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思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

ラグビーとアメフト

ラグビーをしていたことを以前書いた。

アメリカンフットボールを少ししていたことも書いた。

どちらも中途半端だったので、エラそうなことは言えないけれど、

このブログを読んでくださっている方のほとんどは女性だとすると、

そもそもラグビーアメリカンフットボールの区別がつかない人も

いるのではないかと思い、

少しだけ書かせていただく。

 

アメリカンフットボールを略してアメフトというのは正しい。

ところが世間では未だにアメラグと呼んだりしているので、

一層わかりにくいのかも知れない。

アメラグという言い方は、略として間違っており、

アメラグという競技は正確には存在しない。

 

ラグビーアメリカンフットボール(以下アメフト)も、

ルーツはサッカーにあるという。

そこから派生して、それぞれの競技になっていったそうだ。

ちなみに、単にフットボールというとサッカーを指す。

 

ラグビーは近年まで“アマチュアリズムを最も残している競技”といわれていた。

中でも日本ラグビーは、その色を濃く残していたようだ。

 

どんな競技にもルールがある。

そして歴史の中で少しずつ改定を重ねてきた。

どのように改定してきたかで、その競技が目指す姿が見えてくる。

ラグビーとアメフトのルーツは一緒だと書いたが、

それぞれがルールの改定を続けてきた結果、今では似て非なるものになっている。

 

なぜか?

ラグビーは楽しい競技だ!何が楽しいかというと、たくさんある。

であるが、問題にしているのは何が楽しいかではなく、

誰にとって楽しいかなのだ。

繰り返せば、

プレーしている選手にとって、ラグビーは楽しいと言うことである。

つまり、魅力があるということだ。

反面、競技を見ている人が楽しめるかというと、そうとも言えないような気がする。

あくまでプレイヤーズ・ファーストである。(あった)

 

一方の、海を渡ってアメリカで発展していったアメフトは、

ラグビーとは全く違う競技へと変っていった。

 

それはなぜか?

アメリカはエンターテイメントの国である。

アメフトのルールは、見る人(観客)を楽しませるには

どうしたらよいかという視点で変えられていったのである。

 

ひとつの例をあげてみる。

アメフトは、ザックリいって試合中に選手の入れ替えが自由である。

プレーした選手がすぐにベンチへ下がったかと思うと、また出てくる。

実はここにポイントがあるのだ。

理由は「競技の魅力を最大限高めるためには、選手の持っている

最高のパフォーマンスを観客に見せなければならない」という考え方にある。

どんなに優れた選手であっても疲れてくれば、そのパフォーマンスを

十分に発揮できない。動きが悪くなるものだ。

だから、いったんベンチに下がってチャージし直すことが必要なのだ。

そしてまた、元気になって出てくる。

 

方や、ラグビーはどうであったかというと、

私がやっていた頃はたとえケガをした選手がでても、交代さえ許されなかった。

プレーできない選手がでたら、そのままひとり人数が少ない状態でやるわけで、

問答無用にハンデを負わなければならなかった。

まるで我慢大会のようでもあった。

サッカーのレッドカードで一発退場になった場合も人数が減るけれど、

それは悪いことをした罰だからしょうがない。

 

今はだいぶルールも変ってきたようで、見ていてい楽しい要素が増えているようだ。

日本でも、自国開催となる2019年のワールドカップに向けて

盛り上がってきているようで、とても喜ばしい。

 

これを書いていたら、

ニュースで久しぶりに、例のアメフト事件のことが報道されていた。

 

一方の当事者である大学のトップは会見を行わないという。

選手にとってチームにとって、一番大事なことは試合に勝つことである。

だけど、決してそれだけではないはずだ。

選手は応援してくれる人に“良いプレー”を見せたいと思って、

厳しい練習を続けているのだ。

ここはプロもアマも関係ない。

アスリートとしての矜持である。

 

だからこそ、

そこに関わる全ての関係者は周りに目を向けなければいけないと思う。

それができないトップであるならば、

少なくともそこに留まるべきではない。