東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

それぞれの人生(L)

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以前読んだ本の中に、

「あなたの周りにいるヒトの形をしたモノは、

 実はロボットのようなものなのかもしれない。

 本当に人間なのかどうか、

 それをあなたは証明できますか?」

みたいなことが書いてあった。

 

作者もタイトルも、どんなジャンルだったのかすら

全く覚えていないけれど、

このフレーズだけは記憶に残ってしまった。

 

難しいことを考えるのは苦手だし、

証明なんてとてもできないけれど、

自分が現実だと思っていることが、

実はそうではないことがあり得るのだとしたら、

現実とは一体何なのだろうかと、

時々このフレーズを思い出したりする。

 

群馬は名だたる車(クルマ)社会で、

1人あたり保有台数は全国1位です。

実際、100メートル先のコンビニに行くにも

歩かずに車を使うことが多いような県民性です。

 

そんなだから公共交通網が発達しなかったのか、

公共交通網が充実していないから、

そうなったのかはわかりません。

とにかく、車がないと本当に身動きが取れないのですね。

石油メジャーのひとつであるBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)が、

日本にセルフスタイルのガソリンスタンドを導入するにあたって、

最初に展開したのも群馬でした。

 

私は日常の足としてバスや電車のお世話にならなかったので、

移動する空間に知らない人が居るという体験が、

ほとんどありませんでした。

ちょっとわかりづらいので言い方を変えると、

知らない人と一緒に移動する事が、

ほとんどなかったということです。

今でも車を使った移動の大半は一人だし、

乗り合わせても家族や友人くらいなものです。

 

社会人になって、特に今の仕事に就いてから、

出張で電車に乗る機会が増えました。

増えたといっても年に10回くらいですけど(笑)

行き先はほとんど東京なので、東京駅で山手線に乗り換え、

最寄の駅で降りるという感じです。

ラッシュアワーでもない時間帯だというのに、

いつでも多くの人が乗っていることに驚くのですが、

そこでいつも思うことがあるのでこの記事を書き始めました。

 

電車を降りるまでの少しの間、

釣り広告を読んだり車窓を眺めたりするのですが、

一番好きなのは人物ウォッチです。

目の前に「たぶん偶然いるこの人」に、

もう1度会う確率はどのくらいだろうかとか、

服装の好みやセンスをチェックしたり、

どこから通っているのだろうかとか、

どんな仕事をしているのだろうかとか、

どんなドラマを背負っているのだろうかとか、

とにかく色々な事。

つまりその人の人生を勝手に想像して時間をつぶします。

そのうち想像はあやふやになってきて、最後は

「この人も、きっと自分の人生を頑張って生きてるんだろうな」と、

これもまた勝手に納得する頃には電車を降りることになります。

 

より正確に書くとすれば、学生時代を含めて7年ぐらいを

東京(桜上水⇒明大前⇒吉祥寺⇒東中野⇒中目黒)で暮らしていたのですが、

当時(若い頃)はこんなことを1度も考えたことはありませんでした。

 

田舎とは言え、当地のイオンやコストコなどは結構な賑わいですので、

そこにはたくさんの知らない人が集まるわけですが、

そこですれ違うその人の人生を思うことはありません。

 

電車という閉じた空間で偶然一緒になった人にのみ感じる、

この感情の正体が何かはどうでもいいのですが、

ブログを書き始めてひとつの答えが出たように感じています。

ずっと漠然と思っていたことが、

始めてリアリティーを持って伝わってきたのです。

 

それは「みんなそれぞれの人生を実際に生きている」ということ。

 

私が読ませていただいている記事を書いている方も、

拙い私の記事にコメントを入れてくださる方も、

どう考えてもロボットとは思えません。

 

そうですよね?

 

それでは、また。