東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

言葉を声に乗せるということ(M)

言葉の意味がわかるということでは、

わからないより、わかる方がいい。

だけど、全くわからない場合はともかく

ほんとうに大事なことは、

何を言われたかということより、

どう言われたかということだと思う。

 

たった5文字の「ありがとう」でさえ、

気持ちがこもっているのか、そうでないのかは

それを聞かされた方は大体わかるというものだ。

乱暴な言い方をすれば、

言葉は何とでも言えるし、

何とでも書けるものである。

言葉そのものより気持ちがこもっているかどうかが、

いちばん大切なのだ。

 

前回の記事(10/9)で、

好きな音楽のジャンルとその理由について、

曲を構成する要素の優先順位を、

「リズム>メロディー>歌詞」と書いた。

要は、歌詞のウェイトが一番低い。

 

好んで洋楽を聴いてきたけれど、

最初に聞き始めた洋楽Rockの歌詞の内容に

幸いというかピンとくるものがあまりなく、

歌詞はどうでも良くなったからかもしれない。

というより正直に書けば、

歌詞のある曲については

ライナーノーツの日本語訳を見ないと、

何を唄っているのかさっぱりわからないので

歌詞への関心が薄れてしまったのだろう。

なので曲調の印象と内容が、

一致しないことがよくあった。

聞いていて意味が全く解らなければ、

歌詞に意味がないのと一緒である。

 

さらに繰り返しになるけれど、

歌詞の感性や完成度がどんなに高くても、

読むことで目から入るのと、

声を通して耳から入るのとでは大きな違いがある。

例えばある曲を別の人がカバーしたときに、

歌詞もメロディーも一緒だというのに

まるで雰囲気が変わってしまうことがよくある。

歌詞は「どう歌うか」によって、

聞き手にとっては響き方が変わるものなのだ。

 

たまたまインスト(器楽曲)を好むようになってきて、

そもそも歌詞をチェックする必要がなくなったけれど、

そうはいってもボーカル曲を聞かないわけではない。

ただ、残念ながら歌詞(英語)がわからない分、

曲の全てを味わうには程遠いような感覚が

いつも付いて廻っている感じがしていた。

作り手が伝えたいことの大事な一部を

受け取れないもどかしさと言っていいだろう。

 

最近、邦楽をよく聞くようになってきたのは、

言葉のチカラを再確認したからに違いない。

歌詞も味わうようになってきたのだ。

ただし言葉(歌詞)だけを取り出して味わうより、

どう歌うかというか、

どう表現するかが好みの分かれ道であり、

音楽の魅力はそこにあるような気がする。

 

それでは、また。