モノゴトには続きがあるものです(M)
努力主義者はモノゴトが上手くいかなかったときに、
自分の努力が足りなかったと考えるようです。
その努力が足りたか足りなかったかは、
相対的なものでもあり、
必ずしも他の人にはわからないのですが、
努力を惜しまない人は、
人に言われる前に自分でそう判断するのでしょう。
そもそも「努力」とは外的な働きかけというより、
自身の意思や意図によって行われるものですが、
私たちは他の人に対して「努力が足りない!」などと思ったり、
場合によってはあからさまに口に出してしまいます。
「努力」をどのように定義するかによっても、
話は変わってくると思いますが、
実際には努力をしても上手くいかないことがたくさんあるものです。
報われないことが多いのも事実です。
私は40代の半ばで、経営していた薬局をたたみました。
最後の数年でほぼ資産を食い潰し、
クラフト作家の時代を経て今があります。
このたった3行で書かれた中で、私はいろいろな経験を積みました。
振り返って言えることは、
「今起こっていることには必ず続きがある」ということです。
大事なことは「続きの先に何があるのか」ではなく
「続きがある」ということ、そのものです。
「続きの先」に何が待ち受けているのかは誰にも分かりませんが、
「続きがある」と言うことこそが希望なのです。
自分はたいした努力もしてこなかったので、
どう考えてもえらそうなことは書けないのですが、
それでも努力を続けている人を応援することは出来ます。
「辛いだろうな」と、
心が押しつぶされそうになる記事に出会ったりします。
先が見通せない病と向き合っている記事も見かけます。
私が記事の最後に残した
「たったひとつのはてなスター」が、
今を変えたいと努力を続けている人の、
少しでもチカラになったらいいなと思います。
「なに不自由なく幸せに育った二人が一緒になって、
素晴らしい家庭を築きました・・・」
こんな記事はちょっと羨ましいけど、苦手かもしれません。
それでは、また。