東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

音楽の使い方(L)

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10年以上、まともに音楽を聞いていなかった。

ライブに至ってはブルー・ノートで見た

マーカス・ミラーとデビッド・サンボーンが最後だから、

ゆうに20年近くは経っている。

 

音楽との関わり方は色々あっていいと思うけど、

どうあれ集中して聞くことがなくなってしまったのだ。

聞きたい音楽がなくなったとか、

聞く時間がないとかでもない。

新しいのはあまりないけど、音源は相当ある。

ジャケ買いしたCDも随分あって、

それらはほとんど買ったきりだし、

「持っているのは聞き飽きた」ということでもない。

一時期、TUTAYAで借りてきたCDを、

せっせとPCに取り込んでいたことがある。

それらは殆ど聞くこともなく、

今となってはデータとしてそこにあるだけだ。

それも相当ある。

そんなだから、自分が誰の何を持っているのかも

ちゃんと把握できていないくらいだ。

そう言えば、

カー・オーディオに取り込んであるものも、

ほとんど聞かなくなっていた。

本屋で音楽雑誌をペラペラめくる事もなくなった。

手が届くところに置いてあるベースは、

どれも調弦してないし、弾く気もおきない。

全く、無い無い尽くしである。

 

なんで聞かなくなったのかといえば、

思いあたることがないわけでもないが、

それが確たる理由とも思えない。

とにかく、

「ちゃんと音楽を聞かなくなったな」

としか言いようがない。

 

それでも思い出したように、

大音量を浴びたくなることが時々あって、

好きだったアルバムに針を落としてみる。

だけど、今ひとつそれに浸ることができない。

意地になって取っ替え引っ替え聞いてみるけど、

そもそもどうしても何かが聞きたいと言うのではないので、

「どうにも今の気分に合わないな…」

と感じてしまうのだった。

そうこうしてるうちに面倒というか飽きてきて、

ちゃんと聞くことを止めてしまうのだった。

 

それがどうしたことか、様変わりした。

音楽三昧というほどではないけれど、

最近は毎日何かしらを聴いている。

それも結構な時間。

 

どうしたのかと言うと、理由はたったひとつ。

それは、ブログを始めたから。

収益化を目的としないブログの1番の楽しみは、

他者からの「共感」であり、

他者への「共感」ではないか。

「共感」と言うのは何かを分かち合うこと。

経験したり感じたりしたことに対して、

それが特別なことではなくても

「そうだったんだね」と、

言ってもらったり、言ったり。

慰めてもらったり、慰めたり。

励ましてもらったり、励ましたり。

時には褒めてもらったりもする。

そして、なんていうことのない話に

「私もそう思う」とコメントが付いたりする。

それが嬉しいし、楽しいのだ。

 

誰かに伝えたいもの(こと)があって、

それをどう表現したらいいのか、

色々書いてみるけど上手くいかないことがある。

正直に書けば、しょっちゅうある。

そんな時、その思いを1つの曲に託すことで、

なんとなく伝えることが出来た。

改めて音楽のチカラを実感した瞬間だった。

 

以来、遠くで鳴っていた音楽が、

また生活の中に入ってきた。

やっぱり「BGM」だけじゃもったいないよね。

 

それでは、また。

 

追記(5/10 PM11:37)

先ほど気がついたのですが、

5月3日に公開した「昭和100年」の記事の最後、

全米小売業売上高ランキングの表が、

2つとも消えていることに気がつきました。

お詫びするとともに貼り直しましたので、

ご興味のある方はご覧ください。