東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

オンとオンとワン(S)

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今日になって、

18(土)~19(日)とイベントの仕事が入り、

このままだと悪夢のような、

12連勤になる恐れがでてきた。

そうでなくても来週にかけて業者会がふたつに、

その流れで苦手なゴルフも入っている。

明日は当社最大規模の社内イベントが開催されるし、

月に一度のFMラジオ局での収録も来週だ。

ようやく25(土)に休めると思ったら、

26(日)にもイベント出店が入り、また仕事。

 

事業部にいた頃は

「土日は無いものと思え」という風土だったけど、

最近は働き方改革とやらで、随分様子が変わってきた。

「土日は無いものと思え」などと言おうものなら、

若い人はみんな辞めてしまうだろう。

 

ようやく「土日は無いものと思え」の部署から異動したら、

そこは「土日は仕事だと思え」というところだった。

広報に異動したことを知らせた友だちからは、

「花形じゃん」と持ち上げられ、

当時は何となく気分があがったけど、

最近出るのは「やる気」ではなく

「ため息」ばかりである。

 

愚痴はともかく、

今週末は「パール」が手術を受ける。

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正直、仕事よりもそっちの方がずっと心配。

術前・術後のスキンシップを考えると、

ブログは「やすみ・やすみ」になるかも。

なので、

みなさまのブログを楽しませていただきます。

 

それでは、また。

酒と泪と男と女(M)

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前回「男と女」のタイトルで昔話を公開しました。

元々は違うタイトル名で書き始めたのですが、

書き終え、読み返すなかで、

タイトルを「男と女」に書き換えました。

 

そのタイトルに惹かれたのか、

内容に思い当たるところがあったのか、

はたまた分かりにくかったのか、

なんとも定かではありませんが、

とにかく多くの方にコメントを頂きました。

こんなことは滅多にないことなので、驚きです。

 (注:見ていただければ分かりますが、

    多くの方といっても10名弱ですが…)

もちろんどんな理由であれ、

ありがたいことです。

 

こんなに頂いたのは

「女はしてもらったことは忘れても、

 してもらわなかったことは、絶対に忘れない」

という、誰かの名言を書いて以来でしょう。

そのときも、おしかりを覚悟の上で公開したのに、

意外にも「そうかもね…」という

女性からのコメントが多く寄せられ、

びっくりしつつ内心ほっとしたものです。

 

ところで、ひとつの関係が終わったら、

それはもう事実として受け止めるしかないと言います。

所詮「男と女」は、

上手くいくか、いかないかのどちらかです。

「努力が必要です」と言い出した時点で、

ある意味それは終わっているのかもしれません。

泣こうがわめこうが、終わったものは終わったもの。

そして、行き場のない思いはどこに行くのでしょうか? 

たぶん誰もが持っているであろう、

「記憶の一番奥の危険地帯」に仕舞われて、

消える事なく息を潜めることになるのです。

ところが、その記憶が何かの拍子に、

まるで昨日の事のように蘇ってくることがあります。

 

みなさまは、どうでしょうか?

 

ですが、なんとも不思議なことに、

苦しく哀しい記憶であったはずのことが、

時間とともに甘く切ないものに、

だんだん変わっていくような気がするのは、

私だけでしょうか。

 

なんの役にも立たない昔話だったけど、

多くのコメントを頂けたということは、

思いがけずに読者の危険な記憶の扉を

開けてしまったのかもしれません。

そうだとしたら、

そこにはどんなドラマがあったのでしょうか…。

やはり「男と女」というテーマは奥が深く、

誰にも普遍化できないというものなのですね。

だからこそ、

そこにドラマが生まれるのでしょう。

 

「男と女」といえば、この曲は外せません。

オリジナルは河島英五さんですが、

あえてカバー・バージョンをふたつご紹介します。

最初は先日アップした「ぐでんぐでん」のふたり。

次は、たまたま見つけた女性もの。

この曲を「女性が歌うのは、どうなの?」と思ったあなた、

「これもありだね」と思われるでしょう。

youtu.be

youtu.be

せっかくなので最後は「ぐでんぐでん」の別バージョン。

以前アップしたものの翌年のライブですが、まさに男唄。

やっぱ、かっこいいです。

youtu.be

 

それでは、また。

男と女(LL)

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浪人生として東京に出て半年くらい経った頃、

地元にいる友達から

「彼女が他のオトコと遊んでるよ」と忠告された。

当時付き合っていた女の子は、

自分が東京に出た後も、地元に残っていたのだ。

彼女は言ってみれば初恋の相手で、

中2くらいからの付き合いだった。

 

忠告してくれたのは彼女の女友達だったので、

普通は内緒にしておきそうなものだけど、

遊んでる相手がよっぽど悪いやつだったのか、

その女友達が気に入らないオトコだったのか、

それとも自分のことを心配してくれたのかは、

よく分からない。

付き合っていたとはいえ、

離れた環境に身を置いた時点で、

何となくそのまま自然消滅になるような、

そんなふわふわした感じの頃だった。

 

「浮気してるよ」と言われて、

どんな感情が湧いたのか、

今となってはよく覚えていないけれど、

とにかくそのことで彼女を咎めたり、

さらには「振る」こともなかった。

 

少しして、彼女が東京に出てきた。

「こっちにおいでよ」と誘ったわけではないが、

とにかく追っかけてきたのだ。

当時、自分は京王線の「桜上水」にいたのだが、

同じ沿線で、ふた駅新宿寄りの、

「明大前」に越してきたのだった。

彼女の部屋探しを手伝った記憶も、

引越しを手伝った記憶もないので、

全部内緒でやったのだろう。

そのあたりの記憶がはっきりしないのだが、

全部済んでから連絡をしてきたような気がする。

記事の最初に書いたことを考えれば、

彼女は何らかの負い目を感じていたのかもしれないし、

自分のところに転がり込む訳にも行かなかったのだろう。

 

しかし、越してくれば一緒にいる時間が多くなる。

近いとは言え、アパートを2つ借りているのも、

何だかもったいない。

なので、少し広いところへ一緒に引っ越すことにした。

18歳の幼稚な知識として、家族向けの部屋を借りるには、

結婚していないと借りられないのではないかと考え、

安物の結婚指輪を買って不動産屋に行った記憶がある。

「夫婦です」と指輪をわざと見せながら借りたのだが、

今考えればそんなママゴトは見破られてたに違いない。

今は色々うるさいけれど当時は結構いい加減で、

書類を出せとも言われなかった。

引っ越したのは「吉祥寺」のマンションだった。

 

彼女は駅ビルの中にあった化粧品の店に勤め始め、

社会人となった。

自分は毎日ぷらぷらしている学生だった。

 

そんな2人のなんちゃって夫婦は、

突然、終わった。

一緒に住み始めて2年くらい経ったある日、

「出て行って欲しい」と言われたのだった。

喧嘩をすることもなかったので本当に突然だった。

今、改めて考えてみると、

その前兆を全く感じ取ることができなかったのは、

ちゃんと彼女に向き合ってなかったからに違いない。

先に社会に出て、色々な苦労もあっただろうに、

それを想像することも、相談に乗ることもなく、

毎日好き勝手なことをしていれば、

愛想を尽かされても仕方がない。

彼女が同じ職場の人を好きになったというのを、

友達から聞かされたけど、

それはだいぶ後になってからだった。

苦労しないでプラプラしていたら、

まぁこうなるものだ。

それでも当時は相当ショックで、

色々女々しいこともしたが、

彼女の決心は変わらなかった。

結局、程なくして東中野にアパートを借り、

彼女とは別れた。

 

それから17~18年くらい経ったある日、

「彼女が店を出したよ」と同級生が知らせてくれた。

当時、私は地元に帰っていて、すでに結婚していた。

長女が小学校に上がる前くらいだっただろうか。

店というのは飲み屋で、ママさんをしているという。

「バックがいるみたいだ」とも言っていた。

教えてくれた同級生は何度か遊びに行ったようで、

「彼女、会いたがってたよ」と言われたが、

別れ方が酷かったので行く気にならなかった。

 

店のことを聞かされてから2年くらい経った頃だろうか。

当時、私はアメリカン・フットボールをやっていて、

その忘年会だったかなにかの飲み会があった。

一次会が終わり、次の店に行くという誘いを断って、

家に向かいながら急に「その店」のことを思い出した。

「もう、ないかもな」

と思いながら、前に聞いた通りに歩いて行くと、

店の看板に灯がともっていた。

入ると大きなカウンターがあって、

先客はひとりもいなかった。

彼女はカウンターの中から

「まあ…ひさしぶり。よく来てくれたわ…」と、

ちょっとびっくりしたような表情で、

カウンターの真ん中の席を勧めてくれた。

頼んだ水割りを素早く作ると、

「ちょっと待ってて」と言って、

彼女はカウンターの奥に入った。

すぐにハンドバックを抱えて出てきたのだが、

そこから大きな長財布を取り出し、

そこに入っていた小さな一枚の写真を、

グラスの横にそっと置いた。

それは19歳の頃、

2人で新潟の海に行った時のもので、

写っているのは自分だった。

その店で、その時なにを話したのか、

全く記憶がない。

ただ、お代わりをすることなく店を出て、

そのあと涙が止まらなかったことだけを覚えている。

 

その店に行ったのは、

それが最初で最後だった。

 

音楽の使い方(L)

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10年以上、まともに音楽を聞いていなかった。

ライブに至ってはブルー・ノートで見た

マーカス・ミラーとデビッド・サンボーンが最後だから、

ゆうに20年近くは経っている。

 

音楽との関わり方は色々あっていいと思うけど、

どうあれ集中して聞くことがなくなってしまったのだ。

聞きたい音楽がなくなったとか、

聞く時間がないとかでもない。

新しいのはあまりないけど、音源は相当ある。

ジャケ買いしたCDも随分あって、

それらはほとんど買ったきりだし、

「持っているのは聞き飽きた」ということでもない。

一時期、TUTAYAで借りてきたCDを、

せっせとPCに取り込んでいたことがある。

それらは殆ど聞くこともなく、

今となってはデータとしてそこにあるだけだ。

それも相当ある。

そんなだから、自分が誰の何を持っているのかも

ちゃんと把握できていないくらいだ。

そう言えば、

カー・オーディオに取り込んであるものも、

ほとんど聞かなくなっていた。

本屋で音楽雑誌をペラペラめくる事もなくなった。

手が届くところに置いてあるベースは、

どれも調弦してないし、弾く気もおきない。

全く、無い無い尽くしである。

 

なんで聞かなくなったのかといえば、

思いあたることがないわけでもないが、

それが確たる理由とも思えない。

とにかく、

「ちゃんと音楽を聞かなくなったな」

としか言いようがない。

 

それでも思い出したように、

大音量を浴びたくなることが時々あって、

好きだったアルバムに針を落としてみる。

だけど、今ひとつそれに浸ることができない。

意地になって取っ替え引っ替え聞いてみるけど、

そもそもどうしても何かが聞きたいと言うのではないので、

「どうにも今の気分に合わないな…」

と感じてしまうのだった。

そうこうしてるうちに面倒というか飽きてきて、

ちゃんと聞くことを止めてしまうのだった。

 

それがどうしたことか、様変わりした。

音楽三昧というほどではないけれど、

最近は毎日何かしらを聴いている。

それも結構な時間。

 

どうしたのかと言うと、理由はたったひとつ。

それは、ブログを始めたから。

収益化を目的としないブログの1番の楽しみは、

他者からの「共感」であり、

他者への「共感」ではないか。

「共感」と言うのは何かを分かち合うこと。

経験したり感じたりしたことに対して、

それが特別なことではなくても

「そうだったんだね」と、

言ってもらったり、言ったり。

慰めてもらったり、慰めたり。

励ましてもらったり、励ましたり。

時には褒めてもらったりもする。

そして、なんていうことのない話に

「私もそう思う」とコメントが付いたりする。

それが嬉しいし、楽しいのだ。

 

誰かに伝えたいもの(こと)があって、

それをどう表現したらいいのか、

色々書いてみるけど上手くいかないことがある。

正直に書けば、しょっちゅうある。

そんな時、その思いを1つの曲に託すことで、

なんとなく伝えることが出来た。

改めて音楽のチカラを実感した瞬間だった。

 

以来、遠くで鳴っていた音楽が、

また生活の中に入ってきた。

やっぱり「BGM」だけじゃもったいないよね。

 

それでは、また。

 

追記(5/10 PM11:37)

先ほど気がついたのですが、

5月3日に公開した「昭和100年」の記事の最後、

全米小売業売上高ランキングの表が、

2つとも消えていることに気がつきました。

お詫びするとともに貼り直しましたので、

ご興味のある方はご覧ください。

  

 

はてなスターをいくつ付けるかな?(S)

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ブログを始めたころの話。

 

諸々の仕組みがほとんどわからず、

他の人の記事を読んだ後に

はてなスター」をどう付けたらいいのか迷っていた。

すると、いくつか読んだ記事の中に、

あまりたくさん付けるとそのブログが重くなってしまうので、

考え物だという記載があった。

良かれと思ってたくさんつけたスターが、

その人のブログに悪さをするのはまずい。

真偽の程は未だに不明だけど、

以来それを真に受けて、

自分が付けるスターは3個までとした。

正直、スターが3個しか付けられないとすると、

いくつ付けたらいいのかを毎回迷ってしまうのだが、

とにかく上記の理由によりMAX3を維持してきた。

 

最も、「そんなことはありません」ということであれば、

ぜひご教示いただきたい。

たとえばMAX5ぐらいにしたら、

共感度の表現にメリハリが付くような気もするし、

逆にレビューぽくなって難しくなるかもしれない。

それはそれで悩ましい。

なので、とにかく改めてMAX3で考えてみることにした。

 

何と言っても問題はその基準で、

最初に決めたときも何らかの物差しがあったはずだけど、

最近、どうも自分でもあやふやになっていた。

それから、気の利いたアクセス解析をもってすれば、

こっそり覗いても、わかってしまうらしい。

なので、付けないという選択肢はない。

なお、いただいたコメントに付けるスターは、

ちょっと特別なのでこの限りではない。

 

と言うことで、

 

<案1>

  ☆            なるほど、そういう考え方もあるんですね

  ☆☆   その通りです

  ☆☆☆  参りました

 

<案2>

  ☆             読ませていただきました

  ☆☆    面白かったです

  ☆☆☆   感動しました

 

<案3>

  ☆             ふむふむ、なるほど

  ☆☆    そうだよね

  ☆☆☆   すき

 

これが研修の一環なら

「最低10個は考えましょう」とか講師が言いそうだけど、

眠くなってきたのでここまで。

まあ、しばらくは<案3>で行きます。

 

それでは、また。

昭和100年(L)

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古い話で恐縮だけど、2013年の6月、

「第38回アメリカ最新小売業態視察ツアー」に、

行かせてもらった。

ツアーの目的は

「様々な小売業やショッピングセンター類型の比較を通して、

 アメリカ流通業の真髄を理解する」というもの。

流通業の常識としてアメリカで起きたことは、

やがて必ず日本でも起きるということなので、

それを学んで来なさいということだった。

当時、ある事業部を預かることになり、

他部門からもう1人選ばれ2人で参加した。

 

2000年以降、世界5大流通外資が相次いで日本に参入し、

多くの専門家が国内市場を席巻するだろうと予想していた。

彼らは圧倒的なバイイング・パワーを持っていて、

喧嘩にならないと思われていたのだ。

ところが結局どこも大苦戦し、 

残ったのは「コストコ」だけ。 

あとはみんな撤退してしまった。

理由は色々考えられるけど、

要は日本の大衆消費者に受け入れられなかったということ。

欧米とは買い物に対する価値観や動機、

つまり文化が大きく異なっていて、

彼らが絶対的な価値を置く「安さ」が、

それを超えられなかったということになるのだろう。

当時から「日本市場は世界一高度で難しい」と言われていて、

図らずもそれを証明してしまったのだ。

 

視察ツアーの報告書(社内)の最後は、

①ネットVSリアルの戦いが本格化

②今後の成長株はEコマース、CVS、均一価格のダラーストア

③近隣商圏対応小型SCの増加

と、まとめた。

 

そう書いてはみたものの、

商品を手に取らずに購入するなんて、

正直、自分には想像もできなかったし、

そもそもネットで買い物をしている人は、

当時の自分の周りではそう多くはいなかった。

 

改めて現状を見てみると、

流れは予想をはるかに超え、アマゾンの勢いは凄まじい。

報告書ではアマゾンの台頭に対して、

リアル店舗の対抗策の行方をいくつかあげたけど、

ショールーミング(*)に対する有効な手は、

現在も見いだせていないように感じる。

(*:リアル店舗で品定めをして価格をチェックし、

 より安価に売っているオンラインサイトで購入すること)

 

当時(2012年データ)の全米小売業売上高ランキングと

2018年のそれを比較すると、アマゾンの凄さが数字でわかる。

最初が2012年、次が2018年。単位は10億ドル。

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平成最後の10年足らずで、

消費者の購買行動は大きく変化した。

私もいつの間にやらアマゾンのプライム会員になっている。

そして令和の時代はどんな変化を見せるのだろうか。

 

そんなことを考えながら、ふと思いついた。

明治元年からちょうど100年となる1968年に

政府主催の「明治百年記念式典」が行われた。

令和の時代がどのくらい続くのかわからないけど、

もう少し生きて「昭和100年祭」を

元気で見られたらいいなと・・・。

やっぱり昭和生まれは、

いつまでたっても昭和から抜けられないのかもしれない。

 

それでは、また。

 

後記:研修後は報告会が開かれ社内プレゼンをするのですが、

   このツアーに関しては、その機会がありませんでした。

   デスク整理をしていた先日、その報告書を発見し、

   不憫に思えて来たので、その一部を記事にしました。

   面白みのない話でしたが、

   最後までお付き合いくださいまして、

   ありがとうございます。

控えめに「3S」(S)

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今日は月末だということもあり、

基本的に出社日だった。

 

さすがに大型連休中の朝の道路はスカスカで、

買い物を済ませたコンビニの駐車場から出るのも

スイスイだった。

普段、こうはいかない。

この人なら入れてくれるかもと、

窓を開けたり手を上げたり頭を下げたりと、

あの手この手でお願いして、

結局無視されたりすることも多々あって、

朝からテンションが下がったりするものだ。

無視と言うより、気が付いてるのに

気が付かないフリと言う感じであろうか。

私もこの手を使うことがあるので、

まあしょうがない。

人は「その人がしたことをされる」という。

全く、その通りである。

とにかく道路がすいているのは気分がいい。

 

業者による席替えが済んだオフィスは、

そこに座るべき人が居なかったり、

その反対だったりと、新鮮でもある。

席が変わると見える景色も変わる。

それだけでも気分転換になるものだ。

 

自分は動かなかったので、

特に気分が変わるわけではないけれど、

それより先日書いた通り、

この際と張り切って片付けを始めたのに、

結局ほとんど捨てられなかったので、

整理整頓が済んだ他の人のデスクと比べて、

えらく差があり、改めてがっかりすることになった。

高く積まれた資料が「抱えている仕事の量」と

思われるのは大きな勘違いというか間違いで、

整理できない人と言われるだけである。

そもそも「量」などあってあたり前、

そんなことより「質」が問われているのだ。

ほとんどの資料はデジタル化できるし、

紙焼き資料がなかなか手放せないのは、

我ながら情けないし困ったものだ。

 

今年の目標は特に立てなかったけど、

令和を迎えるにあたって折角なので、

ならば基本中の基本である「5S」の中の

せめて「3S」をしっかりしようかな・・・

と言うか、そう決心してみた。

『志』ひくっ…。