東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

ロンドンブーツ(L)

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他の方の記事を読んでいたら、

自分の好きなミュージシャンが取り上げられていた。

不思議とそれが続いたので、

自分も書きたくなってしまった。

 

思い返すと聴きたい音楽のジャンルは変わって行った。

70年代後半から80年代前半はロック。

だんだんとソウル系、ディスコ系、

さらにAORが加わっていき、

少し大人になってからは、

フュージョンを経てジャズにいった。

 

中でもロックは割と筋金が入っていた。

どちらかと言うとヘビメタ!

当時はロバート・プラントやイアン・ギラン、

さらにマーク・ボランよりも長い髪で、

見るからにロック小僧という格好をしていた。

 

靴は四谷のエスエー(今もあるのだろうか)で作った、

3足のロンドンブーツ。

ちなみに、黒無地、ユニオンジャック、ヘビ皮だったけど、

ヒールはどれも13センチだった。

なので、これを履くと身長が190を優に超えた。

 

ロンブー用のブーツカットジーンズは、

3本のジーパンを持ち込み(店は忘れてしまった)、

それをちょん切って、1本に作り変えてもらっていた。

「このジーパンは腰の部分、

 これは膝から上の部分、

 これは膝から下の部分に使ってね」って感じ。

 

その頃付き合い始めた彼女は170センチを超えていて、

足も大きかった。

当時、そのサイズでヒールのある可愛い靴というのは、

ほとんど流通していなかったけど、

銀座のダイアナ(靴屋)にはそこそこ揃っていて、

なので何度か一緒に行った覚えがある。

確か最上階だった。

今考えると、外人の女性向きだったのかもしれない。

 

二人が並ぶと190センチの大男と

180センチの大女になるので、

どこに行ってもすぐ覚えてもらえたものだ。

彼女はファッション系の学校に行っていたので、

とてもお洒落だった。

あるとき部屋(アパート)に戻ったら、

ロンブーが一足もないことに気が付いた。

聞いてみたところ

「みんな捨てちゃった」と言う。

黙ってお気に入りを捨てられちゃったというのに、

そのことで喧嘩になった記憶がないのは、

思い返しても不思議な気もするけど、

とにかく彼女はロンブーが嫌いだったのだろう。

 

ロンブーと言えば、その頃クルマの免許を取るために、

地元の教習所に通い始めていた。

大バカ野郎だった私は、

あるときロンブーで教習所に行った。

履き替えを持たずに。

そこで教官に「こんな靴じゃ乗らせない」と言われ、

その日は返されてしまった。

そのことを母親に話したら、

諌められるどころか「私が電話をしてやる」と言って、

その場で教習所に電話を掛けてしまった。

少し話して「貴方じゃダメだから、所長を出しなさい」

と言い出したところで、

さすがに恥ずかしくなって、

「お母さん、もういいよ」と無理やり電話を切った。

一緒に暮らしていなかった離婚したばかりの母は、

なんとか息子の方(かた)を持とうとしたのだと思うけど、

この喧嘩に勝ち目がないことは、

バカな私にも察しがついた。

友達に借りた750(ナナハン)で、

切符を切られたのもこの頃だ。

理由は、ロンブー。

 

いかにロンブーが世間に受け入れられないかということを、

すでに少なからず感じていたので、

お気に入りのロンブーを捨てられても

大騒ぎしなかったのかもしれない。

 

好きな音楽のことを書こうと思っていたのに、

ロンブーの話になってしまった。

音楽の話は、そのうち書くことにして、

とりあえず今日のタイトルは「ロンドンブーツ」にしとこ。

部屋の模様替え(M)

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「好きだからやってるわけじゃないよ…」

ってことが、いくつかある。

そもそも「好きなこと」と「よくやること」は、

必ずしも一致しないものだ。

それでもよくやることは、

結局のところ好きなことなのかもしれない。

好きでもなかったけど、

やっているうちに好きになることだってあるし・・・。

 

ところで、「よくやる事」を趣味と言うのかと思っていたら、

国の統計上では年に1回でも行えば趣味とされるようだ。

なんだかなぁって気もするけど、

趣味の定義というのは結構あやふやだ。

自分はどうかと言えば、

趣味とはちょっと違う気もするけれど、

部屋の模様替えをよくする。

たぶん、好きなんだと思う。

 

 Q1:よくするって、どのくらい?

  A:この記事を書いている部屋を使い始めて3年くらいだけど、

     その間に10回以上はしている。

 Q2:模様替えって、どこまでやるの?

  A:複数の大型家具類を移動し、全体のレイアウトが変わるまで。

 

模様替えって、大抵は理由や目的がある。

 

例えば、

モノが増えたり減ったりしたから。

気分転換をするため。

使い勝手を良くするため。

部屋を広く使うため。

掃除が楽にできるようにするため。

部屋の雰囲気を変えるため。

趣味が変わったため。

プランター(植物)のローテーションのため。

何かのスイッチを入れるため・・・等々。

 

「どうしてそんなに頻繁に動かすの?」って聞かれれば、

上に書いたことはどれもそうだし、

どれでもないような気もする。

どうもはっきりしない。

暇つぶし?

それもあるけど、

まあ、ただ好きなんだと思う。

 

ちなみにこの部屋にあるモノは、

 エレクター(900×450)主にテレビ用

 エレクター(900×450)主にオーディオ用

 エレクター(600×450)レコード用

 無印のPCデスク(600×500)&チェア パソコン用

 オットマン付きリクライニングチェア

 エレクトリックベース×3

 観葉植物×7

 キャスター付きシェルフ×2

 空気清浄器その他・・・・・・。

 

モノに囲まれているというか、

とにかく、どうレイアウトしたところで、

ミニマリストを目指している人が見たら、

目を背けたくなるような部屋にしかならない。

それくらいモノが溢れている。

 

消費が「モノ」から「コト」にシフトしているのは、

知っているし、感じてもいる。

その通りだと思う。

「モノより思い出」っていうCMがある。

キャッチコピーは素晴らしい。

 

でも、モノにだって 想いでは詰まっているし……

・・・なんて言ってないで、

そろそろ断捨離しないとかな。

 

って言うか、終活か。

意識が少し変わってきたのかもしれない。

 

それでは、また。

授業料免除(M)

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1月18日に「同級生」というタイトルで記事を書きました。

悪い癖で、書き終わると言い足りなかったことがあったなと、

次の日あたりから妙に気になり始めます。

 

そもそも18日に書いた記事は、

その少し前の15日に書いた記事、

「続けてみて思うこと」に足したものです。

ですので「続けてみて思うこと その2」が、

正しいタイトルでした。

ですが、最初から前編・後編で書くつもりではなかったので、

何となくスッキリせず、まとまりが悪いのは否めません。

 

ブログサブタイトルにもある

「思いつくこと」と「思いあぐねていること」は、

私の場合ほとんど一緒なので、

それもしかたがないことなのかもしれませんが、

とにかく文章を書くというのは難しいものです。

 

これを解消するには、

「書いた記事を2~3日寝かせておけばいいんじゃない」と、

言われそうですが、上手くいかなかったのですね。

経験では寝かせた記事を読み返した場合、

修正するというよりも、ほぼボツになってしまいました。

たった1日でも寝かせてしまうと

「ちょっと違う」と感じてしまうのですね。

さくさく書けるわけではないので、

「ちょっと違う」と感じたものを、

みんなボツにしていったら、一向に公開できません。

なので、書き終えたら迷わず鮮度を重視して、

今はエイっと「公開する」ボタンを押しています。

 

私は未だかつて日記をつけたことがありません。

書いたことがないので良くわからないのですが、

前日書いた日記を全部消して、

書き直したりする人はいるのでしょうか?

日記を書くのにルールも何もないとは思いますが、

多分、そんなことはしないような気がします。

まあ、そのページを引き裂きたくなることは、

あるような気はしますが……。

どうもブログが日記化してきたような気がしている中で、

同じ日記とは言え、

見せないことを前提にしたものと、

見せることを前提にしたものとでは違って当然です。

日記ブログというのも、なかなか大変ですね。

 

ぐだぐだ書いてきましたが、

さすがにこれでは終われないので、

「続けてみて思うこと」から始まった、

結果的に三部作の締めに、今の思いを書きます。

 

はてなブロガーさんを分類すると2つに分かれます。

これは単純明快です。

授業料を払っている「プロ」と、

そうでない「ノンプロ」ですね。

 

私は「ノンプロ」なので、

どうも授業料を払ってないことに、

負い目を感じることもあるのですが、

そんな時は「特待生だから授業料免除」と、

思うことにしています。

正直、ちょっと憧れてますが……。

 

インフルエンザが猛威を振るい始めています。

みなさま、どうぞご自愛ください。

 

それでは、また。

 

同級生(L)

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2018年の7月、はてなデビューを果たしました。

正直、単にデビューしたというより、

「果たした」というのが実感で、

なんとかかんとかスタートしたのでした。

 

何と言っても初めてのSNSだったので、

ひと月くらい前から準備をして、

「えい!」って記事を公開したのが22日の日曜日。

準備といっても記事を書きためるとかではありません。

ブログを始めると決めてはみたものの、

どうやったらいいのか分からなくて、

毎日いろいろな記事を読んで、

あれやこれやと悩んでいたのです。

 

フェースブックツイッターも、

インスタグラムも知っているのは名前だけ。

正直、その画面すら見たことがありません。

なので、聞いた事もない用語ばかりで、

意味がほとんど分かりません。

言ってみれば、

何が分からないのかが分からないという、

情けない状況でした。

それでも、とにかく始めてみたのです。

 

最初の記事で長女のことを書いたので、

一応報告してみたら、

「高校生みたい」と笑われました。

まさか30過ぎの娘に笑われるとは思わなかったけど、

怒られるよりはマシかもしれないと、

気を取り直したものです。

 

半年続けて気がついたことを、

1月15日付けの記事に書きました。

はてなスターやコメントを通して、

離れたところにいても、会った事もない方々とでも、

なんだか繋がりが持てたようで嬉しかったと。

こういう繋がり方は想像もしてなかったことで、

これこそが続ける動機付けに他ならないということ。

まったくその通りなのですが、

書きそびれたことがもうひとつありました。

 

はてなブログを始めたってことは、

はてなブログ」という通信制マンモス校

入学したみたいだなってこと。

そして、私のクラスは2018年7月組

隣のクラスは6月組と8月組です。

このあたりが言わば同級生でしょうか。

なので7月組のクラスメートには、

特別な親近感がわきます。

 

実は、私の中では7月組の学級委員長も決まっていて、

いつか正式に頼んでみたら、

引き受けてもらえるだろうかなどと、

勝手な妄想がふくらみます。

 

クラスメートはそれぞれが得意とする、

様々なサークルに所属していますが、

クラスメートのよしみで、

その知られざる世界を、

記事を通して見せてもらっているかのようです。

 

それって、クラスの中に、そして同級生の中に、

いろいろな人がいるからこそ楽しいのですね。

 

半年経っても一向にスキルは上がるどころか、

むしろ下がったような気もしますが、

それでも飽きずに続けていれば、

そのうち上がるかもしれないと、

今はそんなふうに考えています。

 

みなさんは、どんな楽しみ方をしていますか?

 

それでは、また。

続けてみて思うこと(L)

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はてなブログで最初の記事をアップしたのが昨年の7月22日。

なので、あと1週間でちょうど半年。

記事数は、125になりました。

「毎日書く」と決めていたわけではないけれど、

だいたい1週間に5つの記事を書いてきたことになります。

 

飽きっぽい自分にしては、よく続いているなと思うのですが、

反面、もともとの目的からは離れていくばかりです。

それを、改めて意識して原点に戻るのか、

はたまた目指すものを変えるのかもはっきりしませんが

続けることで何かが変わるのかもしれないし、

新たに目指すもの(ところ)が見つかるのかもしれません。

うだうだ考えるのも嫌いじゃないし、

そもそも「何のために、どこまでやるのか」なんて、

決まってなければいけないってことでもなく、

すべての行動に明確な目的が必要だとも思えません。

 

目的がはっきりしなければ目標の設定もままなりませんが、

まあ「それも良し」と都合よく納得して、

もう少しこの状態を続けて行くつもりです。

今は、「何かと茶々を入れたい自分」を抑えて、

ふわふわ、ぼちぼちと「ゆる~い感じ」を

楽しむ時期なのかもしれません。

 

Gone with the wind

明日は明日の風が吹く風と共に去りぬ

 

そんなことを考えていたら、

ふっと「ひょっこりひょうたん島」みたいだと思って、

頭の中で歌ってみたところ、意外なことに気がつきました。

 

歌詞はこんなです。

 波をチャプチャプチャプチャプかきわけて

 雲をスイスイスイスイおいぬいて

 ひょうたん島はどこへいく

 ぼくらをのせてどこへいく

 まるい地球の水平線に

 なにかがきっとまっている

 苦しいこともあるだろさ

 悲しいこともあるだろさ

 だけどぼくらはくじけない

 泣くのはいやだ笑っちゃおう

 進め

 ひょっこりひょうたん島

   (作詞 井上ひさし、山本護久)

 

これって子ども向け人形劇の主題歌なのに、

進む先に待っているのは

「苦しいこと」や「悲しいこと」ばかりで、

なんと、その先がありません。

「くじけないで笑っちゃおう!」というのはともかく、

「たのしいこと」が待っているなんて、

一言も書いてない・・・。

これじゃ、まるで人生そのもの。

深い歌詞ですよね。

ちょっと驚き。

 

少し前、「良き読者になる」と偉そうなことを書きました。

「読書週間」を設けようかなとも書きました。

あえて書かずにというよりも、

本当は書き続ける難しさを紛らわしたいという思いや、

書かなくても良い理由付けとしての「読書週間」でもあるのですが、

とにかく年末年始に実行してみました。

 

読んでも読んでも、読みきれるものではありませんが、

やはり他の人の記事を読むのは楽しいですね。

 

「読者週間」を改め、「読者月間」になりそうなところで、

そろそろ書かなきゃなぁと重い腰を上げたのですが、

「読者週間」を堪能していた後遺症でしょうか、

年明けから記事を書く頻度が極端に落ちてしまいました。

読むことと書くことのバランスを取るのは、

なかなか難しいものです。

 

ブログタイトルでもある77.7マイルの先って、

近いのか遠いのか、

そもそもどこなのか、

何が待っているのか、

どんな苦しみやどれほどの悲しみを

乗り越えなければいけないのか、

今のところまったく想像できません。

 

ひとつ言えることは、

そこが遠かったら一人で目指すのは大変だってこと。

ただ、たとえ一人で進むことになったとしても、

励ましてくれたり、応援してくれる人がいれば、

心強いだろうなということ。

 

ひょっこりひょうたん島の歌だって、

「ぼくらはくじけない」であって

「ぼくはくじけない」じゃない。

 

会ったこともない誰かが付けてくれた、

たった一つの小さな「はてなスター」が、

あるときには大きなチカラになることがあります。

たかが「はてなスター」されど「はてなスター

これが、

半年続けてみて分かったこと。

はてなで実感したことです。

 

いつも読んでくださって、

ありがとうございます。

それでは、また。

言葉のチカラ(M)

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40代の後半で、経営していた薬局を閉めた。

 

そこに至る詳しい経緯は、

まるで出来の悪い三文小説のようだったけど、

今更それを書く気にはならない。

とにかく、一生それで食べていけると思っていたので、

実際に閉店することを決意した前後は、

心身共に相当参っていた。

 

運転資金は厳しくなるばかりで少しも好転しなかったし、

閉めた後に何をして食べていくのかも決めかねていた。

新たな商売に踏み出すプランやアイデアもなく、

肝心な資産もほとんど残っていなかったので、

まさに先が見えない日々を送っていた。

当然、仲間の集まりにもほとんど顔を出さなくなっていた。

 

そんな頃、後輩の結婚式に呼ばれた。

 

一回り以上も若い彼はいわゆる遊び友達で、

バンドの仲間でもあった。

遊ぶお金に困ったことがない甘ちゃんが、

いい年をして身動きが取れなくなり、

もがいている姿はまったくみっともない。

仲間に会うのがなんだか恥ずかしくて、

返事を出しそびれていたけれど、

祝ってあげたかったし、

さすがに不義理はできなかった。

 

当日は、式が始まるギリギリに会場に入った。

 

自分が置かれている状況は、

仲間のほとんどが知っていたはずだけど、

誰もそのことに触れたりはしない・・・

そう思っていたところで、

ある先輩が声をかけてきた。

 

先輩とは社会人ラグビーのチームで、

10年以上も共にロックをやって、

バンドも一緒だった。

明るくて、頭が良くて、

一緒にはちゃめちゃに遊んでいるのに、

きちんとした生活設計も持っている、

そんな先輩だった。

先輩は、いつものニコニコ顔でこう言った。

 

「お前はもう少しできると思ってたんだけどな」

 

この言葉にどんな意味を持たせたかったのかは、

正直わからない。

その日の状況を考えてみても、

たぶん思いついたことを、

そのまま言っただけなのだろうと思う。

普通に考えれば、

「おまえ、ダメじゃん」って意味だ。

本当は、そう思って言ったのかもしれない。

 

不思議なのは、

その言葉を聞いて

ひどい自己嫌悪に陥っていた自分が、

「自分をそんなふうに認めてくれていたんだ」と、

全く逆に受け止めたということ。

 

その後、今に至るまで、

私はどうやら苦労の神様に好かれ続けている。

大概のことには驚かなくなってきたけれど、

それでも苦しくなることもある。

 

そんな時、決まってこの言葉を思い出す。

この言葉が自分にチカラを与えてくれるのだ。

 

「お前はもう少しできると思ってたんだけどな」

経験(S)

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これをしたら成功する、

これをやったら上手くいくという話は、

正直あまり当てにならないような気がしています。

 

そうじゃなかったら、

本屋さんの自己啓発コーナーに、

どう考えても読みきれないほどの

「人生に必要な、たった◯◯の□□□!」みたいな本が、

山のように並んでいることの説明がつきません。

「たった◯◯の□□□!」で上手くいくなら、

とっくに誰だって上手くいってるはず。

つまり他の人の成功体験をなぞっても、

必ずしも上手くはいかないことの方が、

圧倒的に多いということなんだと思います。

 

経験が役に立つとすれば、

それは成功よりもむしろ失敗体験です。

 

野球監督時代の野村克也氏に、

こんな言葉があります。

「勝ちに不思議の勝ちあり、

 負けに不思議の負けなし」

野球は確率のゲームであり、

監督の仕事は突き詰めれば,

いかに与えられた戦力で勝率を上げるかです。

基本、勝ったり負けたりの中で、

学ぶべきは負け試合という言葉は、

人生にもそのまま当てはまるのではないでしょうか。

なかなか深い言葉だと思います。

 

以前、

「良き読み手でありたい」と記事に書いたので、

暮れからお正月にかけて、

多くの人の記事を読んでいました。

クスッと笑える微笑ましいものから、

これって本当に実話?っていうくらい、

大変な状況をくぐり抜けてきた体験や、

まさにその渦中にある苦しみが、

切実に綴られているものもありました。

失敗談もたくさんありますね。

当然ですが、失敗して失うものもあるでしょう。

なぜ失敗したのかを分析したりすることも必要です。

でも本当に大切なことは、

「失敗したっってまた立ち直れるんだ」

ということを知ることです。

 

失敗を経験するってことは、

それを知るチャンスですよ。

それを知ることは、本当に本当に大事だから!

 

正直、私なんか言ってみれば失敗だらけの人生です。

上手くいかないことへの的確なアドバイスは難しくても、

失敗談なら少し書けるかもしれません。

 

改めて、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

それでは、また。