東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

他者との関係性の中に(L)

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たまたま手にした本の中だったり、

友だちとの何気ない会話の中で、

それまでずっともやもやしていた頭の中が、

「なんだ、そういうことか」と、

すっとわかったようになるときがある。

「そっか、そうすればいいんだ」

「そうだよね。そう考えればいいんだ」って。

 

歩き回っているうちに峠を越えたみたいで、

立ち込めていた霧がすっと晴れ、

いきなり視界が開けたような感覚。

「なに悩んでたんだろ。ばっかみたい!」

そんな感じ。

 

最近はそれにプラスして、

他の方のブログを読んで気付かされることもある。

「そっか。そうだよね」って。

 

なのに少しして気が付くと、

雲の上に出たはずが、

いつの間にか視界が悪くなって、

またしても「もやもやの中」にいる。

雲が上がってきたのか、

はたまた道を間違えて、

気がつかずに道を下ってしまったのか、

自分でもよく分からないけど、

とにかく「もやもやした中」に逆戻り。

 

ここのところ、ず~とそんな感じで、

いささか自分で自分を持て余していた。

それにしても上がったり下がったりは、

本当にくたびれる。

 

最後に記事を公開したのが2月28日。

他者との関係性について考え出したら、

なんとなく書けなくなって、

なんと10日も過ぎてしまった。

リアルとバーチャルの両方だったので、

余計にしんどかった。

 

少し前の記事で

「何日書かずにいると、アクセスがゼロになるのかな」

と書いた。

実際このブログは『はてなの住民』にしか読まれていない。

正確な言い回しはわからないけど、

外部からの流入というのだろうか、

それは未だにほぼゼロ。

グーグルやヤフーからのアクセスは、

足しても2%というのが続いているので、

たぶんそういうことなのではないかと思っている。

    (*間違っていたらごめんなさい)

そんな環境でも、

アクセス・ゼロにはなかなかならないもので、

アクセス数の棒グラフ(はてな提供)を、

不思議だなあと思いながら眺めていた。

とにかくそんな10日間だった。

 

ゼロに憧れてるわけじゃないけど、

なんとなくゼロに挑戦する絶好の機会だと思って、

わけもなく頑張っていたのかもしれない。

絶好の機会というのは、

最初に書いた通り、いろいろ考え込んでしまって、

こんなときは物事を前向きに捉えることができなくなる。

もとは些細な事だったはずなのに、

自己肯定感というか自尊感情が低いので、

考えだすとどんどん元気がなくなる方向に行ってしまうのだ。

他者なしでも成立する自己存在感と異なり、

関係性の中で自覚する肯定感がどんどんマイナスに向かう。

それが続くとだんだん投げやりになってくるものだ。

 

そうなるとブログの更新についても、

「別に書かなくったって・・・」

という気持ちが勝って、そこから抜け出せなくなるのだ。

ちなみに物を捨てるときは、こういうときが良いそうだ。

元気なときは、

「これって、いつか使うかもしれない」

と考えがちだけど、

疲れていると、

「まあいいや、捨てちゃえ・・・」って。

疲れているときの効用ですね。

これが本当なら、

断捨離をするなら元気なときにやってはいけないということ。

 

流石に自分に呆れ気味になって、

気分転換というか、リセットというか、

大好きな模様替えをしてみたけど、

結局気に入らなくて元のレイアウトに戻した。

シュミレーションでは良かったのに、

いまいちパッとしなかった。

4時間かけて、何やってんだってかんじ。

それでも、おっきな家具を3つ移動して、

また戻すというチカラ仕事をしたせいか、

何かが切り替わった気がする。

 

そもそも悩み始めのもとは、

大したことではないのだから、

そろそろプラス思考にしなくちゃいけない。

それを気付かせてくれたのも、

結局は避けていた関係性の中にあった。

人はどうあがいても、

他者との関係性の中で生きているのだ。

 

少しずつ書き足して、

日記的な長い長い記事を書いていたけど、

なんとなく元気が出てきたので、

その原稿はポイだ。

もうすぐ大切な友だち(だと思っている)の、

大切な日が来る。

だから元気にならなくっちゃ。

 

2月4日、石川セリの「セクシイ」を紹介したら、

とある先輩ブロガーに感謝された。

これも気に入ってくださるかもしれない。

ライブバージョンで、

「まだ本当の題名はついていないんですけど・・・」

という始まり方です。

レコードより、こっちの方がいいかもしれません。

LILY(1952-2016)です。

youtu.be

いよいよ春です。

それでは、また。

コメント(S)

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少し前のことだけど、

ある方の記事を読んで、

短いコメントを残した。

数日前、その方が記事の中で、

そのコメントを引用しつつ、

私のブログを紹介して下さった。

びっくりしたけど、

ありがたく、嬉しかった。

改めてこの場をお借りして、

感謝を伝えたいと思う。

  ケール (id:nanndemohajimete)

 

その少し前、別の方の記事に、

その時は少し長めのコメントを残したことがある。

同じようにというか、

こちらの方が先だけど、

自身の記事の中で、

その長いコメントを全部紹介してくださった。

少し気恥ずかしかったけど、

やっぱり嬉しかった。

  luna (id:luna117)

 

二度あることは三度あるという。

っていう事は、

頑張って書くべきは、

記事じゃなくって、コメントってこと?

まさに「これが私の生きる道

ってやつかもしれない。

 

だとすると、

「ブログ書いてます」じゃなくって、

これからは、

「コメント書いてます」って言うべきか…。

 

「コメント書いてます!」

「コメントやってます!」

 

まあそれもいいけど、

「俺、コメント始めたんだ」って聞かされた人は、

何と答えたらいいやら、きっと困るに違いない。

「へえ〜コメントですか・・・」

顔が浮かぶようだ。

文字数簡易表示の改定(S)

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ブログの総文字数を,

簡易的ですがタイトルに表示しています。

(SS)とか(L)とかですね。

ちなみに、この記事は733文字なので(S)です。

 

実際には、例えば400字までは(SS)だけど、

401字はどうなの?ってところで、

そのあたりを少し修正して、今に至っています。

 

読む人の役に立っているとは言い難いのですが、

何人かに「いいね」をいただいたので、

それに報いるために表示を続けているのです。

取り立てて取り柄がないので、

せめてこの辺りは律儀になろうということですね。

 

ですが、ず~と気になっていたことがあって、

今回、平成最後の改定を断行することにしました。

文章だとまどろっこしいので、

図にしてみましたが、いかがでしょうか。

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まあ、あまり変わらないのですが、

気分的にはおさまったので、当面はこれで行きます。

 

なお、記事はマックのPagesで書いているのですが、

はてな」に移すと文字数が変わってしまいます。

原因を突き詰めるのが面倒なので、

理由はよくわからないのですが、

ちょっと癪に触るものです。

(M)かと思ったら(L)じゃん、みたいな。

なので、今後のカウントは「はてな」での文字数とし、

基準を厳密に適用することにしました。

401字は問答無用に(S)ということです。

 

以上・・・、

というわけにもいかないので、

小話をひとつ。

 

くちを聞く植木を見物に来た人が

「お前は何だ」

 「マツ」

「お前は」

 「タケ」

「お前は」

 「ウメ」

「こりゃおもしろい・・・お前は?

 ・・・お前は?・・・おい!お前は?」

そばから植木屋が、

「もし旦那、その植木は返事をしません。

    くちなしですから・・・」

 

花が喜ぶ季節が近づいて参りました。

それでは、また。

 

言葉について思うこと(S)

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他の方の記事(ブログ)を読むようになって、

今まで馴染みのなかった言葉(単語)に、

はっとさせられることがある。

聞いたことがないような気がするし、

少なくとも使ったことはない言葉(単語)なので、

それを知った後はちょっと得した気分になる。

いわゆる専門用語は別だけど、

普段の会話で使える言葉が増えるのは、

嬉しいものだ。

 

ブログを書くようになって、

思いを言葉にすることの難しさを実感している。

知っている言葉をどう組み合わせても、

思ったように表現できないのに、

たったひとつの言葉でそれが伝えられることもある。

まるで魔法のようだ。

 

手に入れた言葉をすぐに使ってみたくなるけれど、

すぐにはしっくりこないようである。

言葉に意志があるとすれば、

知り合ったばかりの人には、

軽々しく使ってもらいたくないのかもしれない。

「言葉は生きている」というけれど、

もし自分が言葉だったら、きっとそう思うだろう。

そして、思いっきりガンコな言葉になるかもしれない。

そうなると辞書の最後のほうに、

「使いこなすのが難しい言葉」の一覧がついて、

「この言葉は難易度3です」みたいな・・・

「気難しい言葉です」みたいな・・・

・・・

ならないですよね。

 

そんなくだらないこと考えてる暇があったら、

本でも読めって。

 

おっしゃる通りです。

時どき思い出す約束(M)

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先日あるウイスキーのキャッチコピーについて書いた。

「何も足さない、何も引かない」ってやつ。

 

ところでウイスキーとカタカナで書いたけど、

実は英語の綴りは2通りだ。

アメリカやアイルランドではWhiskey、

スコットランド(イギリス)を含む

その他の国ではWhiskyである。

バーボンはWhiskeyで、

スコッチはWhiskyってこと。

ちなみに日本での表記はWhiskyだ。

 

まあそれはどうでもいいけれど、

その記事の中で作家の開高健氏に触れた。

その触れ方があまりに中途半端だったので、

申し訳なく、気になっていた。

氏は株式会社壽屋(ことぶきや)の宣伝部を経て、

のちに作家として名を残した。

壽屋は現在のサントリーである。

「裸の王様」で第38回芥川賞を受賞しているだけでなく、

随筆やノンフィクションも多く書かれている。

なので、氏が残された珠玉ともいえる名言の中から

好きな言葉をひとつだけご紹介したいと思う。

ウイスキーの話から始まったので、

これはぴったりだし、何と言っても深い。

出典は忘れてしまったけど、

なぜか記憶から消えない。

 

「男にとって思い出以上の酒のサカナはまずあるまい」

                      開高健

 

あの世で一緒になる約束をした女(ひと)がいる。

ずいぶん前のことだけど、

たぶんこれは時効のない約束に違いない。

がっかりさせたくないから、

もうろくしてヨボヨボになる前に、

逝ったほうがいいのかもしれないと、

ときどきその約束を思い出したりする。

 

気を利かせて先に行って待っていたのに、

「どちらさまですか?」って言われたらショックだし、

なんといっても逝っちゃたら戻れない。

それとも長生きして、

「お待たせしました」って言うのがいいのだろうか。

結構、逝くタイミングが悩ましい。

 

死んでからしなくちゃいけない事があるなんて、

それが幸せなことなのかどうかもわからないけど、

そもそも相手が覚えているかだって、

怪しい気もする。

 

でも、誰かがこんなことを言っていた。

「女はしてもらったことは覚えてないけど、

  してもらわなかったことは絶対に忘れない」

 

そうだとしても、そうでないにしても、

ふと思い出す記憶のひとつひとつが、

切なさや哀しみにつながっていく。

 

こんなことを書いているのは、

きっと昨日の夜中にこれを聞いたから。

youtu.be

・・・ってことに、しとこ。

 The Rose。

 

気が合う人って、どんな人(S)

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何かで意見が一致したら、嬉しいものです。

味方がここにいるって感じ。

それが続けば「気が合うね!」ってなる。

 

そんなことを考えていて、

そんなんでいいんかって、

急に不安になってきた。

 

意見が合う人なんていっぱいいるし、

その割に気が合う人が多い気はしない。

 

もしかしたら、

気が合うってことが、

気が合う人になるための、

十分条件じゃないってことか。

 

だとすれば何が足された時、

気が合う人になるんだろうか。

「気が合うね!」って言ったって、

だいたい全部で合うはずがない。

合わないところがあって、当たり前。

なのに気が合うと思っていた人の中に、

気が合わないところを見つけてしまったとたん、

膨らんでた風船が萎んでしまうようなことって、

ありませんか。

 

そもそも相手に期待していたものは、

こっちの勝手な思い込みでしかないのに、

裏切られたなんて言い出したりする。

全く身勝手である。

 

ということは、

気が合う人って、

気が合わないところを、

受け入れられる人ってことなのか。

いやいや、

気が合うから受け入れられるのか・・・?

 

寝ようと思っていたのに、

寝られなくなってしまった。

 

なんてこったい。

リライトってしますか?(M)

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前に書いた記事に、

ときどき「はてなスター」が付くことがあります。

この、過去記事についた「はてなスター」って

はてな」さんからの連絡がなければ、

たぶん気がつかないものです。

過去記事を毎日チェックするなんて、

到底出来ませんからね・・・。

なので、この仕組みはとてもありがたい。

 

昔の記事を読んでもらえるって、

たまたま読んだ最新記事に、

何か惹かれるところがあって、

ちょっと前のものも読んでみようってことだと思います。

最新記事に続いて読んでもらえることもあるし、

思い出したように古い記事を尋ねてもらう場合もあるでしょう。

ひとつの記事はそれ自体で独立しています。

だけど、もう少し長い文脈の中で読んでもらえれば、

書き手として、なお嬉しいものです。

 

「昔ばなし」ならともかく、

日々揺れ動く気持ちを綴っている記事もあります。

たったひとつの記事で

「この人は、こういう人か」

と断定されてしまうのは、

なんだか残念です。

 

だとすれば、ある記事を公開するときに、

記事によっては

「本記事を読む前に、

 この記事とこの記事を読んで下さい」

と書いておいたらどうなのでしょうか。

読み終えた記事の最後に、

「これも良かったらご覧下さい」

というのは見かけるけど、

「最初にこれを読んで下さい」

って、ないような気がします !・・・・・気がする ?

って書きながら、思い出しました。

そのパターンってありますよね。

たぶんいっぱいある。

 

なんですぐに思いつかなかったのかというと、

「最初にこれ読んで」って書いてあると、

面倒になって読まない自分がいるからですね。

失礼しました。

自分がしないからといって、

人がしないかはともかく、

「やらず」に「やって」というのは、

虫が良すぎるというもの。

なので「これ読んでね」は、

自分のブログではなるべく慎みたいと思います。

 

それはともかく、

過去記事に新たにスターが付いた時点で、

改めて自分でもその記事を読み直してみます。

記事数が100を越えた辺りから、

何を書いたか把握できなくなっているので、

なんだか新鮮なんですね。

不思議なのは、

むかし書いた記事のほうが、

よく書けてるって感じること。

最近書き方が乱暴になったとは思えないし、

文章力が落ちたとも考えにくい。

(注:もともとない)

そもそも、むかしと言ったって、

書いたのはわずか数か月前のこと。

 

ところで、

「ときどきリライトした方が良い」と、

多くの方が書かれています。

なのでそういう目で読んでみるけど、

直すことは、ほとんどありません。

 

なんでだろう。