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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

これといった「これ」を持っていますか?(S)

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ちょっとした頼みごとなどを、

想像していた以上の出来栄えで、

素早く仕上げてもらえることがあります。

それほど期待していた訳ではないのに、

そのアウトプットに、ある種の驚きをもって

「ありがとう」とか「たすかりました」と、

感謝やねぎらいを伝えることになるんだけど、

そんな時に、

「これくらいしか出来ないんです」とか、

「こんなことしか出来ないんです」

という台詞(セリフ)が返ってきたりすること、

ありませんか?

 

どちらかと言えば謙遜というより、

自虐的な言い方で…。

 

その台詞を聞いて、

言われてみれば「その通り」だと、

たとえ思ったとしても、

さすがに「そうだね」とは言いにくいものです。

 

言った本人が本当にそう思っているのか、

「いやいや、そんなことないですよ」

と、否定してもらいたいのか、

あるいはただの口ぐせなのか、

本当のところはよく判らないので、

「これくらいしかできないんです」と言われたら、

聞こえなかったフリをするのが

最善手なのかもしれません。(笑)

 

「これくらい」のレベルが

どの程度なのかにもよりますが、

「これを取ったら何も残らない」

っていうくらいのレベルであれば、

それってすごく魅力的だし、

すごいことですよね。

 

 

果たして今の自分は

「そんなこれ」を持っているのかなぁ…と、

少し考えてみたところ、全然思いつきません。

できれば何かひとつだけでも、

これといった「これ」を持ちたいものですが、

どうなることでしょう。

 

それでは、また。

仕事あるある(L)

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使い勝手の良い言葉がある。

使い古されているにも関わらず、

それを使うことで、

何となくみんなが納得してしまうような、

言ってみれば便利な言葉。

その言葉を聞くと、まるで思考停止をしたように、

それ以上深く考えることもなく、

みんなが「そうだよね」となる不思議な言葉。

 

コミュニケーションの基本の一つに、

言葉の定義づけというのがある。

一つの言葉をどう捉えるかは様々で、

人によってその幅は相当あるものだ。

なので事前に合わせておかないと、

後でひどいことになることも多々ある。

これって、誰しも経験があることに違いない。

 

だからコミュニケーションの場においては

言葉の意味をはっきりさせておくべきだけど、

あえてはっきりさせないことで、

安心して使える言葉というのもあるようだ。

例えば、

「基本に、もどろう!」というフレーズがある。

「基本に、かえろう!」とも言うけれど、

意味にそれほどの違いはない。

 

このフレーズが最も使われる場がどこかと言えば、

ビジネスやプロ・スポーツの世界だろう。

どちらもプロセスより結果が求められる場だ。

プロセスを楽しめたほうが、

良い結果に繋がる確率が高くなる気がするけれど、

どうであれ結果が一番大事であり、

結果を出さなければ評価されない世界である。

いつまでも同じ事を繰り返している限り、

他者を負かすことは出来ないので、

現在の取り組みを深化させることなく、

唐突に新たな考え方が、度々導入される。

年度が変わるたびに、リーダーが変わるたびに…。

 

そもそも、

期待される成果を出せないことはよくある。

「頑張ったら良くなる」というのは、

児童図書の世界ではともかく、

現実にはなかなか難しいものだ。

正直言って「頑張っても良くならない」という方が、

ずっと多いような気がする。

「だから頑張らなくてもいい」ということではなく、

とにかく成果を出すのは簡単なことではない。

更にそれを維持することは本当に大変である。

 

そんな時、その状況をなんとか打破して、

次のステージに向かうために、

なぜかこの

「基本に、もどろう!」「基本に、かえろう!」

と言うフレーズが好んで使われるような気がする。

問題は「使う」のではなく「使われる」と言う点。

「もどろう」も「かえろう」も

どちらも語尾は「~ろう」と、

あたかも優しく促しているようでいて、

実際に使われる場面では、

指示というか命令であることが多い。

基本、指示・命令は上の方から降りてくる。

「もどろう!」とは「もどれ!」という意味だ。

「かえろう!」とは「もかえ!」という意味だ。

能動的ではなく、受動的である。

自らが自分自身を諭すという場合はまだしも、

自らが望んでと言うか、

自らその必要性を感じていないのに、

なぜか「基本にもどろう!」と、

突然リセットされる感じ。

 

驕りや慢心をいさめるという意味では

分からないではないが、

「基本にもどろう」と言うだけでは

はなはだ具体性に欠けるので、

行動に結びつけると言う点に関しては、

あまり良い指示には思えないのだが、

なぜか誰も異を唱えない。

 

グループや組織のリーダーが

「基本にもどろう」と言い出したら要注意だと思う。

これって、実は恥ずかしげもなく

「ノー・プランです」

と言ってるようにしか思えない。

せめて「初心に、もどろう!」と言って欲しいけれど、

これ以上は書かないでおこう…。

仕事あるあるでした。

 

それでは、また。

ブログの3要素考(S)

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これといって書きたいこともなく、

それでも思いつくままいくつか書いてみたけど、

どうにも後が続かず、結局はボツにする。

そんなことを繰り返しているうちに、

一週間が過ぎてしまった。

 

書けないことで、

何か責められているような気がして、

余計に書けなくなるという、

ややこしいジレンマは少し前に卒業した。

なのでひどく落ち込むことはないけれど、

「まぁのんびり書けば良いか」なんて言ってると、

そのうち全く書く気が無くなってしまいそうで怖い。

 

ブログというのはそれを分解してみると、

「速さ」×「重さ」で成り立っているようだ。

「速さ」は、更新頻度。

毎日更新されている人の凄さは言うに及ばない。

何と言っても生半可な覚悟では到底できない。

 

「重さ」は内容の濃さと言うか密度。

何度も読み返してみたくなるような、

そんな記事と言ったら良いだろうか。

役に立つとか立たないとかは、

あまり関係ない気もするし、

必ずしも文書量にも比例しないようだ。

 

とにかくこのふたつの要素がとても大事。

ずっとそう思っていたのだが、

もうひとつ大事な要素があることに気がついた。

 

飽きっぽい自分を褒めてあげられるまで、

もう少し。

とりあえず、今はそれを目指そう。

 

それでは、また。

動画鑑賞時のオススメに、どこまで付き合うか(S)

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好きなアーティストの動画を

YouTubeで見ていると、

画面右側に自動的に出てくる、

「あなたにオススメ」みたいなところに

なんとなく目が行くことがある。

 

それは、見ているアーティストの、

別の曲がほとんどで、

放っておけば勝手に再生していくけれど、

好きなアーティストだからといって、

その全ての曲が好きとは限らないので、

その仕組みは便利なようでもあり、

うっとうしく感じる時もある。

 

それって利用する人の、その時の気分で、

どうとも受け取れるということでもあり、

仕組みというのは難しいものだ。

 

時々、なんでこれがオススメなのか、

戸惑うようなものが挟まれている。

自分では覚えていないけれど、

過去に見たものの中から、

「前にこんなのも見てたでしょ」

っていうのを引っ張り出してくるのか、

それとも嗜好が似ている人のデータを

参考にして当てはめるのだろうか?

 

とにかくどんな仕組みによるものなのか、

素人にはよくわからないけど、

せっかくなので見ることもある。

それを繰り返していると、

右側の「あなたにオススメリスト」の傾向が、

だんだん変わって行って、ちょっと面白い。

けっして自ら選ぶことのない、

未知の領域へと誘(いざな)ってくれるのは、

それなりに楽しいものだけど、

さすがにあるところで

「これ以上は無理かな」となるようで、

大体そこでリセットする。

すごろくの「最初に戻れ」ってやつだ。

「暇だなぁ」と怒られそうだけど、

最近、これの繰り返し。

 

それでは、また。

記事カテゴリーの再分類が必要かも(S)

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何を書いたか、

何を記事にしたか、

みなさん、どのくらい覚えていますか?

 

食べ始めたら止まらないピーナツの

一つ一つの味の違いが分からなくても、

特に困ることなんてないけれど、

多少は苦労して書いた記事である。

何を書いたかくらいは覚えておきたいのだが、

いつの頃からか、多分少し前から、

どうも記憶が怪しくなってきた。

これは正直、困る。

 

記事にYouTubeの動画を張ることを覚えて、

以来、時々お気に入りを紹介するようになった。

今までに十数曲をアップしたような気がする。

お気に入りなので、アップしようがしまいが、

定期的に聞きたくなるので、まあ当然聞く。

聞いてるうちに、

「今度、これ紹介しようかな」

と思うのだが、そこで、

「あれっ?これって前に紹介したっけな…?」

と、考え込んでしまうことがあるのだ。

残念ながら、これが思い出せない。

 

そこえ持ってきて、もう一つ問題がある。

このブログのカテゴリー分類が、

全く役に立たないのだ。

「音楽」「本」「植物」とかにしてあれば、

なんてことはないけれど、

「思いつくこと」

「思い出すこと」

「思いあぐねていること」である。

今更だけど、これじゃ内容が全く想像できない。

過去記事を遡って見つけに行くにしても、

一つ一つ確認するしか方法がないので、

えらく手間がかかるのだ。

読者満足度どころか

クレームが来ないのが不思議なくらいだ。

 

それはさておき、

YouTubeの一曲を見つけることすら大変なのに、

思いついたことを、あたかもそれが

「初めて思いついた」かのように、

恥ずかしげもなく書きそうで、

それが本当に恥ずかしい。

どうしたもんか。

 

それでは、また。

続・五感に思う(S)

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昨日の記事のこと。

どうも書こうと思っていたこととは、

なんとなく別の話(記事)になってしまった。

起承転結が大事なのは、

一応承知しているつもりなので、

それをふまえて読み返してみると、

早くも「起」の3行目位で、

目指す「結」には向かっていないのがわかる。

実際、書きながらすでに気がついていたけれど、

修正するのが面倒で、まあこれも「アリ」かと、

書き終えてしまった。

 

「この人は何が書きたかったのか?」というところを、

本当のところを読者は知らないし、わからない。

読者にとってはおよそ公開されたものが全てである。

丁寧に行間を読んでもらえる場合もあるけれど、

そもそも「本当に書きたかったのは、これでしょう」と、

そこまで読み切るのは至難の業に違いない。

 

ところで、昨日書きたかったのは

「ブログの読み書き」における、

五感の働きについてというか、

五感の働かせ方といったところなのだが、

どう考えたらいいのか漠然としていたので、

まあ、いつものことだけど、

書きたいことが書けなかったのだ。

ブログはコミュニケーション・ツールのひとつでもある。

相手は多かれ少なかれ不特定だし、

基本的には匿名性も高い。

なのに、場合によっては

「One to One」に近い関係性も築ける。

まあどちらにしても、伝えたいことを

なるべく分かりやすく書きたいのだが、

いかんせん、その力量がないのが悩みのタネ。

 

ブログは基本的に読むものなので、

五感の中で使える情報は「視」に限られる。

具体的には「文章」と「画像」だけ。

ユーチューブなどを貼り付ければ、

「聴」も使えるけど、

どうやっても「触・味・嗅」は使えない。

なのに、なのに、

それを感じさせる記事に出会うことがある。

それって、すごいよね。

いつか、そんな記事を書いてみたい。

 

それでは、また。

五感に思う(S)

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人は何かを感じるために、五感を使う。

そして何かを伝えたければ、人の五感に訴える。

五感を研ぎ澄ますという言い方があるくらいだから、

ほっておけば錆びてしまうのかもしれないけれど、

たとえ錆びつきがちだったとしても、

もし与えられたものが五感であるならば、

そのことに感謝をすることが大切なんだと思う。

 

意識せず、あたり前だと思っていること(もの)の中に、

そうでないこと(もの)はたくさんある。

最初から与えられなかったこともあるだろうし、

持っていたけれど、失うことだってある。

 

ところで、五感の感受性ピークはいつごろだろうか。

衰えと病気の境目は曖昧な気がするし、

よほど急激に衰えることがない限り、

気が付きにくいような気もする。

 

幸いにも五感を使いながら生きてきたのに、

最近はどれも怪しくなってきた。

受感センサーが耐用年数を越えたのか、

それを処理する能力が落ちてきたのか、

はたまたその両方だろうか。

そのせいか、激しく心を揺さぶられるようなことが

めっきり少なくなってきたような気もする。

インプットが少なくなれば、

アウトプットも減る。

どうしたもんかと、時々考えてしまうけれど、

「歳をとったな」と嘆く前に、

成熟してきたということにしておこう。

 

それでは、また。