東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

クルマは急に止まれない

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一昨日(金))の午後、カミさんが事故に遭ってしまった。

 

信号待ちしているところを後ろから追突されたのだが、

もう少し細かく状況を説明すると、

カミさんの後ろに止まっていた車にほぼノーブレーキで車が突っ込み、

その反動で突っ込まれた車が、突っ込んできたということだった。

 

最初に突っ込まれた車は前後が潰れレッカー移動だったようだが、

カミさんは後ろがべコンと潰れたものの、自走出来たので帰ってきた。

 

いわゆる玉突き事故だが、現場検証は2時間近くかかったようだ。

一般的な事故に比べ当事者が3人なので、

それぞれの関係先に連絡を入れたり、指示を仰いだりとなると、

結構手間がかかるのだろう。

 

翌日(昨日)は念のため病院で診察を受け、

午後は「代車が用意できました」というディーラーで車を替えてきた。

 

事故を起こしてしまった方は夜勤明けだったようで、

一瞬の気の緩みが原因だったようだ。

 

夕方、改めてお詫びの電話をいただいたと思ったら、

さらに夜になって菓子折りを持って丁寧にお詫びに来てくださった。

夕方の電話でのやり取りを隣で聞いていた私は

「きっと、夜になったら来ると思う」と言ったのだが、その通りであった。

 

カミさんがゴネていたからではない。

むしろその逆で「大丈夫だから、心配しないで・・・」と言っていたのだが、

私はその人の気持ちが何となくわかったというか、

私ならきっと謝りに行くだろうと思ったからだった。

 

22年前、私はある事故を起こした。

まだ30代だった。

 

ほぼ毎日通っている道のある交差点に、新たに信号機が付いたのだが、

それが目に入らなかった。

普段乗っている四駆ではなく、その時はカミさんのセダンを運転していたので

座席の高さが全く違ったことも影響したのかもしれないが、要は不注意だった。

 

母が亡くなり、初七日の日だった。

 

急ブレーキを踏んだけど、間に合わなくて最後にコツンと当ててしまったのだ。

 

「私が一方的に悪い」と非を認めていたので、現場検証はすぐに終わった。

幸いというか、200メートルくらい先の次の交差点には交番があり、

現場検証をすませた後の書類は交番ですることになった。

相手は若い男の子2人であった。

外見で判断するのはいけないが、

彼らは調書を書いている間も紙パックのジュースを片手に持ち、

刺したストローでチューチュー飲んでいた。

それでおまわりさんの心証を悪くしたのか、私が完全に悪いのに、

「後でどっかが痛いなんて言うんじゃないぞ」と威勢をつけられて

「はい」と小さく答えていた。

彼らは被害者なのだが、怒られているようで変な感じだった。

 

交番を出ると、運転していた彼が誰かに電話をかけた。

当時はまだ携帯電話が普及する前で、公衆電話である。

少し話した後、私に「出てくれ」と受話器を渡した。

親御さんだとわかったので、とにかくお詫びをしたのだが、

私の話を遮るように

「子供は未成年だから、この話は俺が引き取った。

 あんたと、俺の話だから・・・」と、ドスの効いた声で言ってきた。

話を引き取る?と言うのがよくわからなかったが、

とにかく電話口で、謝るしかなかった。

 

電話を切り、改めて2人に謝って別れ、そのまま私はディーラーに向かった。

私の車はバンパーに少し傷が付いた程度だったので、

修理はともかく保険のお願いをするためである。

ちなみに、相手の車は相当に古い軽自動車で、

どの傷が今回ぶつけたところなのかわからないぐらい、

あちこちへこんでいた。

 

状況を説明し「後で謝りに行きたい」と言ったのだが、

「交差点の事故なんだから、あまり“悪い”と言わないでくれ」とたしなめられ、

後は保険に任せてわざわざ謝りに行く必要はないとも言われた。

はっきり言えば、行かないで欲しいと言うことだった。

 

さらに、交差点の事故は原則「10:0」にならないと言うので

「差額は自分が払うから10:0にして欲しい」とお願いし、

住所を聞いていたので相手の家をゼンリンの地図で教えてもらった。

グーグルマップなどない時代である。

 

暗くなりかけた頃、その家を尋ねた。

 

一軒家で、玄関先にはお花の植え込みがあった。

昼間の電話の相手を想像すると相当緊張していたので、

その花を見たときに、少し安心した記憶がある。

花を愛でる人は心優しい人たちに違いないと思って・・・。

呼び鈴を鳴らし、引き戸を開けると奥に続く長い廊下であった。

 

その一番奥から出て来た人を見たとき、

正直“俺の人生は終わった”と思った。

100キロを超えるであろう体格はともかく、その人は迷彩服を着ていたのだ。

当時、迷彩服をファッションで着る人は皆無だった。

 

無理やり自衛隊の人かもしれないと思おうとしたが、

そうではない事は明白だった。

「ご迷惑をおかけしました」

と言いかけたのと同時ぐらいに

「子供が首が痛いと言ってるから、病院に行かせた。

 おめえの話は聞かないから帰れ」と言われた。

 

そう言いながら事故に関して特別な知識があるようで、

書くのがはばかられるようなことを言われ続けたので、

「俺はこの後この人にどの位むしり取られるんだろうか」

という恐怖と戦いながら、とにかくひたすら謝るしかなかった。

 

どのくらいだったか覚えていないが、

急に「わかった。あんたの誠意は伝わった・・・」

  「悪いようにはしないから、もう帰れ」と言われた。

最初に「そんなもんいらねえ」と返された手土産も受け取ってくれたので、

もう一度頭を下げ、その家を後にした。

 

その家に行ったのはその一回だけで、後は保険屋さんに任せたままだったが、

いつなんどき呼び出しがくるのではと、心の何処かで怯え続けた。

随分経って、保険会社から示談になったとの連絡がハガキで届いた。

 

記載されていた医療費にも驚いたが、

車の修理代は信じられない金額だった・・・。

 

 

追記

暗い話になってしまいました。

ごめんなさい。

なので、ちょっと可笑しかった話を最後に入れます。

 

今回、カミさんが一応病院に行って診察を受けたとき、

「診断書をどうしますか?」と先生が尋ねてきたそうです。

現場検証のときに「診断書を後で出してください」と言われたから

みんな出すものだと思っていたので、

一瞬答えを躊躇したら

「裏社会の人は書かないけどね」と言いながら、

楽しそうにその辺の事情を色々話してくれたそうです。

 

裏社会の人は書かないそうです。

 

ぶつけても、ぶつけられても事故は大変です。

みなさま、どうぞお気をつけくださいませ。

 

それではまた。