東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

バレーの舞台で王様役をした話(S)

たぶん40代最後の年だった。

知り合いに頼まれて、

生まれて初めてバレーの舞台に立った。

地元のバレー教室が開催する

定例の発表会だった。

ある演目で、団員に適任者がなく

知り合いに出演依頼がきたらしい。

役柄は女王様。

本人は承諾したのだが、

もうひとつ条件(お願い)があって、

「王様役を連れてきて」ということだった。

 

さすがに二つ返事ともいかないので

様子を見るつもりで教室に行ってみたら

「すいません、今回は本当にありがとうござåいます」と、

主宰されている女性に言われて

引けなくなってしまった。

ちなみに二人とも、ど素人。

「そこに居てくれるだけでいいので…」

ということだったが、

結局なんだかんだと

1か月近く通って練習した記憶がある。

 

話を現在に戻して、少し前のこと。

仕事の打ち合わせをしていたある日、

「子育てが少し楽になってきたので

 小さい頃からの夢だったバレーを習いたい」と

その女性(社外)がつぶやいた。

「こんな年(まだ30代)から始めたら

 恥ずかしいかなぁ」と言うので、

「いやいや、どうぞやってください」と

背中を押してみた。

 

そこで思い出したのが、この写真。

ちなみに、舞台に立ったことは

出演を頼んできた知り合いと、

バレー教室の方々を除くと、

未だ家族を含めて誰も知らない。

写真もたくさん頂いたけど

大きな封筒に入ったままだった。

 

そんなことがあったことも

すっかり忘れていたけど、

「恥ずかしいからどうしよう…」と言う人を

その気にさせるにはこれしかないと

怪しい写真を送ってあげた。

 

大爆笑したみたいだけど、

その後バレーの話は出てこないので

始めるきっかけにはならなかったというか、

むしろその逆の効果だったかもしれない。

 

人の役に立つのは難しい。

 

注:こちらもインスタと同時配信です。

将棋にまつわる思い出(M)

30代の頃です。

子ども向けの将棋教室をやってみたくなり、

日本将棋連盟に開設の要件を問い合わせ

資料を送ってもらいました。

それを友だちに話したら、

「看板が必要だろう」と

早速作ってくれたのがこれです。

書体は彼のオリジナルで、

しかも、両面。

外に掛けた時、道路の両方向から見えるようにと。

 

ちなみに

①は文字を彫ってあり、

②は文字を残して彫ってありますが、

木工が趣味でもないのに、その出来に驚いたものです。

持つべきものは器用な友達です(笑)。

 

さらに、出来上がって間もなくのこと。

地元で将棋のタイトル戦が行われ、

先輩が大盤解説に誘ってくれました。

伊香保の旅館でしたが調子に乗って

これを持って出かけたところ、

大盤解説中村修先生(当時七段)が

なんと、サインどころか

詰将棋を書いてくださいました。

 *白文字の方です。

多分、「将棋教室を開設したい」

とか言ったのだと思います…。

 

さて、肝心な教室ですが、

ご想像の通り、

看板ができたことで気が済んだのか

結局、実現しませんでした。

 

流石に棋士の記憶力を持ってしても

覚えていらっしゃらないとは思いますが

先生、ごめんなさい。

 

余談

ちょうどその頃のこと。

近所の公民館で、週に1度開催される

囲碁・将棋」クラブみたいのがあり

そこの世話役の人に

声をかけてもらったことがありました。

「一応、アマ参段です」と話したところ

「ぜひ教えにきてほしい」と…。

出かけてみたら、囲碁の人ばかりで

将棋を指す人は誰もいません。

集まっている人の年齢は自分の倍くらい。

いわゆるご隠居さんです。

手持ち無沙汰にしていたら、

囲碁の対局を見学していた方が

多分「今度、将棋の先生がくる」とか

聞いていたのでしょう、

「1局お願いします」と

誘ってくださいました。

「ときどきNHKの将棋を見るくらいで

 ほとんど指してないんだけど」

とか仰りながら…。

 

結果は惨敗でしたが、

この方の一言が忘れられません。

将棋の勝敗は、負けた人が

「参りました」とか「負けました」

と、声に出して終わりますが、

私が「負けました」と頭を下げると、

その方は、勝ち誇るではなく、

周りにいた人に聞こえるほどの声で

「先生が、ゆるめてくれた」と。

 

その一言は、せっかく足を運んできた若者に

恥をかかせないためのものだったのでしょう。

敗者へのいたわりと敬いかたを

人生の先輩に教えてもらったのですが

今でもその声が聞こえてきます。

 

*この記事は、先ほどインスタグラムにあげたものです。

 看板だけのつもりが、キャプションを書いているうちに

 ずいぶん長くなってしまいました。

 インスタより、ブログ向きだったなと思い、

 こちらにも掲載させていただきました。

 悪しからず。

 

それでは、また。

 

季節外れの「ひょう」が降って(S)

お久しぶりです。

 

当地(前橋)の気温は朝からグングン上がって、

とうとう39度に。

ちなみに、日本で一番暑かったのは

ここから車で30分ほどの桐生市

なんと39.7度を記録したそうです。

その差0.7度が体感できるのか分からないけど

とにかく暑い1日でした。

 

先日(7/3)は大雨とともに季節外れのひょうが降り、

ウッドデッキが白くなるさまを呑気に見ていたのですが、

そのうち粒が大きくなり出し、

ゴルフボールを超えるものが混じってきたので

窓が割れるのではないかと本当に心配しました。

 

幸い窓ガラスは大丈夫だったのですが、

一夜明けて家の周りを見回ると、

あちこちやられていて、いささか凹みました。

極め付けは車2台でボンネットも屋根もボコボコ。

 

聞けば、ウチの近くにあるあるタクシー会社では

8台の車でガラスが割れたということでなので

その破壊力を想像していただけるのでは…。

 

ウチの被害に戻ると、色々ありましたが、

ひとつ「ストライク」と言いたくなるのがあるので

画像をアップします。

当てようと思っても、なかなか当たらないと思うけど

見事です。

っていうか、見事にやられました。

 

色々ありますね。

 

お知らせ

インスタのアカウントを追加しました。

よかったら、チェックしてみてください。

https://www.instagram.com/wired_ww_life/

 

日常の切り取りというか、ほぼ備忘録です。

続・ぴょんぴょんぴょん(SS)

1月10日に久しぶりの記事を上げてから

早くも2か月が過ぎてしまった。

その時のタイトルが「ぴょんぴょんぴょん」で、

インスタのフォロワー数を

ホップ・ステップ・ジャンプと増やすのが

今年の目標だと書いた。

あえて数字を明かさなかったけど

目標は1000人である。

ということで、その後の経過であるが

本日、ちょうどその半分の500人になった。

 

増加ペースを見てみると

順調なのか、そうでもないのか、

ちょっと微妙な感じがするけれど

まぁまぁ頑張ってるのではないかと

思うことにした。

 

ところで、ひと月ほど前から、

娘が飼っているワンコ2匹を預かることになり

まったりした生活が一変した。

正月から「ぴょんぴょんぴょん」などと、

呑気なことを書いていたが、

今はウチの子を入れて

「わんわんわん」である。

っていうか、

「てんやわんや」か…。

 

それでは、また。

ぴょんぴょんぴょん(S)

今年は「うさぎ年」ということで

干支のイメージは「飛躍の年」である。

飛躍と言っても、うさぎである。

カンガルーのように、

ぴょ~んと高く跳ぶというより

ぴょんぴょん跳ねる感じであろうか。

あるいは少し頑張って、ぴょんぴょんぴょんか…。

とにかく、今より高いところを目指して

行動することが大事なんだと思う。

 

高みを目指すプロセスは、

階段で表現するとわかりやすく、

企画書などでも多用される。

上向きの矢印(ギュイ~ンってやつ)より

それぞれのプロセスを括りやすいし、

何より「一歩一歩」上がっていく感じが

多くの人に好まれるのだろう。

大きな目標を小さな目標に分割することで

成功(達成)の確率が高まる気もする。

 

また、ホップ・ステップ・ジャンプという言葉がある。

これも同じような考え方なのだろう。

大ジャンプ一発ではない。

ところで、ホップとステップとジャンプの間隔(割合)は

どの位がいいのだろうか?

 

実は何年か前にインスタグラムを始めたのだが

例によって、ほったらかし状態が続いた。

確か、昨年夏の頃のフォロワー数は30人位だった。

思うところがあり、頑張ったところ、

11月の半ばに100人になった。

約3倍増だ。…ホップかも。

そして大晦日に、一瞬300人になり、

結局のところ299人で年を越した。

それでも、ほぼ3倍だ。…ステップかな。

もしや、分母が小さいうちは、

「3倍の法則(そんなものはない)が

 成り立つのかもしれない」などと、

根拠のない自信が湧いてきた。

となれば、最後のジャンプで目標にする人数は…。

さて、ぴょんぴょんぴょんと

うまく行くかな。

 

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

 

それでは、また。

締切までには(S)

仕事納めまであと数日なのだが、

締切に追われてあたふたしている。

 

ひとつは、社内広報誌。

今回は6ページで、仕上がり具合は8割程度。

校了までには複数の役員の校閲をパスする必要があり、

誌面を全部埋めたとしても、気が抜けない。

 

次は、新年会用の動画の編集。

例年、新年会は業務を早く切り上げて、

社外の会場で行うのだがコロナ禍ではままならず、

会長・社長の年頭挨拶を事前に撮影し、

さらに1年の振り返り等を合わせたものを編集し、

動画として配信して済ませている。

こちらの進捗も8割程度。

同じ8割でも、動画編集の方が手間はかかるのだが、

基本的に仕上がりイコール完了なので、

気が楽なところもある。

 

とにかく、どちらも仕事始めの4日に

発行・配信するので、後がない。

もちろん、担当は一人。

まぁ、なんとかなるだろうというか、

なんとかしないとね。

 

仕事はこんな感じだけど、

プライベートではインスタに再挑戦中。

 

ハンドメイドに興味のある方、

ぜひご覧ください。

https//www.instagram.com/wired_wirework/

 

それでは、また。

続ける理由とやめない理由(M)

最近は記事の更新が季節の挨拶みたいになってしまったけど

なんだかんだと5年も続いているのには自分でも驚く。

そもそも、ブログの内容は

当初の目的から半ばずれてしまったままだし、

元々飽きっぽい性分でもある。

いつ卒業しても不思議ではないのに、なぜか続けているので

改めて考えてみると、いくつかの理由が思い浮かんできて、

それがために続けているのだと、なんとなく合点する。

 

ところで、続ける理由と、やめない理由は、

意味としては同じようでありながら、微妙に違い、

必ずしも重なるところばかりではないようだ。

「続ける理由」のひとつは「気の合う友人」との関係みたいで、

会わないでいても気にならないけど、

会えば(話せば)一瞬に時間を埋められるような、

そんな感覚を持てる人に巡り合えたことだろう。

多分、この先、会うこともないと思われる

名前(本名)も顔も分からない人と、

何かを分かち合うことができるとは

ブログを始めるときには想像もしていなかった。

さらにその「ともだち(勝手に、そう思っている)」は、

ふたつのグループに分かれている。

定期的にブログを更新しているグループと、

ここ数年ブログを更新していないグループである。

前者に属している方々の近況を読むのは

今では、日々のルーティーンとなった。

楽しい報告には素直に「よかったね」と思えるし、

そうでない記事には「がんばって…」と念を送っている(笑)。

後者の方々の中には、ちょっと休んでいる風の方から

キッパリやめてしまった方まで、いろいろだと感じるが、

それでも、いつ何時(なんどき)、復帰しても良いように

密かに待ち構えているというのが

実は、「続けている」大きな理由でもある。

 

では、「やめない理由」とは何かというと、

これは一言で言うと「悔しい」から。

 

ちなみに、最初に書いた「続ける理由とやめる理由」の

重なっている部分とは、他者との関係性である。

期待できる関係性が生じれば続けるだろうし、

そうでなければ離れていくのだと思う。

ブログを備忘録の代わりだという人もいるけれど、

他者を全く意識しないで書くことは、

なかなかというか到底できないのではないか。

ブログとは、そういうものだと思う。

 

さて、少し前に戻って、

何が「悔しい」のか…というと、

それは、秘密。

 

それでは、また。