東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

私の「しんじょう」(S)

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記事は数よりも質だという。

その事を多くの方が記事にされている。

 

なので、ときどき前に書いた記事を読み返してみる。

書き直したくなることも多々あるけれど、

それをやるとキリがないので、今は我慢している。

 

読ませていただく記事も色々なタイプがあって楽しいのだが、

多くの読者に支持されているのは、

総じて読んで役に立つ記事のようである。

 

質というのは、役に立つかどうかなのだろう。

役に立つというのは、そこに書かれている情報が

「ある課題を解決するきっかけや手段のひとつになるかどうか」だ。

実際に、有益な情報はありがたいものだ。

それも、ほとんど無料なのだから驚かされる。

ほんの少し前までは情報こそが権力の源泉でもあったし、

手に入れるためには相応の対価が必要だったことを考えると、

その部分では良い時代になったと思う。

 

振り返って自分のブログはどうかというと、

「情報」というより「心情や身上」ばかりで、

ほとんど人の役に立たない。

同じ「しんじょう」でも「信条」に基づいた記事であれば、

読者も安心して読めるのかもしれないが、

私の「心情」はフラフラしていて定まらない。

読みにくいブログだろうなと、自分でも思う。

 

そういえばTVCMで『芸能人は歯が命』と言っていた、

元野球選手の「しんじょう」さんは、

最近見かけないけどお元気なのだろうか。

 

こんな調子で

「信条」がない「心情」だけの記事を書き連ねているうちに、

いつか読者に愛想をつかされてしまうのだろうか。

 

「お役立ち」って難しい。

 

それでは、また。

 

悲観と楽観のはざまで(L)

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昨日書いた「BLUE NOTE TOKYO」に、

山盛りのはてなスターを付けて下さった方がいて、びっくりです。

取り上げたアーティストのファンだったのか、

最後に書いた嘆きのコメントに共感してくれたのか謎だけど、

何となく気をよくして今日も音楽ネタで行こうと書き始めています。

 

取り上げたい人はたくさんいるので、

誰にしようかと思案しているうちに、

唐突だけど

「世の中には悲観的な人と楽観的な人と、どっちが多いのだろうか」と、

どうでもいいようなことを思い付いてしまいました。

音楽とは全然関係ないけれど、

思い付きは大事にしないといけないので、

路線を変えてこっちを書こうと思います。

 

いつもこんな感じだから記事に深みがないのですが、

えらそうな事を書いても底が知れてるのでご勘弁を。

 

さて、「悲観と楽観」です。

厳密には「悲観」と「楽観」の間に、

「どちらでもない」方々がいると思うけれど、

この際、その「どちらでもない」方々は除いて考えてみます。

 

・・・・・(思考中)

 

しかし、考えても全く分からないことに気が付きました。

当たり前なのですが、ある人が「悲観的か客観的」なんて、

考えるまでもなく他人に分かるはずがなく、

直接聞いてみるしかないのですね。

 

仕事柄、総務相の家計調査を時々チェックしますが、

日本人の性向調査などはあるのでしょうか?

問1「あなたはどちらかというと悲観的ですか?」

ストレスチェックみたいですが、

私はこんなアンケート受けたことがありません。

念のために総務省統計局の分野別一覧をあたってみましたが、

やはり見当たりません。

定性的なものは扱いにくいのでしょうか。

ネットの達人だったら、

どこからかデータを探してくるのかもしれませんが、

私には見つかりませんでした。

 

ビジネスの現場では、

「最悪を想定して、最善を願う」という言葉がありますが、

これはリスク管理の話であって悲観とは違います。

書き始めた手前、こんな中途半端なオチでは終われないので、

せっぱつまって自分はどうかと考えてみます。

 

・・・・・(思案中)

 

考えたらだんだん訳が分からなくなってきました。

私はどちらかと言うと、モノゴトを悲観的に考えるタイプです。

なぜ分からなくなったかと言うと、

考えるプロセスでは完全に悲観的なのですが、

結論は「まあいいか」と適当に考えを打ち切るからです。

「悲観で考え、楽観で行動する」と書けばかっこいいのですが、

まあ、ただ適当なだけです。

それでも最後は言いようによっては、

楽観的なところがあるとも言えるのですね。

59分間を悲観で考えておいて、

残り1分で「まあいいか」という感じです。

 

いったい私はどっちのタイプの人間なのでしょうか?

皆さまは、いかがですか?

 

それでは、また。

BLUE NOTE TOKYO (L)

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仕事を終え帰宅する車の中で、

ラジオのチャンネルを、AFN Tokyo(810MHz)にしたら、

昔よく聞いたus3のカンタロープが流れてきた。

 

 Ladies and Gentlemen as you know

 We have something special for

 you at

 Birdland this evening

 A recording for Blue Note Record・・・

 

いつ聞いても出だし、かっこいい。

この曲についてはオリジナルのハービー・ハンコックより、

こっちの方が好きです。

わけもなくテンション上がります。

 

いきなり話が変わりますが、

平成30年に30歳になった企業はどの位あるのでしょうか?

今年、創設(設立)30周年を迎えた企業ですね。

 

ちなみに設立30年後の企業生存率は、

いろいろな数字があるので不確定ですが、

0.02%というテータもありますので、

想像するより大変なことのようです。

技術やサービスの陳腐化が早まっているのは、

日々実感するところですし、

生活者・消費者のニーズを的確につかみ、

支持され続けることの難しさが、

年々増しているのは確かな気がします。

 

そんな中、

BLUE NOTE TOKYOブルーノート東京)が30周年を迎えました。

オープンが1988年の11月だったので、ちょうど30歳ですね。

実はこの記事を書くためにHPを見てそれを知ったのですが、

驚いたのはそれだけではなく、場所も青山の骨董通りから、

現在の南青山へ移転していたんですね。

あれだけ好きだった音楽とも随分疎遠になっていたんだなと、

思い知らされます。

 

私が最後に行ったのはマーカス・ミラーのライブで、

たぶん1996年くらいでした。

持参したベースにサインをしてもらったことを思い出します。

(ネックを外して、デイパックにボディーだけ持って行ったのです)

 

急に見たくなったのでユーチューブで探してみたのですが見当たりません。

以前は当時のライブ映像があったのですが残念です。

それでも同じユニットに近い大阪公演があったので、

久しぶりにちょっと見てみました。

マーカス(ベース)はともかく、

ハイラム・ブロック(ギター)もかっこいい!

youtu.beこのライブを見に行った頃、

私は変なバンドでへたくそなベースを担当していました。

全員そろうと15人くらいという、にぎやかなバンドでした。

ニューヨーク・サルサをやるはずだったのですが、

このあたりの話はまた改めて書きたいと思います。

 

音楽と疎遠になったと書きましたが、

マーカスを見たからといって、続けて誰かを聞きたい気が起きません。

どうしても聞きたい音楽がないというのは、なんだか寂しいです。

 

 

それでは、また。

 

 *ハイラム・ブロックは2008年に52歳で亡くなっていることも知りました。

  合掌。

 

目的と手段の関係性に思う(S)

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どうやら「目的と手段の入れ替わり」ということが起きています。

 

「目的と手段の入れ替わり」とは、

一般的には手段が目的化することを指すのですが、

私は仕事でもプライベートでもよく起きます。

みなさまはいかがでしょうか。

一旦そのループに巻き込まれると、

なかなか抜け出せないので厄介です。

 

今回は薄々感づいていたというより、

目をつぶっていたというのが本当のところですが、

そろそろ行動しないといけないところまで来てしまったようです。

 

ところで、この問題のややこしさは

「目的」と「手段」の関係性にもあるのでしょうか?

 

一般的に目的と手段はセットで、

「~を実現するために、~をする」という形ですが、

文章だとわかりにくいので、図にしてみます。

ちなみにこの図は説明用の思い付きなので、

私が抱えている問題とは違います。

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図の中心は「運動不足を解消する」です。

ありがちですね。

 

最初に図の左側を見ると、

目的は「運動不足を解消する」で、

「ジョギングをする」は手段です。

次に図の右側を見ると、

目的は「健康になる」で、

「運動不足を解消する」は手段です。

 

つまり「運動不足を解消する」ことが、

目的にもなり、手段にもなるということです。

まとめると、

ある目的はより大きな目的の下では手段になるということです。

ややこしい関係性ですね。

この関係性が上にも下にも続いて行くのです。

 

最初に戻って、

当初の目的がいつの間にやらどこかに消えて、

手段が目的にすり替えられてしまう事の原因が、

このややこしい関係性に関係があるのかというと、

必ずしもそうでないというところが、

さらに問題の解決を阻んでいるのかもしれません・・・。

 

などと、ぐだぐだゴタクを並べているのが心地いいのですが、

出来る人から見たら、

「ごちゃごちゃ言ってないで、やることやれば!」

ということでしょう。

 

「おっしゃる通りです」

 

何となく「モチベーション」を考えてみた(L)

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ビジネス・スキルで「モチベーション」といえば、

どちらかといえば他者に対するマネジメントとして、

位置づけされます。

モチベーションは「やる気」と訳せばわかりやすいですね。

 

部下に対する基本的なスキルとして、

やる気を引き出すことはチームの成果に直結してくるものです。

ここに10人のチームがあるとして、

それぞれのメンバーが今より10%のやる気を出してくれれば、

理論上11人のチームとなります。

戦力アップですね。

ことはそんなに単純ではありませんが、

とにかくモチベーションは大事です。

 

仕事で成果を上げるための要素はいろいろありますが、

「スキル」「モチベーション」「環境」の三つを挙げる方もおられます。

うろ覚えで恐縮ですが、

「人の能力差なんて、どんなにあったとしてもせいぜい倍くらいだけど、

 やる気の違いは何十倍にもなる」と、

 ある著名な経営者の語録にもあったような気がします。

 

ところで、メンバーのやる気を引き出すことは大切だと思うのですが、

実は、もっともっと大事なことがあるような気がしてなりません。

それは、今あるやる気(モチベーション)を失わせないようにすることです。

やる気を出させるより、

失わせないようにするほうがはるかに楽なはずなのに、

なぜかその事はあまり問題にされないようです。

最初からやる気がない場合はともかく、

もともと持っているやる気を削いでしまうことは、

すごくもったいないですよね。

人のやる気を削ぐ人にはなりたくないものです。(自戒をこめて)

 

さらに、ここまで書いてきてふと思ったのですが、

他者に対しての働きかけはともかく、

自分自身についてはどうでしょうか?

自分のモチベーションを上げるにはどうしたら良いかです。

ほんとはこれがいちばん難しいのかもしれません。

 

ひとつは他者からの働きかけに頼るというか、

期待するという方法が考えられます。

いわゆる他力です。

まさに「はてなスター」などはこれに相当します。

付けてもらうと元気が出ます。

 

もうひとつは他者に頼らないというか、期待しない方法です。

自力ですね。

これが本筋かもしれませんが、いかんせん難しい。

「今日も1日がんばりましょう~!」と唱えたくらいで、

モチベーションが上がるのなら、誰だって苦労はしません。

 

なので、私は自分で自分を鼓舞するために、

硬軟取り混ぜて作戦を立ててみたりします。

しかし、

そもそも作戦とは秘密にしておいて実行するからこそ効果があるものです。

自分で立てた作戦は、その時点で自分にはバレバレなので、

必然的に大きな効果は期待できないことになります。

大いなるジレンマです。

 

作戦を立てた「自分に厳しい自分」と、

作戦を実行する「自分に甘い自分」との戦いですが、

そもそもバレてる作戦なので、結果は見えているのですね。

さらに事態を複雑しているのは、

「自分に厳しい自分」と「自分に甘い自分」以外にも、

「素直な自分」だったり「ひねくれた自分」だったり、

いろいろな自分が自分の中にいるということです。

信念をもたない「日和見(ひよりみ)菌」みたいな自分もいます。

 

一応全部ホンモノの自分なのですが、

優勢になる自分は日ごとに違うので、いよいよ厄介です。

厄介だけど、私は“いい加減”なので

「まあいいか」と自分をごまかしにかかって適当に切り上げます。

 

世間でよく言う「まじめなひと」というのは、

この内なる戦いに、

しっかり自分でケリをつけようとする人なのかもしれません。

でもこれって、ものすごいエネルギーが必要なんだろうと思います。

持ってるエネルギーを外に向ける前に、

使いきって疲れてしまうような気がします。

 

まじめなことは決して悪いことではないけれど、

時には「まあいいか」と適当になることも、

いいですよ。

 

それでは、また。

今日のランチ 11/8 (S)

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友だちとお昼を食べました。

前に1度、ブログに書いたことのある同級生です。

書き出しは、小学生の作文風ですが、まあよしとして・・・。 

wired1997.hatenablog.com よく行く店で待ち合わせ、同じランチメニューを頼みました。

ちなみにこの店は日替わりのランチがあるのですが、

ひとつはパスタコース、もうひとつはごはんものです。

そして、それぞれのコースが2種類ずつだけなので、

構成としてはとてもシンプルです。

頼んだのは私で、こんな感じです。

 

「アジとクリームコロッケのランチをふたつ。

 ひとつはご飯大盛り。

 ふたつとも、食後にホットコーヒーをお願いします」

 

対応してくれたのは、始めて見る子で、

入ったばかりなのか、たまたまヘルプで入ったのかはわかりません。

 

注文を端末に入れながら、注文を復唱してくれました。

いつもいる子は復唱などしないのですが、

多分心配だったのでしょう。

間違ってはいけないものね。

彼女の復唱はこんな感じ。

 

「アジとコロッケのパスタにご飯を大盛り。

 食後にアイスコーヒー・・・」

できたら、もう一度カッコの中を読んでいただきたい。

 

出来の悪い伝言ゲームでも、ここまで変わらないと思うのですが、

そもそもパスタにご飯の大盛りってどんな料理なんでしょうか(笑)

それでも良かったのですが再オーダーをして、

無事目当ての料理にありつけました。

慣れてない会計も少し時間がかかったけれど、

彼女がしてくれました。

 

店を出て「じゃあね」と彼と別れながら、

またこの店に来るのが楽しみになりました。

 

彼女はどんな成長をみせてくれるのでしょうか。

ほとんど親心です。

 

これは記事というほどのものではなく、運用上の変更についてのお知らせです(S)

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やたら長いタイトルになってしまいましたが、

こういう長いタイトルも案外いいかもしれません。

 

以前、唐突に始めた「総文字数簡易表示」ですが、

「利便性が増しました」とか「安心して読み始められます」とか、

期待していた反応はほとんどありませんでした。

まあ機能というほどではありませんし、

しょうがないところです。

よくある企画倒れと言うやつですね。

 

それでもくやしいので、意地を張ってこのまま続けますが、

ひとつだけ気になることがあるので、

それについて書かせていただきます。

なので再度、文字数表示規定を掲載します。

SS

400文字以内

S

800文字以内

M

1000文字以内

L

2000文字以内

LL

2000文字以上

気になることというのは、

微妙な文字数をどう扱うのがいいのかということです。

具体的にはSS記事は400字以内としていますが、

401字はどうなんだ?ということですね。

規定に依ればS記事になるのですが、どうも釈然としないので、

この場合は句読点を見直して399字にし、SS記事にしていました。

 

難しいのは430字~450字といった文字数です。

書き始めに出来上がりの文字数を考えることはないのですが、

せっかく書き終えた記事を文字数の規定で調節(変更)するのも、

なんだかなぁと、思います。

 

もともと深い考えがあっての基準ではないので、

ガチガチに基準を遵守するよりも、

ここは読者目線で柔軟に対応したほうが、

より読者満足の向上に繋がるのではないかというのが、

今回の思い付きです。

よって、基準はそのままで運用を見直すことにしました。

「基準の文字数を1割超えたものも、その基準とする」

具体的には440字まではSS記事、880字まではS記事、

1100字まではL記事、2200字まではLL記事です。

 

はっきり言って、どうでもいいことなのですが、

書き始めてしまったので、最後まで書いてみました。

皆さまの貴重なお時間を無駄にしたようで心が痛みます。

ですので、お知らせと同時にお詫び申し上げます。

 

それでは、また。