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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

将棋にまつわる思い出(M)

30代の頃です。

子ども向けの将棋教室をやってみたくなり、

日本将棋連盟に開設の要件を問い合わせ

資料を送ってもらいました。

それを友だちに話したら、

「看板が必要だろう」と

早速作ってくれたのがこれです。

書体は彼のオリジナルで、

しかも、両面。

外に掛けた時、道路の両方向から見えるようにと。

 

ちなみに

①は文字を彫ってあり、

②は文字を残して彫ってありますが、

木工が趣味でもないのに、その出来に驚いたものです。

持つべきものは器用な友達です(笑)。

 

さらに、出来上がって間もなくのこと。

地元で将棋のタイトル戦が行われ、

先輩が大盤解説に誘ってくれました。

伊香保の旅館でしたが調子に乗って

これを持って出かけたところ、

大盤解説中村修先生(当時七段)が

なんと、サインどころか

詰将棋を書いてくださいました。

 *白文字の方です。

多分、「将棋教室を開設したい」

とか言ったのだと思います…。

 

さて、肝心な教室ですが、

ご想像の通り、

看板ができたことで気が済んだのか

結局、実現しませんでした。

 

流石に棋士の記憶力を持ってしても

覚えていらっしゃらないとは思いますが

先生、ごめんなさい。

 

余談

ちょうどその頃のこと。

近所の公民館で、週に1度開催される

囲碁・将棋」クラブみたいのがあり

そこの世話役の人に

声をかけてもらったことがありました。

「一応、アマ参段です」と話したところ

「ぜひ教えにきてほしい」と…。

出かけてみたら、囲碁の人ばかりで

将棋を指す人は誰もいません。

集まっている人の年齢は自分の倍くらい。

いわゆるご隠居さんです。

手持ち無沙汰にしていたら、

囲碁の対局を見学していた方が

多分「今度、将棋の先生がくる」とか

聞いていたのでしょう、

「1局お願いします」と

誘ってくださいました。

「ときどきNHKの将棋を見るくらいで

 ほとんど指してないんだけど」

とか仰りながら…。

 

結果は惨敗でしたが、

この方の一言が忘れられません。

将棋の勝敗は、負けた人が

「参りました」とか「負けました」

と、声に出して終わりますが、

私が「負けました」と頭を下げると、

その方は、勝ち誇るではなく、

周りにいた人に聞こえるほどの声で

「先生が、ゆるめてくれた」と。

 

その一言は、せっかく足を運んできた若者に

恥をかかせないためのものだったのでしょう。

敗者へのいたわりと敬いかたを

人生の先輩に教えてもらったのですが

今でもその声が聞こえてきます。

 

*この記事は、先ほどインスタグラムにあげたものです。

 看板だけのつもりが、キャプションを書いているうちに

 ずいぶん長くなってしまいました。

 インスタより、ブログ向きだったなと思い、

 こちらにも掲載させていただきました。

 悪しからず。

 

それでは、また。