悩みの種と悩みについて(M)
「悩みの種は尽きないものだ」と悩んでいる最中、
よく考えていたら「悩みの種」と「悩み」は
違うことに気がついた。
というか、分けて考えないといけないと。
当たり前と言われればその通りだけど、
当たり前のことを時々再確認することも、
ぼんくら頭にとっては必要なのかもしれない。
当たり前だと思っていても、
そう思い込んでいるだけのこともあるだろうし、
出来て当たり前のはずだとうそぶいていて、
実は出来ていない事は色々あるに違いない…。
賢い人にとっては、
「何をいまさら」ってところだろうけど、
凡人は悩みのレベルが低いのだ。
「最悪を想定して、最善を尽くせ」と言う。
まだ起きていないことに関して
あらかじめ考え、備えるということは大事だ。
問題は良からぬ想像にばかり囚われすぎて
「あ~なったらどうしよう」
「こ~なったらどうしよう」と、
必要以上に考え、悩んでしまうことだ。
起こりうるということは、
結局のところ起こらないかもしれないし、
最悪ばかりを想定していても仕方がない。
「悩みの種」が発芽したらどうしようかというより、
本当は発芽しないようにするには
どうしたらいいかを考えるべきなのだ。
ただ、あれこれ考えを巡らしたところで、
しょうもない堂々巡りに陥いるのが関の山で、
結局は答えなんて見つからないものだ。
種の段階で悩むのは程ほどがいいということだろう。
たとえどんなに考えようと、
望ましくない事はやってくる。
どっちにしても何かに直面すれば
考えざるを得ないし、悩まざるを得ない。
種の段階で考えすぎ、疲弊してしまったら、
いざ実際に直面したときに、
力を発揮することができない気がする。
そういえば「取り越し苦労」と言うことわざがあった。
「下手の考え休むに似たり」とも言う。
luna (id:luna117) さんが、
寺山修司の「名言集」を読んでるみたいで、
少しは賢くなるために真似して読もうかと思ったけど、
こっちはその前に「ことわざ集」が必要なのかも…。
どちらにしても、
先人の知恵は深く、学びに満ちている。
それでは、また。