東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

嫌な奴(S)

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ふと思いついたなにげない思いつきが、

何かとてつもなくいいことに思えて、

それなら「こんなことも考えられないか?」と、

さらに新しいアイデアが足されながら、

自分の中で勝手に盛り上がる。

滅多にないけれど、そんなときがある。

脳が猛烈に働きだして、活性化している感じ。

ブレインストーミング」は苦手なはずだけど、

それをひとりでワクワクしながらやっているような感覚。

 

普段は「思いついたこと」を否定する厄介な自分が現れて、

なんだかんだとケチをつけながら、自分を打ちのめす。

最初に思いついたのも自分なのに、

それを別の自分が疑問の形を取りながら、

巧妙に否定して、

「すごい思いつき」と思っていたことは、

あっという間に、

「つまらない思いつき」に成り下がるのだ。

全く嫌な奴で可愛げがないけど、

これも自分なので文句の言いようがない。

考えることは好きだけど、

この厄介な自分が登場すると、

いつだってろくな結論にしかならない。

 

普段はこんな感じだけど、

考えていること自体が楽しいときも、

たまにはあるのだ。

ほんとうに時どきで、一瞬のことだけど、

その瞬間はとても気持ちがいい。

選択的孤独(L)

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「ここまで言ってもだいじょうぶ」っていう、

対人関係のボーダーラインは目に見えません。

なので、気心(きごころ)の知れないうちに、

うっかりそのラインを踏んだり越えたりすると、

「デリカシーのない人」と思われ心象を悪くするか、

場合によっては嫌われてしまいます。

でも、親しくなりたかったら、

とにかく相手のラインの中に入らなければ、

何も始まりません。

 

ラインに色が付いていたらわかりやすいけど、

だからと言って実際にそれが見えてしまっては、

つまらないような気もします。

人生にはドキドキも必要です。

 

そもそもラインは固定されていないので、

日々その人の気分で変わるのが常です。

さらに相手によっても位置を変えるという、

なかなか厄介な代物なので、

いちいちそれを推し量(はか)るのは、

ドキドキするけどちょっと面倒でもあります。

 

元々そんな気質があったのだろうと思いますが、

ここ何年か、いや10年以上かもしれません、

敢えてラインに近づくことを避けてきました。

実際にはラインに近づかなくても、

困ることなどほとんどありません。

とにかく新たな関係性を築く気分にはなれず、

色々なことが億劫になっていたような気がします。

 

そんなプライベートですが、

仕事も含めて他者との関わりというのは、

常に目の前にいる人とのリアルな相対です。

好むと好まざると、日々それが繰り返されていきます。

 

そんな現実的な関係性しか知らなかったのに、

半年前、SNSという新しい世界に飛び込んでみました。

初めてなので何の知識も免疫性もなく、

とにかく手探りでやってきましたが、

少し前、何かを知ったり知ってもらったりする先に、

さらに別の世界があることに気がつきました。

仮想空間にある現実世界とでも

言ったらいいのでしょうか。

それは全く想像もしていなかったことで、

その高揚感に自分でもびっくりしたほどです。

それは、

遠くにいて本当の名前すら知らない人であっても、

何かを通わすことが出来るんだということ。

それが相対で無くても出来るんだということ。

 

書いてみれば、たったこれだけのことですが、

それが驚きというより、とても嬉しかったのです。

 

自らの意思で、ここ何年もの間、

少し心を閉ざしてきた自分がいます。

たまたま今日、

手にした雑誌(PRESIDENT.2019.3.4号)に

選択的孤独という言葉が載っていて、

これに近い感じなのかなと思いながら、

この記事を書き始めました。

 

何かを通わすことは、

何かを分かち合うことなのでしょう。

分かち合えていると感じた瞬間から、

言葉にできない何か暖かなものが生まれ、

その暖かなものが押し込まれていた心にすっと入り込んで、

その頑なな心の扉を開けてしまったかのようでした。

誰かと繋がっているかもしれないと、

それがたとえ思い込みであったとしても、

それによってこれほど心が解放されるとは、

本当に想像すらできなかったことなのです。

 

ありがとうございます。

ブログを書き始めて、ほんとうに良かった。

 

何も足さない?(M)

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相変わらず、このブログの設定は始めたときのまま。

用意されているツール以外は何も足していない。

前にも書いたけれど別に潔いからじゃなくて、

よく分からないのと面倒なのが、その理由。

 

足さないといえば、これ。

サントリーウイスキー山崎のコピーで、

『何も足さない、何も引かない。』を思い出す。

開高健氏の作だと思われているけど、

このコピー、実は西村佳也氏によるもの。

「足さない」のはわかるけど、

さらに「引かない」と言い切るところが、

なんともかっこいい。

そもそもウイスキー作りの過程において、

足したり引いたりとは何を指すのかを

私は知らない。

このコピーはそんな理屈におかまいなく、

作り手の信念だけを言葉にしたような、

力強さがある。

ストレートである。

揺るぎがまったくない。

だから、かっこいい。

 

・・・ブログの話だった。

 

もうすぐ書き始めて丸7か月にもなる。

そんなブログの1日のアクセス数は、

平均すればだいたい50弱くらい。

ときどきだけど100を越えたりもするけど、

なんとか砲とかは縁がないので、

最高でも200アクセスくらいだった気がする。

 

記事を公開しなければ、

2~3日後のアクセス数は、

たちまち10くらいにまで下がってしまう。

「あと何日書かないと訪問者ゼロになるんだろうか」と、

アクセス解析の棒グラフを眺めながら考えたりするけど、

ど~んと構える度胸がないので、

とりあえず何か書いてしまうのが情けない。

 

そもそもアクセス数/日の50というのが、

人数なのか見てもらった記事数なのか、

はたまたページ数なのか、

未だによく分かっていない。

はてなスターを付けて下さった人数と、

アクセス数は必ずしも一致しないので、

読んだ痕跡を残さない人が、

結構いらっしゃるということなのだろうか。

Silent Readerということか。

はてなプロ」にすると、

そういうこともわかるのかな。

 

はてな(アマ)のアクセス解析」では、

少し前の記録は見られなくなってしまうので、

時系列で振り返ることもできない。

 

要するに記事の数だけは増えたけど、

ブログ運営のスキルは全く進歩がないということ。

恥ずかしげもなく「何も足さない」などと、

偉そうなことを言っているけど、

これってほぼ開き直りに近い。

タイトルは「何も足せない」にした方がいいかも。

 

まあスキルはなくても、

何とか書き続けることは出来るんだなってことで・・・。

 

それでは、また。

断に続くのは何だろう(S)

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「しばらくブログは書かない」と決めたあと、

この状態は何と言うのか考えていた。

 

禁酒・禁煙というくらいだから、

「禁なんとか」というのがわかりやすいけれど、

禁のあとの「なんとか」が思いつかない。

 

酒も煙草も嗜好品で、常習性というか依存性がある。

書く(ブログ)という行為にも、

同じように常習性があるのだろうか。

 

ところで「のむ・うつ・かう」と、言うけれど、

「すう」は仲間はずれだ。

「のむ・うつ・かう・すう」とは言わない。

語呂もよくないからに違いないけれど、

たぶん「すう」くらいは、

勘弁してやろうということなのかもしれない。

 

そもそも「まあ、一服してから・・・」と

「まあ、一杯やってから・・・」とでは、

考えられるその場の状況というか、

その後の深まり方に違いがある感じがする。

予感といったらいいのだろうか。

グラスを合わせた後に展開する、

何らかのドラマを想像することはできても、

「まあ、いっぷく・・・」じゃ、

そのあと何にも思いつかない。

 

改正健康増進法により、

努力義務だった受動喫煙防止が義務化される。

IR法案を通すくらいだから

「うつ」はお上のお墨付きをもらった。

なので今後は「うつ」は抜けて

「のむ・かう・すう」になるかもしれない。

 

「うちの主人は“のむ・かう・すう”の

 三拍子揃ったろくでなしで、

 若い頃はずいぶん苦労しました」

みたいな・・・。

 

話が脱線してしまったので禁酒・禁煙に戻します。

 

たとえば断酒と言う言葉がある。

これは自らの意思で酒をやめる感じがして、潔い。

禁酒と言うのはそれに比べて曖昧な感じは否めない。

それにしても断煙というのは聞いたこともない。

「だんえん・・・」なぜだろう…。

 

というか、「禁酒・禁煙」じゃなくって、

“書かない話”だった。

すぐ脱線してしまうのは悪い癖。

「禁なんとか」とか「断なんとか」を

考えていた話だった。

 

しばらく「書かない」と決めていたので、

受動的な感じがする「禁なんとか」より、

能動的な「断なんとか」の方が、

何となくいい感じがしていたけど、

まあどっちにしても、

しっくりくる「なんとか」が思いつかないのは、

センスがないからなのか語彙の少なさなのか、

それともその両方か・・・。

少なくとも、そのとき思いついた幾つかの単語は、

恥ずかしくてとても書く気にならない。

 

それでは、また。

ワイヤーワークと47才の肖像(S)

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ブログのサブタイトルに

「それから時どきワイヤーワーク」

と、書いておきながら、

9月16日の記事を最後に、

ワイヤーワークの「ワの字」も出てこない。

実に5か月間もほったらかしである。

 

これが、読者を守る立場にあるであろう、

はてなブログ運営者」の目に止まれば、

なんらかの指導を受けても仕方がない。

「aha!さん、所属グループを見直しましょう!」

みたいに。

(ちなみに私はハンドメイドグループの住人です)

 

読者登録をして下さった方の中には、

ワイヤーワークに吊られた方もいらっしゃるはずだ。

このままでは看板に偽りアリって感じだし、

書いていて段々申し訳なくなってきた。

 

タイトルの「東京まで77.7マイル」からは、

ブログのテーマや方向性を見つけにくい。

「田舎に住んでいる人が書いてるブログか?」

くらいしか想像できないだろうし、

さらにサブタイトルの前文は、

「思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること」だ。

唯一具体的な文言が、

それに続く「それから時どきワイヤーワーク」なので、

なんだかペテンにあったようなものだろう。

時どき、と言っておきながら5か月だから。

 

古い記事を読んでいただければ、

ものづくりをしていた時代があったことも書いているけど、

「それってほんとうですか?」の声が聞こえてくる。

何か作って公開すればいいのだろうけど、

正直、全く創作意欲がわかないのだ。

 

ある人に「過去の作品を載せればいいのに」

と、ありがたいアドバイスをいただいたけど、

思うところがあって、気乗りしない。

大事なことは、今だから。

 

このままでは嘘つきだと思われそうなので、

せめてその頃の様子を公開することにした。

以前特集していただいたページの中から、

作品集と文書を抜き、顔写真だけを抜粋します。

掲載は商工前橋No.390(商工会議所発行)です。

 

手にしているのは作りかけのランプ・シェイド。

オープン間近のイタメシ屋さんから、

店内全部の照明を任せて頂いた。

47才当時のものだけど、

ヒゲを取れば今の顔。

イメージ崩れたらごめんなさい。

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ということで、

もう少しハンドメイドグループに入れといて。

おやすみなさい(SS)

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久しぶりに長文の記事を書き上げてから、

1週間が過ぎました。

3,000字を超えたのは初めてかもしれません。

たぶんこの記事は公開しないだろうと思いながら、

何度も何度も読み返しては直しを入れ、

それでもまた読み返して書き直しをする、

そんな1週間でした。

 

その間に、2つの記事を公開しました。

仕事の話と音楽の話。

 

YouTubeで見つけた石川セリの愛らしさに、

ちょっと元気をもらったけど、

どうやら長続きしません。

 

いろいろなことが重なって、

ナーバスになっているのかもしれません。

 

たぶん、

「少しやすめ」ってことなのでしょう。

 

石川セリの「セクシィ」を紹介したので、

きょうは井上陽水の曲です。

ライブ音源ですが、

途中から陽水は泣いているようにも見えます。

これも大好きな曲。

曲名は「おやすみ」です。

youtu.be

 

 

セクシィ(S)

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気がつくと、自然に口ずさんでいる曲がある。

繰り返し繰り返し、きっと何百回も聴いて、

自分にとってのソウル・ソングになっている曲。

そんな曲ってたくさんないけれど、

そのなかの1曲を、なんだか無性に聴きたくなった。

 

レコードに手をかけてから、

ふっと「YouTubeにもあるのかな」って思い、

探してみた。

 

検索に『石川セリ』と打ち込んだら、

どんどん出てくるのでびっくり。

その中で、ある1本に目が止まった。

石川セリを聴いていた当時、

同じようによく聴いていた人との共演版が、

アップされていた。

YouTubeって本当にすごい。

 

センターでギターを抱えた人が、

誰だかわからないくらい変わっていたけれど、

歌い出して、その声を聞いて、

やっと下田逸郎だとわかった。

30代で芸能界を離れたくらいまでしか知らなかったけど、

また音楽の世界に戻っていたんだ。

 

聴きたかった曲は、彼が石川セリのために書いた曲。

井上陽水と一緒になった後、

彼女は引退したのかと思っていた。

最近の音楽事情は、全く知らない。

調べたら51歳の時に大動脈解離を発症し、

「大手術を受け、生死を彷徨った」とあった。

その後、また歌うようになったみたい。

声が出にくいのはそのせいなのかな。

 

驚いたのは、

このライブ収録時の彼女は、たぶん60歳。

30年以上前の「セクシィ」な詩に、

全く置いて行かれないほど、

艶があって可愛くて魅力的。

こんなチャーミングな60歳を、他に知らない。

懐かしさだけだったら、

決してそんなふうには思わないだろう。

歌い出しのオクターブ違い(?)も含めて、

本当にチャーミング。

 

大好きな二人の共演を聴いてもらえたら嬉しい。

渡辺香津美のギターも素晴らしいです。

youtu.be

YouTubeのすごさは分かったけど、

感謝したのは初めて。