東京まで77.7マイル

思いつくこと、思い出すこと、思いあぐねていること。それから時どきワイヤーワーク。

おとこ友だち(L)

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代々木ゼミナールに通っていた頃(要は浪人中)

勉強はそっちのけで麻雀ばかりしていた。

同郷の同級生が借りているボロアパートだけでなく、

時どき歌舞伎町界隈の雀荘でもやっていた。

 

その日も日付が変わったというのに、

しばらくジャラジャラした後、

始発の電車が動き出すまで、

雀荘から歩いてすぐの公園で時間を潰すことにした。

アルコールは入っていない。

実際に麻雀をしていたのは4人の男の子で、

そのうちの1人は同級生。

女の子は自分の連れだった。

 

公園は薄暗く、

あちこちに植えてある大きな木が、

さらに見通しを悪くしていた。

はっきりした記憶はないけれど、

気がつくと数十メートル先に、

学ランを着ている大学生たちがいた。

20人くらいだった気がする。

どっからどう見ても、

関わりたくない人たちだったので、

目を合わせることもなかったはず。

なのに、そのうちの何人かがすっと近づいてきて、

無言で退路を塞いでしまった。

 

何かやり取りをしたような気もするのだが、

なにも覚えていない。

あっという間に転がされ、

蹴りの集中砲火を浴びた。

なぜか、当ててきたのは全て下腹部だった。

這いつくばった地面から見上げた人も景色も、

全く思い出せないのは、

たぶん固く目をつぶっていたからなのだろう。

数分の出来事だったような気もするけれど、

流れた時間の感覚も全く覚えていない。

 

恐怖の中にあっては、

そういう感覚を麻痺させる力が働くのかもしれない。

それでも彼らが仲間の所に戻る時に言ったセリフだけは、

今でもはっきり覚えている。

「俺たちは夜の新宿警察だ」

 

彼らが去った後、駅まで無言で歩いて、

そこでみんなと別れてそれぞれのアパートに帰った。

連れの女の子が付いてきてくれたけど、

何を話したのか、全く思い出せない。

 

痛みが尋常ではなかったし、

そもそも蹴られたのは大事な箇所だったのだ。

恐る恐るトイレに入り、

トランクスを下ろして自分のものを見たとき、

「あ~俺の人生は終わった」と思った。

そう思った記憶だけは残っているのだ。

それは内出血していて、

信じられないような様になっていたのだった。

連れの女の子を横に眠ったのか、

じゃあねって帰したのか、

全く記憶にない。

 

そんな夜から数えて20年くらい経った、

仲間内のある飲み会で、

彼がその日のことを急に話し出した。

その日の夜、やられたのは私だけだった。

そもそも、

どうして自分だけがやられたのかというのも、

彼の話を聞いて「そうだったんだ」と納得した。

囲まれた時に、

私がファイティングポーズを取った途端、

袋叩きにあったということだった。

争う気なんて全然なかったはずなのに、

自分の記憶には全くない・・・。

 

私は、幼稚園児の頃から柔道の道場に通い出し、

中学はそのまま柔道部に入部した。

高校ではラグビー部だったし、

夜は空手の道場にも行っていた。

だけど選手としては全くパッとしなかったし、

花の応援団みたいな人たちに、

立ち向かうほどの根性など、

これっぽっちも持ち合わせていなかった。

殴り合いの喧嘩など、

したいとも思わなかったし、したこともない。

 

そもそも一対一でも歯が立たないくらいは、

直感的にわかるというものだ。

さらに相手は複数どころか、

本隊まで控えているのだ。

「女の子を守ろうとしたみたいだった」

と彼に言われたけど、正直それは相当怪しい。

とにかくあまり思い出したくない思い出だから、

他の友だちに話したこともないし、

いつの間にか忘れていたことなのだ。

 

そんなことより、これが一番大事なことだけど、

そのときなんで誰も助けてくれなかったんだとは、

微塵も思わなかった。

後になっても、そう考えたことなど一度もない。

やられたのが自分じゃなく彼だったとしても、

自分が何かできたとはとても思えないから。

 

なのに彼は、私がやられているのをただ見ているだけで、

何もできなかったことをず~と気にかけていたのだった。

それがず~と負い目になって残っていると話してくれた。

あの夜から、何百回も会っているのに、

ずっと言えなかったに違いない。

「許してくれ」と言われて、

正直なんと答えたのかも覚えていない。

だけど、そのあと飲み干した酒の味が、

格別だったことだけは間違いない。

 

公園での出来事は、ほとんど忘れちゃったけど、

グラスを傾けたその日のことは、

今でもときどき思い出す。