗もほとんどありません。

しゃれてモノトーンという感じでもなく、とにかく地味です。

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それでも最初は表面の亜鉛メッキが鈍い光沢を放っているようにも見えますが、

その輝き(?)も時間と共に失われ、場合によっては錆がでてくることもあります。

これは経年変化と呼ばれる現象ですが、

これを人為的につくることをウェザリングと言い、

いろいろな分野で行われています。

日本語では風化ですね。

 

ウェザリングが施されたもので一番目にする機会が多いのは模型でしょうか。

模型に塗装をするのですね。

塗装の出来はそのまま作品の出来不出来を左右するでしょうから、

塗装技法の習得は必須ではないかと思われます。

私はモデラーではないのですが、

素晴らしい作品になるとそのリアリティーに圧倒されます。

 

それから家具づくりにおいても、いろいろな方法で行われているようです。

新しい木材に塗りこむだけでアンティーク材のような風合いを出せるワックスなど、

手軽に楽しめるものもあります。

 

人為的にやっておいて、その上で人為的に見せないようにすることが

ウェザリングの技術であり、様々な技法が試されているようです。

真新しいものをわざわざ使い古したようにすることに違和感を持つ人にとっては、

理解しがたい行為かもしれませんが、

場合によっては、それにより価値が増すこともあるのですね。

 

一般的な鉄のワイヤーは、長い時間をかけて少しずつ錆びていきますが、

これを塗料によって経年変化を表現することも可能です。

赤錆や青錆など幾つか種類がありますが、あくまで塗料ですから本物の錆のように、

触ったからと言って手に錆が付くことはありません。

塗った事で本当の錆が発生する事が抑えられるという効果があるかもしれませんが、

何だか本末転倒というか、ややこしい話ですね。

 

ガーデニングで使われるテラコッタの鉢も、

材質や仕上げによって変化の度合いは違いますが、

日差しを浴び、雨にうたれ、風にさらされることで少しずつ表情が変わってきます。

用土やテラコッタの中に含まれていた何がしかの成分が表面に滲み出て、

時間の経過と共に少しずつ新たな表情を作っていくのですが、

その表情をウェザリングによって作り出すことも可能です。

それはそれでなかなか楽しい作業です。

 

今は亡き柳生真吾さんの著書「これがわれらのコンテナーガーデン」では、

なんとブルガリアヨーグルトをテラコッタ鉢に塗っていました。

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柳生さんといえば、

1989年に柳生家がOPENした「八ヶ岳倶楽部」がよく知られています。

そこで、真吾さんに大きなハンギングバスケットをプレゼントしたことが、

まるで昨日のことのように思い出されます。

 

翌年、「Wired」がギフトショーに出展した時には、

わざわざブースまで訪ねて来てくれました。

律儀で男気があって、忘れられないひとです。

お世話になりました。

 

懐かしくなって久しぶりに「これがわれらのコンテナーガーデン」を

ペラペラめくっていたら、慎吾さんのサインを見つけてビックリ!

すっかり忘れていました。ごめんなさい。

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話が横道に行ってしまいました。こっちもごめんなさい。

 

ウェザリングも楽しいのですが、私が鉄のワイヤーに魅力を感じるのは、

あえてウェザリングを施さなくても風化が楽しめるからです。

 

どちらにしても、

経年変化を「なんか・・よごれてきた」と思う人にはわかりにくい世界ではあります。

 

針金細工教室「ワイヤーワークの基礎 その4」

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前回の宿題(エクササイズ)は、いかがだったでしょうか?

 

wired1997.hatenablog.com

 

4本のワイヤーを使って四角形(平面)を作ってみましょうということと、

そのプロセスにおける“ある作業”は何かでした。

 

ポイントは以下の三つです。

  1. ワイヤーを切る
  2. 形を考える
  3. ワイヤーを繋げる

ではひとつずつ説明してみたいと思います。

 

最初は「ワイヤーを切る」です。

 

みなさんは「7センチに切ったはずのワイヤー」を、

本当に「7センチで切れたか」を確認しましたか?

長さは、4本を指ではさんで平らなところ(デスクなど)に立てれば一目瞭然です。

マッチ棒(最近はあまり見かけませんが)を4本取り出して四角形を作れば、

ほぼ真四角が出来上がります。

当たり前ですが、それは4本が基本的に同じ長さだからです。

 

あなたが切ったワイヤーがほぼ同じ長さに切られていれば、

それを使った四角形はキレイな四角形になる可能性が高いのですが、

もし不揃いだったとすれば、それではゆがんだ四角形になってしまうのです。

 

今回は7センチで切るということでしたが、

切ったあと測ってみたら2本はぴったり7センチで、

残り2本が7.1センチと6.9センチだったとします。

つまり一番長いワイヤーと一番短いワイヤーの差が2ミリということです。

実は、この2ミリの違いがその後の造形に影響を及ぼすのですね。

 

今回は4本を揃えるだけでしたが、

本数が増えてくるとこの誤差は大きくなっていくものです。

また、長さの誤差が問題になるのは、ワイヤーの長さにも関係しています。

30センチの長さに揃えたい場合に、その差が2ミリであるならば、

ほとんど問題にする必要はないのですが、

3センチに対して誤差2ミリは許容しにくいものです。

 

実は、同じ長さに切り揃えるというのは、なかなか難しい作業なのです。

 

では原因と対策です。

 

長さを決めるためにはワイヤーを測らなければなりません。

私は、デスクに置いた定規にワイヤーを沿わせて測る場合と、

ワイヤーも定規も浮かせた状態で測る場合があります。

使い分けは、必要な長さの違いです。

定規を置いたままの方が誤差は小さくなるので、短く切るときはそうしています。

 

また、ワイヤー自体は束になって丸まっていると思いますので、

切る前にその部分は出来るだけ直線化しておくことも必要です。

直線化の方法は、ワイヤーを平らな面に置き、

それを固くて平らなもので上から押さえつけながらコロコロとさせます。

 

また、ワイヤーを切るためには切る場所に印を付けたと思いますが、

あなたは何で付けましたか?

 

私はサインペンです。

本当は細字で付けたいのですが、よく見えないので中字の太さです。

どちらにしても、付けた印には必ず太さがあるものです。

印のどこにペンチの刃を当てるかによっても、当然切り取られる長さが変ってきます。

 

「切ること」は技術的なことですから、実際の作業を積み重ねることで。

段々と上達していきます。心配はありません。

 

次は「形(カタチ)を考える」です。

この「形を考える」とは、造形のイメージを描くということです。

 

ところでみなさんは、今回の宿題でいくつの四角形を作ったでしょうか?

 

私は参考例となるものを4個作ってみました。

一つは長方形、残りはほぼ真四角ですね。

もちろん、どれが正解ということではありません。

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考えれば、さらに違う作り方があると思いますが、

ここで示したかったのは四角形という単純なテーマに対しても、

複数のアプローチがあるということです。

 

つまり、全体の形をイメージすることと、それを実際の形に仕上げていくための

パーツの繋げ方(繋ぎ方)を同時に考えましょうということです。

繋ぎ方で、仕上がりのイメージが随分変わります。

強度も変わります。

 

宿題に戻って「ある作業」とは、

この「パーツをどのように繋げるかをイメージすること」でした。

「設計をする」といってもよいでしょう。

それから、イメージはそのままにしておくと忘れてしまいますので、

メモしておくことをオススメします。

 

最後は「ワイヤーを繋げる」です。

基本は繋げたいワイヤーを巻き込んだあと、

しっかり自分に戻ってくるイメージですね。

「ワイヤーワークの基礎 その3(基本技術1)」に載せた、

留めの写真をもう一度確認してください。

 

基礎ということでは、少し難しくなってしまいましたが、

知っていれば、いつか出来るようになると思いますので、

敢えて踏み込んでみました。

 

それではまた。

次回をお楽しみに。

 

 

 

殺し文句

 

探し物をしていたら、針金細工の教室をしていた当時のリーフレットが出てきた。

教室を開いていた期間は3~4年だったけれど、楽しい思い出だ。

 

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みんな元気かなぁ・・・。

 

通ってくれた生徒が何人だったのか覚えていないけれど、

このブログを読んで連絡をしてくれたらとても嬉しい。

奇跡のような確率かもしれないけれど、

それを楽しみにもう少し書き続けたいと思う。

 

当時、1回だけ東京で教室を開いたことがあった。

場所は銀座三越の屋上階にあった園芸店で、

名前は「マリポサ・ガーデンスペース」だったと記憶している。

 

何の縁でその話をいただいたのか、経緯は思い出せないのだが、

担当者のセリフがとてもカッコよかったのははっきり覚えている。

 

条件を詰めながら、最後にこう言ったのだ。

三越はおかげさまで百周年を迎えました。

 この企画はその流れの中にあって、チラシは100万枚を予定しています。

 受けていただければ、先生(一応そう呼ばれていた)の名前が100万枚に

 載ることになります」

 

はなから受ける気でいたのに、この殺し文句である。

田舎者はひとたまりもない。

 

何をやったのかは全く覚えていないけれど、このセリフだけは忘れない。

 

10・20・30・40

 

市長選挙の頃だった。

 

候補者の応援に駆り出された私は、ある公民館でその候補者の話を聞いたあと、

仕事に戻るために建物の外に出た。

いわゆる動員というやつだ。

 

出たところで「イマイくん、ひさしぶり」と声をかけられた。

振り返ってみると、立派な男性であるが、知らない人だ。

なぜかニコニコしている。

ひと間違いかと思ったが、そもそも私を名前で呼んでいるのだ。

近づいてくるので、必死になって思い出そうとしたけれど誰だかわからない。

180センチの私より、彼はさらに大きい。

 

「いまどこにいるの?」といいながら、名刺を出してきたので交換し、

すばやく名前と会社名を見たものの、さっぱりわからない。

隣には大きな彼よりさらに大きな若者がいて、せがれだという。

適当に話を合わせ、「失礼します」とその場を後にした。

 

会社に帰って、名刺にある会社を検索してみたのだが

手がかりになるものは何もなかった。

「独立した」と言っていたが、とにかくなんにも思い出せなかったので、

仕事に戻った。

 

しばらくして「お客さまが来ています。アポなしということですが、どうしますか?」と、女子社員がその人の名刺をもって聞きに来た。

名刺の名前を確認すると、なんとなくその名前に覚えがあるので会うことにした。

 

顔をみたら知っている人で、今はある会社で企画を立てたりしているという。

知り合ったころはお互い別の会社にいたのだが、

私がこの会社にいることを知っていて、

近くに来たので訪ねてくれたのだ。

会ったのは10年ぶりぐらいだった。

 

その日は、仕事を終えたあと会社のみんなとマージャンをすることになっていた。

若い人はあまりやらないので、宅を囲むのも年に1回あるかないか位なのだが、

この日は「退職する人のお別れの会」も兼ねていた。

退職する彼はオリンピックへの出場経験がある超一流のアスリートであったが、

引退を決めた後、新しい人生を歩むために会社をやめることにしたのだった。

 

夕飯を食べ終わったころ、私の携帯が鳴った。

仕事で使っている方で、登録されていない番号が表示されている。

雀荘の中だし、知らない番号だし、どうしようか迷ったけれど、

出てみたら古い知り合いだった。

 

彼とは20年ぐらい会っていなかったと思うが、その声を聞いた瞬間、

昼間の立派な男性が誰だったのかを思い出した。

二人はどこかで一緒に飲んでいて「きょう、イマイくんに会ったよ」と、

いうことで電話をしてきたのだった。

 

私は若い頃に数年間だけアメリカンフットボールのチームに所属していた。

体格のよい男性は、そのときの先輩だった。

特別仲が良かったわけでもない。

なんといっても、チームを離れて30年くらい経つが、

以来1度も会ったことがない。

当時の私は明らかな長髪だったのに、今は相当短くしている。

イメージは全く違う。

なのに、30年ぶりに会った私のことを覚えていてくれた。

名前まで。

 

この日のマージャンは4回のトップと2回の二着だった。ばかつきである。

雀荘を出たときにはすでに朝日が昇ろうかというころで、

自宅への帰り道はちょうど朝日に向かって走る感じだった。

 

ハンドルを握りながら

「人が死ぬときは懐かしい人が挨拶に来てくれる」という話を思い出した。

滅多に勝てないマージャンで大勝ちさせてくれたのも、

何か冥土のお土産に思えてきた。

このまま死ぬのかなあと、

見納めになるかもしれない太陽に向かってひたすら車を走らせたが、

なんということなく40分ほどで、無事家に着いた。

 

こんな日があってもいい。

記憶に残る1日である。

 

 

 

幸せになる

 

幸せになりたいと、人は言います。

私も、そう思います。

 

ただ、「幸せになる」という言い方は、

一つ間違えると、

幸せになる道を閉ざしてしまう危うさを持っているような気がします。

 

「幸せになる」反対は「幸せではない」です。

 

幸せになるという願いは、幸せになっていることをイメージすることでもあります。

ただ、そのイメージにとらわれ過ぎれば、そうでない状態は不幸でしかありません。

 

人の願いはふくらんで、きりがないものです。

 

幸せになったイメージばかりを追いかける限り、それが具体的であればあるほど、

いつまでたっても「幸せ」には手が届かないような気がします。

そうでないことへの不満がつのるばかりなのです。

 

幸せは、なるものではなく、感じるものなのでしょう。

 

幸福感を持つことこそが、人が幸せになる近道であるような気がします。

日々の暮らしの中で、たとえそれがささやかなことであっても、

幸せを感じ取れる心を持ちたいものです。

 

人の幸せを願うことが愛情だとすれば、願われることが最高の幸せです。

どちらも人の「想い」の中にあります。

 

みなさまに幸あれ。

自戒を込めて。